ささやかな幸せ

SUPER EIGHT、本、美術鑑賞、俳句、お茶が好き!
毎日小さな幸せを見つけて暮らしたい。

サワコの朝 2/28放送 横山くんの魅力がわかる!

2015-03-09 23:11:50 | 関ジャニ∞
「今日のゲストは、この事務所の歴代のグループの中で『お笑い芸人か?』と思うほど笑わせてくださる関ジャニ∞の1人に出ていただきます、横山裕さんです」
「笑う訓練とかしているんですか?」
そんなん、してないです。メンバーには、お笑い芸人に行こうか迷ったメンバーもいました。村上っていうやつなんですけど。
ナレーション「今日のゲストは関ジャニ∞の横山裕さん。関ジャニ∞は、オリコンで18曲連続一位を獲得中。さらに、昨年は24時間テレビのメインパーソナリティーを務めるなど、今ノリにノッテいるジャニーズのグループ。メンバーは最年長の横山さんを筆頭に安田さん、村上さん、丸山さん、錦戸さん、渋谷さん、大倉さん。全員が関西出身の7人。横山さんが、23歳の時にデビューし、昨年10周年を迎えた関ジャニ∞ですが、実は、最も苦労しているジャニーズと言われています。(十祭で横山くんが感極まって涙を流すシーンが流れる)今日は逆境から今日の活躍に至るまで横山さんの味わってきたジャニーズの世界をサワコに語ってくれます」
今、人気の関ジャニ∞とは
「意外に年いってるんですね」
そうなんです。ボク若く見られるんですけど、もう33なんで。
「17でも通るでしょ」
通らないです。でも、去年、高校生の役しましたね。確かに。
(阿川さんの)歳聞いてビックリしたんですよ。おきれいですよね。
「うまいっすね」
うまいって言われます。
様々なジャンルでメンバーが活躍
(関ジャニ∞の写真を見ながら)錦戸です。ドラマよく出てましたね。この前まで「ごめんね!青春」クドカンさんの。
(村上くんを指して)一番なにわ色が強いすね。漫画のアニメ雑誌の「マガジン」の発音を「マガジン」って言うんですよ。たぶんなんですけど「たかじん」に引っ張られてる。

<記憶の中で今もきらめく曲 ミスターチルドレンの「シンプル」>
ジャニーズに入った頃聴いた曲
「いつごろ、聴いて?」
まさに、ジャニーズに入って、僕等が東京の合宿所に入っている時ですかね。やっぱり、お仕事がどうしても東京多かったんで。結構いました。一年位。めちゃくちゃ、楽しかった。ずっと休み時間みたいな感じですね。ずっと聴いていました。
この曲の歌詞に励まされて
なんなんでしょうね、そのときは皆ミスチルさんが好きで影響をうけて。すごいステキな詩を書くなとか、やっぱ、影響うけましたよね。(曲を聴いて)めっちゃ、いいなあ。当時のことを思い出したりしますね。なんか、仕事とかでも迷ったり悩んだりするじゃないですか。もう、そんなことじゃなくてシンプルに考えようやみたいなことに。自分なりに置き換えたりして、たぶん、聴いていたと思うんですね。
ジャニーズに入ったきっかけ
「ジャニーズに入るきっかけは?」
15歳ですね。ボクの同級生がジャニーズやったんですよ、そもそも。で、うちのオカンが「あんたの友達いけるんやったら、あんた いけるんちゃう」みたいな。オカンが。関西特有の「うちの子が」という「うちの子のんが」みたいな。で、呼ばれて今に至るみたいな。めっちゃ、間だいぶ はしょりましたね。
ジャニー喜多川さんとの出会い
「オーディションはどんなことをするんですか?」
オーディションはね、踊ったり、あと社長との面接。始めなんか、ジャニーさんなんか誰かわからないじゃないですか。一人おじいちゃんみたいな人がウロウロしてるなあと思ったんすよ。面接会場でその時。ウロウロしているなと思ったら「僕が世界のジャニーだよ」って言ったのを覚えています。「世界のジャニーって?」「自分で言うたで」って。
建設会社で働きながら
「入ってみてどうだったんですか?同世代の男の子たちが一杯いるわけでしょ」
とまどいがすごいありましたね、始め。16になって、皆高校に行きだすじゃないですか。ボク、高校行ってなくて、建設会社で働いていたんです。就職していました。自立したいというか。で、皆テレビ局とかに学校終わりでそのまま制服でテレビ局に入ったりするんです。ボク、高校行ってなくて建設会社入ってたんで、だから、ボク、テレビ局までニッカボッカで通ってたんですよ。それで、スタッフさんに「さすがにまずい」と。「今までのジャニーズのセオリーにそれはないから。この事務所はファンの方に夢を与えてる」と。いきなり現実を突きつけられたみたいで。
「建設会社では何をやってらしたんですか?」
いろいろやっていました。足場組んだり、壁へっつったり。めっちゃ、鍛えられました。どなられましたし、あと、一番いまだにそこで思うんは、お金のありがたみをすごい学んだなあと。一万円稼ぐのにこんなに汗水たらさなあかんのやって。めちゃくちゃ、感じました。
肉体労働で一番つらかったこと
まず、朝早起きすんの、しんどいじゃないですか。朝4時半位に起きてた。重いもの、やっているから、体もボロボロで。しかも、子どもやから、体もできてないやないですか。で、ボクより何倍もでかい人が足場のもの持つのに「オレ、3枚持ってんのに、オマエ、何で一枚なんじゃ」いや、体ちゃいますやん。そん時は、めっちゃ、思ったんですけど。でも、悔しいから絶対持ったろ思って。でも、ボク一所懸命がんばったんで、すごい上の人からは、めっちゃかわいがられてたんですよ。
覚悟を決めて建設会社を退職
で、しばらくしたら、ちょっと仕事も忙しくなってきたんで、辞めたくなかったんですけど、やっぱり、芸能に興味がだんだん出てきたんで。だから、辞めにいくって伝えた時も「お前がその芸能界であかんかったら、いつでも戻ってこいよ」と言ってくれて。それが、あったから、すごい安心もありましたし、でも、「ここに戻ってきたら、あかん」って思って。「ジャニーズがんばろう」って。
滝沢秀明さんにあやかって
「ジャニーズJr.の仕事はどうだったんですか?」
ジャニーズJr.黄金時代みたいなん、あったんです。タッキーがすごいジャニーズJrとして出てて。その時、タッキーのおかげで、いろんなレギュラー番組あったんです。それで、ボクら おこぼれをカ~ッて食べにいって。「タッキー、ありがとう」って言って。ボクら、そのおかげでゴールデンでジャニーズJr.やのに2本位持ってて。もちろん、タッキーありきの番組で。関西やから少ないチャンスをどうにか生かすためにグワ~ッて前に出て行って。どっか爪跡残そうとして、ただ おっきい声出してるだけですよ。ほんまに。誰かが言っていることをただ おっきい声で言ってるだけです。そいで、ボクらも ちょっと勘違いして「人気出てきたんちゃうん」と思っていたら。タッキーがデビューしたりして、その番組がなくなって、「あれ?オレら、全然、番組残ってないけど」って一回レギュラーが何も無くなって。
突然、仕事が無くなった
「何をしてた?」
ホンマ、何してたって、パチンコしてましたね。アハハハ。ほんまに申し訳ないですけど。すんません。これも言うな言われてるんですけど。何してたって、パチンコしてたんですよ。20,21です。
20歳過ぎてジャニーズJr.
「ジュニアとしては、先が見えない感じ?」
焦ってましたよ、めちゃくちゃ。20越えてんのに、ジャニーズJr.と言われてんのもちょっと恥ずかしかったですし。で、後輩とかも、どんどん出てきて。もう、あかん。もう、終わった。
根拠のない自信を持ちながら
「辞めようとは思わなかったのですか?」
それが、思わなかったんですよ。なんか、変な自信だけあったんですよね。「オレらのこと気づいてないの世間が悪い」って。
デビュー前にコンサートを開催
デビュー前もなんかそのジャニーさんからチャンスもらったんですけど。デビュー前、松竹座という小屋で「ちょっと舞台やってみなよ」そこで「お前ら人気なくなってきている」正直に言われたんです。「ここで、チャンスつかまんかったら、シャレなれへんぞ」って。「もう、これ、ラストチャンスやぞ」って。で、そん時に「じゃあ、やりましょか」ってやらしてもらったんですけど、まあ、マジお客さん入らないですよ。
全く客席が埋まらなかった
3階建ての小屋なんですけど、1階位しか入ってなかったですね。「ジャニーズって名前だけでお客さん入るんちゃうん」って思ってたんですけど。でも、お客さんはちゃんと見てますね。やっぱり、いいものしかついて来ないということを学びました。
「横山さん自身も実力が欠けているかなという自覚はあった?」
やっぱ、賞味期限が切れてきてんのかなっていう・・・。やっぱ、後輩もどんどん出てきたし。ここで、お客さん入れるためには、どうやらなあかんのやろってメンバーで話し合って。いろんなことを話し合いました。その時に。
お客さんを呼ぶための工夫
「どうしました?」
そん時に いろいろしましたね。3階建てやったんで、お客さん入れるために、とりあえず客席出よ。でも、3階に出たところで お客さんいないんですよ。でも、「3階に出てくれるから、3階に入ろうよ」って、ちょっとでもウワサになればええかなって。メンバーで決めたと思います。
「あとは、どんなことを?」
それこそ、コントしたりしましたね。これが、めっちゃウケたんですよ。
今でも工夫を続けている
だから、ボクらもコンサートいまだにコントやったりするんですよ。いろんな歓声が混じっていますね、たぶん。いろんなことしてるんで。他のジャニーズと何が違うかって、いろんなことやってる、と自信を持って言えますね。
ナレーション「関ジャニ∞のコンサート。その最大の魅力は、アイドルらしからぬ演出の数々。衣装から構成まで、すべてメンバーが考えているんです。(ぱんパンダや十祭での全員バブーンの映像)中でもユニークなのが、横山さんが台本を書いているというコント・エイトレンジャー」(十祭でのエイトレンジャーの映像)
横山さん発案エイトレンジャー
エイトレンジャーはボクがやろうって言い出したんですけど。そこだけはそうですね。「エイトレンジャーやってみいひん?」ってメンバーにお願いして。メンバーもノッテくれて、「おもしろそうや」って。「ジャニーズの王道じゃないことをやってみようや」「楽しんでもらえたら、いいんちゃう」 みんな、(吉本)新喜劇とか好きやったんで。ライブをいいものに作れば、お客さんが増えてくるし、認めてくれる。回りも「こいつら、やるやん」って。
ジャニーズ初47都道府県ツアー
毎年、ライブをさしてもらいましたね。だんだん、だんだん、小屋も大きくなっていったり、地方にも行けるようになったりして。ボクら、47都道府県ツアーって、やってるんですよ。ジャニーズでたぶん誰もやってないですね。それは、たぶんボクらが、時間もあったし。でも、そこでお客さんとの距離をグッと縮められましたし、自信も持ちましたし。
「どれ位の期間やったんですか?」
四ヶ月位やったかな。ライブ終わって、そのままバスで移動して、夜中3、4時着いて、ホテルで仮眠して、朝からまたライブ。
「その時、ケンカおこったり?」
なかったですけど、みんな、しゃべらんようになっていきましたね。疲れて。
関ジャニ∞は仲がよい
ボクら、でも、ほんま仲いいんですよ。やっぱ、ちっちゃい時から一緒なんで。なんか、ノリが変わっていないというか。いまだに雑誌とか女の子写っていたら、「どの子、かわいい?」って言うやつ、いますから。もう、そろそろ、それ、ええんちゃうか思いますけど。「まだ、やる?」みたいな、ありますね。
何でもメンバーで考える
「自分たちで試行錯誤して、チームの色を作っていった?」
まさに、そうすね。
「曲選ぶのも、ユニット作るのも、どういう仕事するのも、全部事務所がしっかりしているから、その中で与えられた所でがんばっていると思っていた」
種類が違うんやと思います。ボクら、わりかし、全開でほったらかされてましたんで。いや、結構、ほったらかされましたよ。だから、逆に自由にできた部分はすごいあるんですけど。テレビ局の方にも当時よく「ジャニーズのわりには、NGないよね」すごい言われたんで。
デビュー時は地味な扱い
「話は戻りますけど、関ジャニ∞がデビューした時の扱いもずい分 地味だったと」
そうすね。デビュー当時の記者会見とかは、すごかったですね。逆にすごかったです。デビュー発表ってジャニーズってすごい華々しいイメージがあるじゃないですか。嵐なんかハワイでクルーザー乗ってやってるんですよ。ボクらレコード会社の屋上でノボリ持って、自分の名前の。全開で振れって言われて。アピールしろって。(デビュー記者会見の映像)
「なんで、そんなに虐げられているというか?」
いや、わからないっすよ、ほんまに。その当時は、ほんまに「何でやねん!嫌われているんか」って思いましたよ。でも、それよりも、デビューできたことが、うれしかったから、これ位我慢しようやっていう。だから、始め、ボクら演歌でデビューしているんで。ボク個人の意見ですけど「なんで演歌やねん」って思いましたけど。「デビューできたからいいか」っていうのが本心。(「浪花いろは節」の曲が流れる)
ジャニーズなのにレコード店まわり
だから、売り方もすごい演歌の売り方だったんです。ジャニーズの売り方じゃなくて。レコード店回って、握手回りしたりして。
「リンゴ箱の上にのって歌ったり?」
ほんま、そんなことしました。レコード店の店長と握手して「CDここ置いてください」みたいな。ほんまにしました。デビュー当時しました。「オレの思てるジャニーズとちゃう」と思いましたもん。木村君、こんなこと絶対してへんやんって。
アイドルではなくジャニーズ
「アイドルって呼ぶには、やや・・・」
そうですね。う~ん。アイドルっていう感覚、ボク、昔からないんですよね。ジャニーズやと思っているんです、ボクのこと。いろんなことをさしてもらって、いろんなこと吸収できるなあっと。人として大きくなるチャンスをすごい与えてもらってるなあって。たぶん、歌手やりたかったら、歌手なったらいいやろし。お芝居好きやったら、役者なったらいいやろしって。ジャニーズなんでいろんなこと やりたいから、この事務所好きなんやなとすごい思うんですけど。
「ジャニーズという場であらゆる経験をしてカッコいい大人になりたいという?」
そうなんですよ。
「お母さまは、今、何ておっしゃっているんですか?」
オカン、亡くなったんですよ
5年前、最愛の母を亡くして
「えっ、ごめんなさい・・・」
全然、大丈夫です。えーっと、3,4年前ですかね。5年前?
「関ジャニ∞の活躍はずっと見守ってらっしゃったんですか?」
そうですね。ボクの活動はずっと見てくれてましたね。コンサートとかも来てくれたんで。めっちゃ、喜んでくれてました。
母が喜んだソロコンサート
そん時、ボク、初めてソロコンサートを大阪城ホールでやったんですけど。1人でやって、やっぱ、一万何人の方が入ってて。それをオカンに見せれたんが、すごい親孝行やなって。その一週間後位に亡くなった・・・。だから、すごいそれはボクにとって最後に親孝行できたって思っているんですけど。
「最初のきっかけを作ってくれた・・・」
本当に感謝してますね。
亡き母との約束
だから、ボク、弟二人いるんですけど。だから、ちゃんと一人前になるまで責任とらな。オカンと約束したんで。一人前に絶対するって。
「カッコいいじゃない?」
カッコいいすか?フフフ。そんなこと、ないです。
「こんな男前だと夢にも思わなかった」
じゃあ、お会いしてよかったです。よかったです。

<今、心に響く曲 ケツメイシの「東京」>
東京でがんばろうと思える曲
車とかで聴いたりするんですけど、まあ、楽屋とかもそうなんですけど。友達に「東京行ってるんやろ」と。地元の友達に「この曲ええで」ってオススメされたんです。それから、メッチャ好きですね。オレ、東京でがんばらなって思わせてくれる曲です。(曲を聴いて)グッときますよね。東京でがんばるんやって思わしてくれる曲ですよね。
「東京の人間はどうですか?嫌だなって・・・」
「嫌だなあ」は、全然ないです。プロやなあっていうか、なんか、やっぱ仕事一所懸命やなって思いますね。みんながんばって働いているな。負けんようにやってるなって。
「横山さんだって、がんばってらっしゃる」
そうですか(ニッコリ)まあ、そんなことないです。まだまだです。
「こういう歌も作ったら?」
そうですね。ボクらしか歌えない歌って出てきてると思いますから。こういう歌も歌えるようなグループになりたいですよね。ありがとうございました。

レコメンの公開収録で亮ちゃんだったかな、「あるある」で横山くんが鼻から口にかけて指でなぞるというのを言っていたのを思い出しました。
20,21歳の頃、パチンコをしていたのは、衝撃的でしたが、ジャーニーズにこだわる横山くんのよさが出たのではと思います。
それにしても、阿川佐和子さんは、インタビューが上手ですね、さすがです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「奇跡の人」「ラスト・ワル... | トップ | 間違って覚えていたこと »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

関ジャニ∞」カテゴリの最新記事