ささやかな幸せ

SUPER EIGHT、本、美術鑑賞、俳句、お茶が好き!
毎日小さな幸せを見つけて暮らしたい。

「印刷/版画/グラフィックデザインの断層」「コレクション展」

2024-08-22 23:10:39 | 美術鑑賞
「印刷/版画/グラフィックデザインの断層 1957-1979」2024年5月30日-8月25日 京都国立近代美術館
開館時間/10:00-18:00(金曜日は20:00まで) 休館日/月曜日
 
 「東京国際版画ビエンナーレ展」の出品作家を中心に。写真の通り、私の好みのものが一杯。うふふ。


磯辺行久<作品62-24>


池田満寿夫<夏1> 


日下賢二<作品42> 


横尾忠則<責場> 


李禹煥<関係項A>


原弘<「第一回東京国際版画ビエンナーレ展」ポスター>

舩坂芳助<Work S7-1970>


原健<No Focus 72-25・26>

「コレクション展」
●福田平八郎と装飾性 福田平八郎好き
<竹>

<朝霧>

●横尾忠則-反復とスター- 横尾忠則はやっぱりスゴイ








●「ポストモダンの地平」を振り返る

梅田正徳<Tawaraya(俵屋)>


梅田正徳<月苑>


ロバート・ヴェンチューリ<シェラトン>



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「信濃橋洋画研究所」

2024-08-21 22:30:23 | 美術鑑賞
「信濃橋洋画研究所 大阪にひとつ美術の花が咲く」 2024.6.22-8.25 芦屋市立美術博物館
開館時間:10時-17時  休館日:月曜日


松井正<都会風景>


研究所開所式の写真 前列左より鍋井、小出。中列左より国枝。黒田。後列右側の男性は、谷崎潤一郎のミューズであった松子の元旦那らしい。スポンサーとして写真におさまる。

 1924年、大阪市西区信濃橋交差点に「信濃橋洋画研究所」が誕生。前年に二科会員になった小出楢重、黒田重太郎、鍋井克之、国枝金三が芸術の実らない土地と言われた大阪で洋画家を目指す者の指導を目的に開設。1944年に閉設されるまで多くの才能を輩出した。
 知らなかった。係の人がいろいろと説明してくれ、おもしろかった。


小出楢重<草花静物> 芦屋警察署にあるもので、めったに見られないらしい。


黒田重太郎<蟠桃のある静物> 好きな作品。


松井正<都会風景> 18歳の作品。国枝金三の作品と同じ時に描かれた作品。看板がめずらしかったのか、国枝金三の絵では省略されている看板が描かれている。印象的な赤い建物は、本当は向うの通りにあったらしい。


国枝金三<都会風景> 本当は道がややカーブしているが、都会的にするために真っすぐになっている。


高岡徳太郎<踊り子> 高島屋の薔薇の包装紙は、高岡がデザインしたとか。


浜田葆光<水辺の鹿> 好きな作品


鍋井克之<海沿いの梅林> ブルーが印象的


松井正<占師の庭> 76歳の作品 ちなみに写真不可だった松井正<収穫>が一番好きな作品。


井上覺造<失われてゆく時> 好きな作品


山﨑隆夫<きつねのよめいり(富嶽シリーズ)> 雨はピアノ線。ピアノ線を七色に塗っている。


黒田重太郎<網小屋> 好きな作品

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「倉俣史朗のデザイン」

2024-08-20 22:46:09 | 美術鑑賞
「倉俣史朗のデザイン-記憶のなかの小宇宙」 2024年6月11日-8月18日 京都国立近代美術館
開館時間=午前10時-午後6時(金曜日は午後8時まで) 休館日=月曜日



<ハウ・ハイ・ザ・ムーン> メッシュの金属でできているが、意外に座り心地がよかった。これのみ座ることが可能。


<ミス・ブランチ> 造花の薔薇入り


<硝子の椅子> 光の影が不思議な感じだった

●トウキョウ 白地に色ガラスの破片が入っているテーブル
●椅子の椅子 ソファのような椅子の中にダイニングチェアのような椅子がはめ込まれている
●ヨセフ・ホフマンへのオマージュ 椅子の豆電球が点滅する
●アモリーノ キューピー人形がウインクしたり、背中の翼が開閉する
●アクリルスツール(羽根入り) 羽が浮かんでいる
●五本針の時計 脈絡ないようできちんと時間を表しているのが不思議

椅子やテーブルの脚のデザインがおもしろい。又、お店の空間デザインがとにかくお洒落。



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『板上に咲く』

2024-08-16 19:45:47 | 
『板上に咲く』 原田マハ 幻冬舎
 「ワぁ、ゴッホになるッ!」1924年、画家への憧れを胸に裸一貫で青森から上京した棟方志功。しかし、絵を教えてくれる師もおらず、画材を買うお金もなく、弱視のせいでモデルの身体の線を捉えられない棟方は、展覧会に出品するも落選し続ける日々。そんな彼が辿り着いたのが木版画だった。彼の「板画」は革命の引き金となり、世界を変えていくー。墨を磨り支え続けた妻チヤの目線から、日本が誇るアーティスト棟方志功を描く。
 『ボタニカ』を読んだあとだからか、棟方志功とチヤの関係がよかったと思う。自分の目の治療代があるならば、子どもに米を食わせてやりたいというところも、愛情があふれてよかった。
 柳宗悦らとの出会いで一気に運が開くのも劇的。それまでがんばってきたものね。人との縁を大切にしてきて。素直によかったと思える作品だった。
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『ボタニカ』

2024-08-15 21:55:50 | 
『ボタニカ』 朝井まかて 祥伝社
 明治初期の土佐・佐川の山中に、草花に話しかける少年がいた。名は牧野富太郎。小学校中退ながらも独学で植物研究に没頭した富太郎は、「日本人の手で、日本の植物相(フロラ)を明らかにする」ことを志し、上京。東京大学理学部植物学教室に出入りを許されて、新種の発見、研究雑誌の刊行など目覚ましい成果を上げるも、突如として大学を出入り禁止に。私財を惜しみなく注ぎ込んで研究を継続するが、気がつけば莫大な借金に身動きが取れなくなっていた……。貧苦にめげず、恋女房を支えに、不屈の魂で知の種(ボタニカ)を究め続けた稀代の植物学者を描く。
 う~ん、牧野富太郎と結婚はしたくないなあ。一番目の妻・猶さんが蔑ろにされて、生殺しのようでかわいそう。スエさんも金策に追われて、かわいそう。スエさんは、なんでそんなに富太郎がよかったのだろう。一心に研究に没頭するする姿は、尊いが。
 借金で首が回らなくなった富太郎は、大事な標本を売ろうとするが、援助に名乗り出たのは池長孟。神戸市立博物館の南蛮美術コレクションの人やないかい!しかも、研究所の設置場所として会下山の名前が出てくる。おぉ、通っていた高校の近所だよ。
 実は、母の名前は、祖母から牧野富太郎の弟から名付けてもらったと聞いている。婦人雑誌の懸賞に当たって名付けてもらったと。でも、牧野富太郎に弟はいない。母が存命中に真相を聞かないといけないな
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