「リスクがあるから、やらない」が根本の問題 (2021.6.19)
オリンピックの観客問題で、尾身感染症対策分科会長の発言が躍っている。「〇〇のリスクがあるから、何々が望ましい」ということで、無観客や開催地以外の観客を認めないなどと主張している。この主張は専門家としては当然のようだが、その通りに実行されることは、長年ジェットエンジンの新規開発をやってきた設計技術者としては、大いに不満だ。
大型の旅客機に採用されるエンジンは、勿論飛行中に何らかの理由で作動不能になるリスクがある。だからといって、開発を止めることはない。リスクの中身を徹底的に詰めて、リスク軽減策を盛り込む。20世紀中の100年間に及ぶこの努力の積み重ねで、今日の旅客機は驚異的な安全性が保たれている。つまり、リスクに挑戦する態度を持ち続けた結果だ。
福島原発事故は人災だと結論付けられている。つまり、技術レベルが低かったわけではないのだが、再稼働反対の世論は消えない。そのために人災の原因除去のことは何もやられずに、技術的な対策をどんどん積み重ねている。「リスクがあるから、やらない」から、「リスクがあるから、やらせない」になっている。だから、リスクは隠し通す、という悪循環がまだ続いている。
日本の経済成長や、イノベーションが進まないことも、同じ原因だと思う。大企業ほど日本人の経営者はリスク回避を主張する。新たなイノベーションに賭けることは、かなりのリスクを伴う。これらはすべて、「リスクがあるから、やらない」に通じているのではないだろうか。
なぜ、リスクの中身を徹底的に解析して、その対策を積み重ねてゆこうとしないのか。
この問題を長い間考えてきた。いまのところの結論は、日本文化の根底にある「和を以って貴しとなす」だった。このことは、議論を徹底的に行わずに、中途半端に終わらせることを意味している。そうでなければ、和を保つことはできない。和を保つことが、総ての場面で最重要になっている。
バイデン政権が、次々に目玉政策を打ち出している。危機管理条件下での正しい方向性と思えるのだが、日本の骨太政策は相変わらずの「良いと思えることの羅列」と評されている。いずれもが、中途半端に終わることになるだろう。
これらいずれもが、やはり大陸の東の端にある島国という地政学的な歴史の中では、当然の文化なのだが、しかし、現代のグローバル化された世界では、その地政学は全くあてはまらなくなっているのだが、そのことが感覚として育たない。そして、「リスクがあるから、やらない」ところに、人類としての進歩はない。
2021.6.19 その場考学半老人 妄言
オリンピックの観客問題で、尾身感染症対策分科会長の発言が躍っている。「〇〇のリスクがあるから、何々が望ましい」ということで、無観客や開催地以外の観客を認めないなどと主張している。この主張は専門家としては当然のようだが、その通りに実行されることは、長年ジェットエンジンの新規開発をやってきた設計技術者としては、大いに不満だ。
大型の旅客機に採用されるエンジンは、勿論飛行中に何らかの理由で作動不能になるリスクがある。だからといって、開発を止めることはない。リスクの中身を徹底的に詰めて、リスク軽減策を盛り込む。20世紀中の100年間に及ぶこの努力の積み重ねで、今日の旅客機は驚異的な安全性が保たれている。つまり、リスクに挑戦する態度を持ち続けた結果だ。
福島原発事故は人災だと結論付けられている。つまり、技術レベルが低かったわけではないのだが、再稼働反対の世論は消えない。そのために人災の原因除去のことは何もやられずに、技術的な対策をどんどん積み重ねている。「リスクがあるから、やらない」から、「リスクがあるから、やらせない」になっている。だから、リスクは隠し通す、という悪循環がまだ続いている。
日本の経済成長や、イノベーションが進まないことも、同じ原因だと思う。大企業ほど日本人の経営者はリスク回避を主張する。新たなイノベーションに賭けることは、かなりのリスクを伴う。これらはすべて、「リスクがあるから、やらない」に通じているのではないだろうか。
なぜ、リスクの中身を徹底的に解析して、その対策を積み重ねてゆこうとしないのか。
この問題を長い間考えてきた。いまのところの結論は、日本文化の根底にある「和を以って貴しとなす」だった。このことは、議論を徹底的に行わずに、中途半端に終わらせることを意味している。そうでなければ、和を保つことはできない。和を保つことが、総ての場面で最重要になっている。
バイデン政権が、次々に目玉政策を打ち出している。危機管理条件下での正しい方向性と思えるのだが、日本の骨太政策は相変わらずの「良いと思えることの羅列」と評されている。いずれもが、中途半端に終わることになるだろう。
これらいずれもが、やはり大陸の東の端にある島国という地政学的な歴史の中では、当然の文化なのだが、しかし、現代のグローバル化された世界では、その地政学は全くあてはまらなくなっているのだが、そのことが感覚として育たない。そして、「リスクがあるから、やらない」ところに、人類としての進歩はない。
2021.6.19 その場考学半老人 妄言
、日本の場合、マスコミの「世論」誘導によることが非常に大きいと感じています。
聖徳太子までさかのぼるのは如何かと。戦国時代の下剋上、明治維新、真珠湾攻撃など日本の歴史で(和を貴ばない)変革、ブレイクスルーの出来事は何度か存在しますから。
・・現代の政治・行政的決定や企業活動でのリスク改善は、多くの場合、リスクの顕在化=事故の発生をもって開始されます。
私なりに工学的に考えると、リスク評価(放置した場合の発生確率と損害推定)には大きな幅、不確定要素があり、さらに「改善」すなわち設計変更により発生する新たなリスクがあります。となると、多くの場合次のシステム全面更改まで経過観察(放置)で済ませるとなります。
Tokyo2020の尾身氏・賛同者会見を視聴して感じたことは、彼ら感染症専門家としてのアリバイ作りではないかとの印象でした。どんな対策を打ったとしても、住民一千万人規模の東京圏で新規感染者ゼロ(あるいは1日100人以下;日本医師会長発言)はあまりに非現実的です。病気を含む人の死因はコロナだけではありません。日本では年間約130万人が死亡しています(コロナ感染死亡は1%以下)。
コロナ自粛で倒産、自殺、鬱など精神的、社会的な問題も発生しています。ワクチン接種が高齢者の多くに実施されるこの6月末で重病者ベッドの負荷が下がり始めます。今後若い年齢層への接種も職域などで加速するでしょう。オリパラ関係の入国者で選手はカプセル方式で国民との接触はガードされます(プレス関係とIOC招待者の行動規制は懸念事項ですが数値的には小さいし、向こうから見たら接種率の低い日本で感染することのリスク大なので自制)。
マスコミが現政権の失政を批判することは大切な役割ですが、過剰に視聴者に刺激を与え続け、視聴率や雑誌等販売数につなげることに偏っていて、その報道を容易に刷り込まれる人々が多いと思います。
確かに、戦国時代の下剋上、明治維新、真珠湾攻撃などは、和を貴しとしていません。この民族は、時々豹変するのです。その点では、世界の先進国は北朝鮮民族よりも、危険視しているので、国連の何とか条項から外してもらえないのでしょう。