前回記事の、さらに追記です。私が今季の連ドラに興味が沸かない理由についての話です。
本屋さんで映画評論家の町山智浩さんが書かれた新書『映画には「動機」がある』を見かけ、前書きだけ読んで即座に購入しました。インターナショナル新書、税抜き820円です。
町山さんは映画を観た時、それが傑作であろうと駄作であろうと「なぜ、この人はこの映画を作ったんだろう?」って、まず考えるんだそうです。ああ、こっちだ!と私は思い直しましたw
たとえば『スター・ウォーズ』シリーズみたいなファンタジーでも、主人公のルークが宿敵ダースベイダーの正体が自分の父親だと聞かされ、雄叫びを上げるシーンに我々は心を揺さぶられちゃう。それが何故なのかを探求していくと、作者のジョージ・ルーカス氏が父親との確執にずっと悩んでた事実が浮上してくる。
つまり、ルーカス氏の心の震えが我々にも伝染しちゃう。我々自身が抱える似たような悩みと共鳴するワケです。
私が今季の連ドラに興味が沸かない理由の3つ目に挙げた「作者の魂が感じられない」をもっと具体的に言えば、そういった創り手の「動機」が見えて来ないって事なんですね。
今季の連ドラのラインナップから見えてくるのは「今の女性にはこれがウケるだろう」とか「これならクレームはつかないだろう」といった会議室のサラリーマンたちの動機だけで、現場にいるクリエイターたちの動機はまったく見えて来ません。
現場の人たちは多分、会議室の連中が決めた企画を請け負い、ただ注文に沿って作ってるだけ。創り手の心が震えてないから、我々視聴者の心も揺さぶられない。当たり前のことです。
私が『鬼滅の刃』にまったく興味がないのも同じ理由です。原作は少年ジャンプの漫画、すなわち統計に基づいて計算ずくでストーリーを編み出すメディアの代表格です。そこに作者の魂がこもってるとはどうしても思えない。作者の妹さんが実際に鬼……とまではいかなくとも難病を抱えておられたりすれば、私の心も少しは震えるかも知れませんが。不謹慎ですねm(__)m
それはともかく、私がいつも町山さんの文章に強く惹かれる理由も、これでよく解りました。映画にせよ連ドラにせよ、作品に求めてるものが似てるんですよね。
町山さんの映画評論には、必ず監督なりプロデューサーなりの生い立ちや、その企画に辿り着くまでの経緯が詳細に解説されてます。私が興味あるのもまさにそこで、技術面の話なんか正直どうでもいい。(町山さんは技術面についてもちゃんと解説されてますが)
だけど、大多数の観客や視聴者にとっては、たぶん「動機」なんかどうでもいいんでしょう。ストーリーが面白そうだから観る、流行ってるから観る。それが普通なんだろうと思います。
昭和ドラマにはまだ「動機」がしっかり見えてたワケです。共感できなかったことも多々あるけどw、その判断も動機が見えなきゃどうにもならない。
やっぱり作者との対話なんです、私にとっての作品鑑賞は。それが出来ない作品とは付き合いようがない。そういう事なんです。それこそどーでもええ話じゃ! 誰が興味あんねん!って言われたら、グーの音も出ませんがw
私のような素人が見ても全二十六話のクオリティが本当に高く、ここまでやる為に制作スタッフがどれだけ時間と労力を注ぎ込んだのかとため息が出そうになりました。(ご存知とは思いますがアニメ制作は本当にブラックな環境で、どれほどヒットしようが現場に還元されることはほとんどありません)
「この原作を元に俺たちが誰も見たことのない映像作品を作ってやる!!」作り手のそんな情熱が画面を破らんばかりに伝わってきました。(特に第十九話)
「鬼滅の刃」ハリソンさんの求めるものはないかもしれませんが、ここで引き合いに出されるのはあまりと言えばあまりと思い、一言書かせていただきました。
ただ、私が批判したかったのはテレビ局やタレント事務所やスポンサー、すなわち会議室にいる皆さんのことであって、現場で汗水流して働いてる人たちのことでは決してありません。それだけは解って頂きたいです。