ささやかな幸せ

SUPER EIGHT、本、美術鑑賞、俳句、お茶が好き!
毎日小さな幸せを見つけて暮らしたい。

夫が脳出血で倒れた

2023-06-10 18:50:16 | 日記
 夫が脳出血で倒れてから一月がたった。

 それは、5月の連休最終日だった。「NHKの大河を見たいから、それまでに風呂からあがる」と言ったが、大河が始まったのに、まだ風呂から出ない。「大河始まってんで」と声をかけたら、壁にもたれるようにして廊下を歩く夫の姿が見えた。「また、痛風でたのか?」と思い、夫の後を追う。夫は自分の部屋のベッドに倒れ込んでいた。「体の左半分がしびれて、動かない」と言う。脳梗塞を疑った私が「救急車を呼ぼう」と言うと、「大丈夫や」「呼ばんでいい」と夫は言う。でも、病院へ運ばなくては。タクシー?でも、どこの病院に行ったらいいのかわからないし。すると、里帰り出産中の娘が「救急車呼ぶからな」と電話をかけ始めた。ひとまず、娘と一苦労しながら、服を着せる。私は、部屋着を着替えて、財布や保険証を用意する。子どもは、電話の人の指示で名前や生年月日を夫に尋ねて、意識の状態をみていた。

 救急車到着。救急隊員さんが おくるみみたいなものに夫を包んで背負い、ストレッチャーに乗せる。私も同乗し、受け入れ先も決まって救急車は出発。夫の意識は、ハッキリしており、救急隊員の質問に答える。ここで、高血圧の薬が連休中に切れてしまい、飲んでいないことが判明!「えっ!?」と思わず声が出る私。さらに「頭痛はないですか?」と聞かれ「頭の右側が痛くなってきた気がします」 「えっ!頭痛?脳梗塞じゃないの???」と心の中で突っ込む私。

 救急病院へ到着。夫は、処置室へ。私は、廊下で書類に住所などを記入することに。しかしである。自分の住所が出てこないのだ。「ひぃ~。私って気が動転しているんだ。ビックリしすぎて、当たり前のことが出てこない・・・」しょうがないので、娘にラインをして住所の番地を教えてもらい記入する。それから、人通りのない廊下でひたすら待つことになる。

 名前を呼ばれ、ICUに入る。先生から「脳出血」と聞かされる。レントゲン写真では、脳の中央やや右側に白い円がある。ここが出血場所らしい。右側なので左半身に痺れや麻痺がでているとのこと。脳の中央部なので手術はしない。出血は止まっているようで、出血は周りに吸収されていく。リハビリでかなりよくなると思うと先生。ひととおり説明を受け、お礼を述べた後は、入院手続きである。家族控室みたいなところに通され、提出書類や入院時の荷物の説明を受ける。そして、全てが終わると日付が変わっていた。

 帰ろうとエレベータに乗り、1階のボタンを押す。しかし、1階で下りると様子が何か変。ウロウロするが人通りがなさすぎる。掲示板もない。ふと表示を見ると「霊安室」!「ぎえっ」言葉にならない叫びをもらし、すぐ近くの階段を駆け上る。目についたインタホンを押し、「救急で運ばれた者の家族ですが、帰ろうとしたら玄関がわかりません。玄関、どこですか?」と涙ながらに訴える。すると看護師さんが来てくれて、玄関を教えてくれた。山の斜面に建つ病院なので玄関は3階。「救急車で来たし、夜だったし、初めて来た病院なので」とくどくどと言い訳をする私に「大変でしたね。皆さん、間違われる方が多くて。お気をつけてお帰りください」と看護師さんが送り出してくれた。

 時間外出口で「タクシーを呼びたいのですが」と言うとタクシー会社の電話番号を書いた紙をくれた。電話をかける。「一台お願いしたいんですけど」「あ~、出払っていて無理です」次にかける。「近くに車がないので、すみません」「1時間以上お待ちになってくれるのであれば」まさかの全滅。5社のタクシー会社全てである。徒歩で電車の駅まで行こうにも、道がわからないし、暗いので怖い。それに、電車ももうないし。外は、大雨警報が出ているほどの土砂降りだし。家に電話をかけ、急遽来てくれた婿に迎えを頼む。ロビーで夜を明かすのかと思ったよ。人気のないロビーで仮眠をとっていると看護師さんに「どうしましたか?」と声をかけられる。「救急で来て、タクシーで帰ろうと思ったらタクシーが捕まらなくて、家人が車で迎えにくるのを待っているところです」とまた くどくどと話す。

 婿が迎えにきてくれ、くねくねと道を下り、午前2時前に家に到着。娘の勧めでお風呂に浸かるだけ浸かって すぐに寝る。翌日、夫や私の職場に休むことを連絡する。入院書類や入院に必要なものを持って、病院へ。午前の検査で脳の出血が止まっていることを確認して、一般病棟へ移る。
 病気の正式名称は「右視床出血」原因は、高血圧の薬の飲み忘れかと思ったら、それだけでなく高脂血や喫煙やらさまざまなものが絡み合っているとか。
 命に別状は、なくてよかった。頭もクリアでよかった。利き手の右手が麻痺でなくてよかった。いろんなことが頭の中をグルグル回っている。先のことは、わからないから、何も考えないで毎日を過ごそうっと。

 本人は、おむつが嫌でたまらないらしく、自分一人でトイレへ行こうとして尻もちをつき、起き上がれなくなっていた。と病院から連絡。もし、骨折したら、入院が長引くから、一人では動かないようにときつく言う。スポーツマンで自分に自信があるのか、困ったものだ。これで、一人では動けないことがわかっておとなしくしてくれれば。
 また、病院へは自分が車を運転してきたなどと辻褄の合わないことを言ったり、さっき言ったことを忘れて同じことを何回も繰り返している。せん妄だといいのだが。ただ、どこに何が置いてあるというのは、きちんとわかっていて、机の引き出しの何段目に何が入っているとかきちんと言うのだ。これは、あちこち探さずにすみ、すごく助かった。

 私は、仕事に行き始めたが、読み聞かせのボランティアとお茶のお稽古は休むことにする。ボランティアは、少ない人数で回っているので申し訳なかったのだが、皆さん気持ちよく当番を代わってくれ、感謝しかない。職場の人もお茶のお友達もいろいろと気遣ってくれて、感謝である。

 私は、夫が倒れたことをまだ現実ととらえていないのか ふわふわとした感じでいる。
 慰められたのは、孫である。しんどくても孫を抱きしめていると癒され、元気がチャージされていく。
 もう一つは、俳句。夏井先生が「俳句は人生の杖(困難に直面した時に俳句に救われるという意味)」とおっしゃっていたが、まさにその通りであった。句友のあんこちゃんと「細く長く続けようね」「しんどくても投句しよう」と言い合っていたので、なんとか投句していた。そのせいもあり、夫と孫の紙おむつを両手でぶら下げている自分の姿に「これ、俳句の種になるよね」とか「孫に癒される俳句を作りたいけど、これって類想だよね」とか いつのまにか夢中で俳句を考えていた。また、病院へのシャトルバスや待合で俳句を考えながら待つことで時間がつぶせた。
 とは言っても、週に2.3回は、なかなか寝付けない日もあった。Snow Manや関ジャニ∞のCDも聞くことも 特典映像を見ることができないまま、積まれている。

 そして、リハビリテーション病院へ転院。今までは治療が主な病院であったが、今度は土日関係なく、毎日みっちりとリハビリをする。一週間もすると、介助なしで一人で伝え歩きでトイレに行けるようになった。私は、夫が半身不随で車椅子生活になると思っていたが、リハビリの先生の話では、杖で歩けるようになると思いますとのこと。退院は半年後かと思っていたが、そこまでいかないで退院になると思いますと。よかった。

 まさか、夫が倒れるとは思わなかった。人生、何が起こるかわからないなあ。
 
コメント
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