一昨日(母が救急搬送される事態になった前日)、母の面倒をみてくれてる部署に私が立ち寄ったとき、ちょうど食事時間でスタッフから「(母に) 食べるよう促して欲しい」と頼まれました。
ダメもとでチャレンジしたけどやっぱりダメで、「僕が促すのは逆効果だと思う」と告げたら驚かれ、その流れでここ数日は完全無視されてること、そもそもウチの家庭には私が小学生だった頃から会話が無いことを話したら、若い女子職員がさらに驚いてこう言いました。
「そんなマンガみたいなことが本当にあるんですね!」
皮肉とかじゃなく、心底から驚いてたと思います。
いやいや、こないだ書いたようにウチみたいな家庭は古今東西いくらでも存在するし、暴力や犯罪に発展しなかっただけマシだと私は思ってます。
とはいえ、かなり少数派なのは確かでしょうから、多数派に属する(しかも若い)人がにわかに信じられないのも無理からぬこと。
ちなみに、そのとき居合わせた(彼女と私の中間にあたる世代の)女性相談員は「ウチの家庭にも似たところがある」と言って少し涙ぐんでました。
それはともかく、「そんなマンガみたいなことが!?」って3回ぐらい言ってた女子職員は、マンガを誤解してると思います。実際は逆。
マンガに限らず、小説や映画などのフィクションに登場する全てのキャラクターには、必ず実在のモデルが存在する。それは作者自身か、作者の周辺にいる(いた)人物、あるいはその複合体。
たとえ歴史上の偉人を描く場合でも、作者自身の想いを乗せないと観客のハートは揺さぶれない。このブログをちゃんと読んで下さってる(つまり画像だけが目当てじゃない)皆さんには釈迦に説法ですよね。
アニメの『サザエさん』にだって、突き詰めれば生々しいダークサイドがきっと見つかるはず。ただ、テレビに代表される一般メディアは、あの手この手でオブラートに包んじゃう。生々しい現実と向き合うのを大衆が嫌がる→視聴率を稼げないから。
その若い同僚は、若いがゆえにオブラートに包まれた家庭像しか知らない、あるいは知りたくないんだろうと思います。もちろん知らない方がハッピーゆえ、それでいいんだけど。
昨今の連ドラを観ると、極端に2分割されてるような感じがします。いい人しか出てこない癒やし系のドラマと、クルクルパーな人たちが裏切り合いを繰り返すゲーム系のドラマと。
私が昨年度ナンバー1に挙げたNHKの夜ドラ『VRおじさんの初恋』とて例外じゃありません(言うまでもなく前者のカテゴリー)。
生々しいのはネットで(フェイクも含め)イヤというほど見せられるから、テレビは(報道は別として)現実逃避の場でいいのかも知れません。けど、免疫を持たずに社会に出ていくのは如何にも危険。
そういう意味じゃ、テレビほどの制限がなく、若い人が取っつきやすいマンガはちょうど良い教科書なのかも?なんて、いろいろ考えさせられました。
PS. これを書いたあと母の見舞いに行ったところ、昨日より少しはラクになった様子だけど、いつ「そのとき」が来るか分からない状況は変わらず。
そして母の隣のベッドには、私が勤めてる施設の利用者さんが寝ておられました。母の入院先は(今回は救急搬送だったので)いつもの病院と違い、施設にほど近い(私が腎臓結石で入院したのと同じ)病院なのです。
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