倉本聰をメインライターに迎え、リアリズムと人間ドラマを追究した前作『大都会/闘いの日々』から一転、'77年春にスタートした第2シリーズ『大都会 PART II 』は永原秀一、斎藤憐、柏原寛司、峯尾基三らアクション畑のライター陣を器用、メインキャストの1人に松田優作という究極の活劇スターを迎え、弾丸が飛び交い、パトカーが次々クラッシュする石原プロモーション=ハードアクション路線のいよいよ幕開けとなりました。
ただし、派手な見せ場を優先するあまり脚本がユルユルになっちゃうのはパート3辺りからでw、このパート2(特にシリーズ前半)は『闘いの日々』の社会派要素も少なからず残っており、ドラマとアクションの絶妙なバランスで我々を魅了してくれました。
☆第1話『追撃』(1977.4.5.OA/脚本=永原秀一/監督=舛田利雄)
ファーストシーンは、城西署捜査課の黒岩デカチョウ(渡 哲也)とその右腕=徳吉刑事(松田優作)が深夜の渋谷を覆面車でパトロールし、ホステスがチンピラと揉めてる現場を見掛けながら「クロさん、どうしますか?」「ほっとけ」とスルーしちゃう、熱血番組『太陽にほえろ!』とはひと味違うハードボイルド演出。
そして追いかけるホシも連続婦女暴行殺人犯(しかも被害者の下着をコレクションするド変態)という、やはり品行方正な『太陽にほえろ!』では扱わない種類の極悪人(そしてド変態)で、その辺りの差別化は意図的なものと思われます。
過去3件の犯行が公園で行われたため、公園ばかり監視してたら裏をかかれて4件目はデパートのトイレで発生するなど、犯人側の方が賢くて刑事たちがやたら失態を繰り返すのも『太陽~』とは違う『大都会』→『西部警察』シリーズならではの特徴。これも恐らく意図的なもので、創り手たちは内心、警察をバカにしてるんだろうと思いますw
で、4人目の被害者=久子(永島暎子)は渋谷病院でドクター宗方(石原裕次郎)の手当てを受け、死なずに済むんだけど顔に酷い傷を負ってて、見舞いに来た幼い甥っ子が「こんな顔、久子姉ちゃんじゃない!」と言って泣きじゃくるという、そういう残酷さも『太陽~』には無いものだし、かつ『闘いの日々』から受け継いだ倉本イズムの一端だろうと思います。
そんなハードな描写があるからこそ、やがて久子が恐怖心を乗り越え、犯人のモンタージュ写真作成に協力するシーンは感動的だし、それを手がかりに刑事たちがカーチェイスの末に犯人を追い詰め、フルボッコにするクライマックスにはカタルシスを感じます。
シリーズが進むにつれそういったシビアさは薄れていき、放映枠が9時台から8時台に移った『西部警察』シリーズはひたすら明るい健全路線にシフト。それはそれで楽しいんだけど、やっぱりある程度のドラマ性を残した『大都会 PART II 』が一番見応えあります。
この第1話のラストシーンは、カーチェイス、パトカー炎上、そして銃撃戦を経て犯人を逮捕し、連行していく部下たちを見送りながら黒岩デカチョウが煙草に火を点ける。そこでスパッと幕を下ろすんですよね。
やがて定番化していく、渡さんや裕次郎さんの演歌をバックに描かれるエピローグが、この回には無い。それがまたハードボイルドでカッコいい!
スパッと終わる方がかえって余韻も残るし、レコードを売らなきゃならない事情も解るけど、ラストの演歌は無い方が良い……とまでは言わないけど無くても良い(途中のスナック場面における女性歌手の弾き語りはもっと要らないw)と私は思います。今さら言っても仕方ないけど。
それは『太陽にほえろ!』のラストシーン(刑事部屋におけるコント演出)にも言えることで、そういうルーティン的な演出が安定した視聴率に繋がる、みたいな法則が長丁場のテレビ番組にはあるんでしょう。確かに、無かったら無かったで淋しいかも知れません。
『大都会 PART II 』を彩る女優陣は、黒岩デカチョウの妹=恵子に仁科明子さん、黒岩に想いを寄せる渋谷病院看護婦=今日子に丘みつ子さん、同じく看護婦=典子に舛田紀子さん。← 舛田利雄監督の娘さんです。
そして第1話ゲストの永島暎子さんは当時21歳。前年に女優デビューされたばかりなのに安定の演技力で、この'77年には日活ロマンポルノ『女教師』で主演もされ、'83年の映画『竜二』では国内の助演女優賞を総なめにして一躍メジャーになられました。
本作が刑事ドラマの初ゲスト出演で、全ての出番を傷メイクの顔で演じる女優魂が買われたのか、第14話、第19話とやたら短いスパンで次々(それぞれ違う役で)ゲストに呼ばれてます。
ほか『七人の刑事』『鉄道公安官』『特捜最前線』『非情のライセンス』に各1回、『西部警察』に2回、『太陽にほえろ!』に3回ゲスト出演、『ジャングル』では桑名正博扮する小日向刑事の妻としてセミレギュラー出演されてます。
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