生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼 204 アーリア人の侵入

2021年12月19日 15時37分46秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼 204

このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

TITLE:アーリア人の侵入

初回作成年月日;2021.12.19 最終改定日;

 ゾロアスター教について、すでに多くの著書を発行している青木 健著の「新ゾロアスター教史」刀水書房(2019)では、その起源が紀元前2500年頃のアーリア人の大移動から始められている。



 私は世界の文明の始まりのうち、インダス文明に最も興味がある。文献や資料が少ないのだが、最近はいくつか新たな知見を述べる書が出てきた。大河に拠らず、東西南北に広がり、アーリア人の侵入と共に海洋に消えた文明である。南北の気候差が大きく、季節ごとに作物の交易が盛んに行われていたと云われている。
 ゾロアスター教は、その地にアーリア人が侵入した後に起こったのだが、日本の古代の神々との繋がりを感じることがある。一部が、東南アジア経由で超古代の日本にたどり着いたのではないだろうか。日本の古代人は、長距離航海をいとわない海人だった。

 「プロローグ」として、紀元前2500から約2000年間の原始アーリア人の移動の様子が、インドからトルコに至る地図で表されている。先ずは、アラル海周辺から、気候変動期に大移動が始まった。西へのグループは、ドイツ・北欧に達して、金髪碧眼の祖となった。南へのグループは、一旦イラン高原に定着したのだが、このグループに注目する。
 
 イラン高原グループは、その約1000年後に再び移動を開始した。西へのグループは、メソポタミア文明国家に阻まれて、イラン高原の西地区に定住することになった。この地域の国々の興亡は、古代ギリシア人の記録に詳しいと書かれている。最終的には、ペルシア人の祖になったようだ。

 東南へのグループは、インダス文明圏に侵入し、そこに定住した。インダス文明の衰亡とアーリア人の侵入との関係は、まだ明らかにされていない。微妙に時代がずれているというのだが、縄文文化から弥生文化への変動も、いまだに時代が特定されていないのだから、多少の時代のずれに拘るのは、どういうことなのだろう。

 この書の目的は、ゾロアスター教史なので、民族移動の話は、そこだけで終わっている。イラン高原のアーリア人が遺した「アベスターグ」と、インド亜大陸のアーリア人が遺した「リグ・ベーダ」とが、元になっているらしい。原始アーリア人には厳格な階級制度があった。神官階級・軍人貴族階級・庶民階級の3階級で、現在のインド社会にまで続いている。

 ついでなので、ゾロアスター教についても、少し触れることにする。その教祖は、ザラスシュトラ・スピターマ(白色家の老いたラクダの持ち主)という。紀元前6~7世紀の人だ。この教義は、何人かのギリシアの哲学者に影響を与えた。
 
 ヘラクレイトスへの影響は、「万物は流転する」と「火を世界秩序の要」と見なしたことが挙げられている。また、プラトンについては、実際にゾロアスター教の神官がアテネに滞在した際に行われた交流について書かれている。晩年のプラトン哲学は、その影響が強かったと記されている。特に、イデア界と現実界の二元論は、ザラスシュトラ思想との関係が指摘されている。また、ユダヤ教もバビロン幽囚中に影響を受け、バビロン解放後に大きく変容したとある。旧約聖書の中には、いくつかの類似点が指摘されている。

 第3章は、「サーサーン王朝ペルシア帝国での国家宗教としての発展」と題して、3~10世紀の間の興隆が示されている。実際に、アーリア人の神官が皇帝になっており、即位の年は、「皇帝の火の年」といわれている。

 その後のゾロアスター教は、特にインドの西海岸で隆盛を極めた。ボンベイから北は、いくつかの教区に分けられていて、それぞれの教区長は、絶大な権力と財力を保っている。

 原始アーリア人は、この歴史の過程で多くの民族に分化した。この書の付録には、それらの民族の名称と歴史、言語が一覧表で表されている。全部で11の民族で、その中には、ソグド人、パルティア人、ペルシア人、サカ族などがある。サカ族は、仏陀の釈迦族との関係が指摘されている。
 いずれにせよ、インド・アーリア語族の歴史は、途轍もなく広範に影響している。