生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(118) 「トーキング・ストレート2」

2019年03月28日 21時23分42秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(118)                                     
TITLE: 「トーキング・ストレート2」

書籍名;「大河の一滴」 [1998]

著者;五木寛之 発行所;幻冬舎
発行日;1998.4.15
初回作成日;H31.3.25 最終改定日;H31.3.28
引用先;文化の文明化のプロセス Exploring



このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。


リー・アイアコッカ著の「トーキング・ストレート」に続けて、この書を思い出して開いてみた。なぜならば、「あとがき」にこんな言葉があったからだ。

 『これまで私は自分の感じていることを、あまりストレートに言うことをしないできた。 文章の語尾がいつも中途半端な疑問形で終わることが多かったのも、そのせいだろう。自 分でもできるだけひかえめに、独り言のような口調で語ることを心がけてきた気配もある。 たぶん、それは人間ひとりひとりがちがうように、ものの考えかたや感じかたも異なっているのが当たり前だと考えているせいかもしれない。 しかし、それだけではない。正直に言えば、自分をうしろめたく思う気持ちが、ずっと心の底にわだかまっていたのが最大の理由である。 他人を押しのけ、こざかしく立ち回って生きてきた自分のような人間が、いまさら人に何を偉そうに物をいう資格があるのだろうか。』(pp.263)

同じような年ごろの人が、同じ言葉で著書を書き始めている。しかし、中身はまるで違う。そこに、日本とアメリカの文化の違いをはっきりと見た感じがしたからだった。作家と経営者の違いはあるのだが、人生を振り返って、他人に語り掛ける態度は同じように思うのだが、一方は、ひたすら自己のこころの内を語り、一方は、社会のためになりそうなことを語りつくしている。

この書の冒頭は、こんな文章になっている。表題は、「みな大河の一滴」。
 
『 なぜかふと心が委える日に
私はこれまでに二度、自殺を考えたことがある。最初は中学二年生のときで、二度目は作家としてはたらきはじめたあとのことだった。 どちらの場合も、かなり真剣に、具体的な方法まで研究した記憶がある。本人にとっては相当にせっぱつまった心境だったのだろう。
だが、現在、私はこうして生きている。当時のことを思い返してみると、どうしてあれほどまでに自分を追いつめたのだろうと、 不思議な気がしないでもない。しかし、私はその経験を決してばかげたことだなどとは考えてはいない。むしろ、自分の人生にとって、 ごく自然で、ふつうのことのような気もしてくるのだ。
いまでは、自分が一度ならず二度までもそんな経験をもったことを、とてもよかったと思うことさえある。
これは作家としての職業意識などではなく、ひとりの人間としての話だ。』(pp.9)
 このような調子で、延々と続いてゆく。

本文は飛ばすことにして、「あとがき」に戻る。
 
 『ふとした瞬間につくづくおぞましく感じることがある。「私は悪人である」などと胸をはって堂々と宣言したりすることなど、私には恥ずかしくてできない。大悪人ならむしろ救いもあるだろう。しかしケチな小悪党ではどうしようもないのである。 そんなふうに自分のことを考えながら、それでも心のどこかに、一生に一度ぐらいは自分の本音を遠慮せずに口にしてみたい、という身勝手な願望もないわけではなかった。
そんな気持ちになるというのは、たぶん年をとってわがままになってきたせいだろうか。しかしそれだけではなく、最近の世の中の激しい変化と、信じられないような出来事のショックが私の気取りを揺さぶって、思わずなにかを言わずにいられない気分にさせたという面もありそうだ。「自分のことを棚にあげ」なければ、人はなにかを発言することはできないのかもしれない。厚顔無恥は生まれながらの性である、と覚悟するほうが正直なのではないだろうか。』(pp.264)

この言葉は、よくわかる。現に私が、このブログなどを書き始めた動機の一つもこのことだった。
そして、このような言葉で、結んでいる。

 『市場原理と自己責任という美しい幻想に飾られたきょうの世界は、ひと皮むけば人間の草刈り場にすぎない。私たちは最悪の時代を迎えようとしているのだ。資本主義という巨大な恐竜が、いまのたうちまわって断末魔のあがきをはじめようとしている。そのあがきは、ひょっとして二十一世紀中つづくかもしれない。つまり私たちは、そんな地獄に一生 を接すことになるのである。』(pp.266)

著者は一時期、執筆活動を一時休止して、龍谷大学の聴講生となり仏教史を学んだことを知り、彼が歩きながら解説をする日本の寺院探訪のシリーズのテレビ番組を見たのだが、著作については、「親鸞」以外には、詳しくは知らない。悲観的な内容や表現で有名だとの印象がある。しかし、おなじ「トーキング・ストレート」でのこれほどの違いからは、日本の優れた文化を世界の文明に押し上げることは不可能に思えてくるのは、論理の飛躍だろうか。