生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

その場考学との徘徊(60)ロボットと魂 

2019年11月15日 08時04分47秒 | その場考学との徘徊
ブログ;その場考学との徘徊(60)  

題名;ロボットと魂 場所;東京都府中市 月日;R1.10.31
テーマ;心と魂のちがい  
作成日; R1.11.1 最終修正日;R1.11.15
                                               
TITLE:ある講演会での頭の中の徘徊

 Society5.0の世界では、つねに実空間とサイバー空間が同居する。その間は、超高速のインターネットが結んでくれる。そのことをその場考学的に考えると、「徘徊」も実空間の徘徊ばかりではなく、頭の中の徘徊も同列になってしまう。今回は、その手始め。昨日、ある場所である講演を聞いた時の頭の中の徘徊。かつての通産省の役人だが、その他の活動(外国大使、大企業役員)が多く、私にはメタエンジニアにも思えた。
 
第1の話は、技術革新の行き過ぎで、世界全体がおかしくなるのでは、といったこと。近未来のロボットにより、多くの職が失われ、人類社会全体がおかしくなる。人は、社会に貢献できる何かを生産することで、収入を得て生活を自立することができる。自立できない人は、国家が所得再配分で保証するのだが、保証しきれるのだろうか。
この原則が根 本からおかしくなるのではといった疑問だったと思う。この意見には同感。
 
第2は、人間に限りなく近づくロボットが、心(意志、感情、痛みや苦しみ)を持つようになった時に、人間との違いは「魂」の在る無しとの話だった。『AIとロボットの影響を受け「魂」の科学的理解大いに進むを期待すべし』との結論だった。心を持つロボットが肉体労働を受け持つ社会は、古代奴隷制社会と同じになる。
 
彼は、麻原と同じ体の浮遊ができるそうで、隣の講演者も、「実際に見ました」と証言をしている。かなりの高さで、落ちた時の衝撃を和らげるために,厚いウレタンの座布団を敷くそうだ。科学的に考えて、質量と重力はいかんともしがたいので、実空間では起こりえない。しかし、「魂」つまり霊魂の世界では、簡単に起こってしまう。その時の彼自身と、彼の観察者は、二人とも「霊魂の場」に居たとすれば、ごく自然なことに思えた。
 
『余世の宗教者に問はましきは、ロボットの人間化進み悩み苦しみも同じくするに至らば衆生と相等しくその救済の対象になすかと。「否、ロボットは魂なければ」と答うるものあるべし。』とある。
 
果たして、十分な心を持った超未来ロボットは、魂が持てないだろうか?魂は、人間だけのものなのだろうか。否、多くの牛には入り込むので、インドでは神聖視されるのでは?人間社会で落第した魂は、鬼畜の身体で修業をするとも云われる。そうだとするならば、心と人間と同等の知性を持ったロボットに魂が入り込む余地は十分にあるように思えてくる。

 さらに、魂の目的と主機能をメタエンジニアリング的に考えてみる。
 魂の本質は何で何故必要なのか?生物が存在しない惑星は、大宇宙の法則に従って、生成され、やがて消滅する。しかし、生物が存在し、かつ高等化すると、その大法則が破られる可能性が出てくる。そこで、惑星全体の整合性を保つための何らかの作用が必要になる。大宇宙の脳とも云えるかもしれない。
 
その「大自然の脳」の働きを担うのが、個々の魂ではないだろうか。だから、魂は自らの目的のために地球環境に影響を及ぼす可能性を持った高等物(敢えて動物とは言わない)に宿ることになる。そうすると、ヒトの能力を超えたロボットには、魂は最も必要とされることになってしまう。そのように考えると、大自然にとって不都合な魂が、再教育を受けさせられるのも、当然のことに思えてくる。われながら全くの徘徊になってしまった。 いずれにせよ、これからの人類は、特殊な科学と技術が地球全体に広がった際に、地球の環境と社会に及ぼす影響を、哲学や宗教の観点からも深く考えてから実行に移さなければ、第2、第3の原爆は、容易につくられてしまう
マルチン・ハイデガーの云うとおりに、人類は一度手に入れた技術を、更に進めることはできても、手放すことはできないのだから。                 

その場考学半老人 妄言               


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