ナーランダ・チューリップ仏教学院(17)
苦諦(くたい)という言葉があります.仏教学のテキストを開くと
はじめのほうに出てくる言葉です.釈尊がサールナートで初転法輪
(はじめて教えを説くこと)を回したときの教えにあるとされる
「四諦」のひとつです.「これが苦だ」という教えです.
そもそも私たち凡人には「これが苦だ」といわれても、案外それは
「楽」であったりしますから、「苦」を覚るだけでも容易なこと
ではありません.
それで何が「苦」だと言うのか、疑問ですよね.お釈迦様がご存命
ならぜひ、お聞きしたいことであります.
ありますが、いろいろな話を聞いておりますと、結局、人間、いつか
死ぬべき運命にあるから、それが「苦」だと言っているようです.
生まれてきたときから「死」に向かって進んでいる.まずこれが
根本的な「苦」.それから「死」に至るまでの何年からわからないが、
仮に80年とし、その80年間にある様々な「享楽」これを楽しんで
からそのお勘定書きが「死」というわけです.それで「苦」なのです.
人生は「苦」という仏教ですが、凡夫の私たちには、どうしても
理解に苦しみます.
「なんで?うまいもん食うて、温泉旅行して、風光明媚の景色を
楽しんで、かわいこちゃんを彼女にして、エッチもして、これの
どこが苦なのだ?」
わからないのですが、高僧の指摘するところでは、それはほんの
短いひとときの楽しみであって、生命を閉じる時から「苦」だと言います.
それでも私たち凡夫は言い返します.「あのな、坊さん、あるか
ないかわからんあの世のために、今を犠牲にするような説教するな!」
お坊さん曰く:あんたがた、よろしいか?死んで何にもなかったら、
そんでよろしいねんけどな.ほんまに死後の世界があったら、どない
しますねん.死んでからな、目の前に、三途の川が出てきたら、
腰抜かしまっせ.
「しまった.ほんまに三途の川って、あったんかいな.そんな殺生な!」
凡夫はこうゆうて嘆きますのや.それからは、あんた、知っての通りや.
悪人のあんたは、浅瀬は渡らせてもらわれへん.ピラニアのおるところ
を鬼が「渡れ」言いまっせ.怖い鬼でっせ.日本のやくざなんか、あんた
この鬼にくらべたら、羊やぞ.メェ~
それから言っておくが、そこではこの世と違って、「自殺」して逃れる
ということはできません.もう死んでまっさかい.
この世の楽しみ1秒、あの世の苦しみ百千万那由他阿僧祇劫.
そういうわけで、ちゃんと保険がわりに、仏教を学んで、いい行いを
せいだいしなはれや~!
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