写真は藤原ポートリーファームで買った卵のパッケージです。山陽道三木東インターを出てすぐ、志染小学校の近くにある養鶏場に小さい売店があり、『赤玉のアン』というちょっとシャレたようなダサいようなネーミングで、玉子かけご飯用の卵を売っています。六個入りを買いましたが玉子かけご飯にすると結構いけました。そのうちまた寄ってずっしりした玉子焼きと『赤玉のアン』を買うことにします。
イチゴが最盛期です。週末に孫たちが来て採りつくしても、三日もすればまた赤いイチゴがいっぱい採れます。そこでおじいさんおばあさんは今年も孫たちに宅配することにしました。バットに山盛りいっぱいずつ採って、すぐに宅配します。いつまでもできることではありませんが、あと数年もすれば孫は大きくなってしまいます。いまのうちに祖父母として点数をかせいでおきましょう。
この間から難渋しながら『聖断』の本を読んでいます。そしていっぱい思うことがあります。この『聖断』とは日本が仕掛けたあの戦争を終らせるために昭和天皇が御前会議で「無条件降伏でこの戦争をやめよう」と発言したことを指します。本の題名は『「聖断」虚構と昭和天皇』(纐纈<こうけつ>厚 著 2006年12月発行・新日本出版社)です。
著者・纐纈厚氏は1951年(昭和26年)生れで、山口大学文学部の教授をしており日本の近代現代史が専門です。戦後生まれですから「聖断」を感情を交えることなく歴史として研究できる世代です。去年読んだ『昭和天皇の終戦史』(吉田裕著・岩波新書・1992年発行)の著者は1954年(昭和29年)生れです。この世代の人たちによってこれから、あの日本の戦争の本当の責任者が明らかにされ、「聖断」神話によってなにを隠そうとしたかに日が当たるでしょう。
「ぼくらから上の世代の人たち一人一人は、どんなふうに『聖断』と『出会い』、いま『聖断』にどんな『思い』を抱いているか」が、ぼくの心をここしばらく占めています。
中学校でも高等学校でも『日本史』は習いましたが、明治時代まで習えばいいほうで、太平洋戦争まで習ったことはありません。先生もどんどん進んでそこまで教えるのは避けていたかもしれません。
でもぼくたちは、あの御前会議での昭和天皇・裕仁の『聖断』を、その後の人生のどこかで知りました。どんなふうに出会い、いまどう思っているか。それはぼくら一人一人の生き方とも関わっています。歴史上の御「聖断」のとき7歳だったぼくでも、あの戦争を仕切った当事者たちになんらかの感情を持つのですから、おそらく70歳代以上の人たちはさまざまな思いを抱いて生きてきたでしょう。あと二十年もしないうちにその世代の思いは消滅しますが、ぼくなりに引っ掛かってみたいと思っているのです。 (つづく)
イチゴが最盛期です。週末に孫たちが来て採りつくしても、三日もすればまた赤いイチゴがいっぱい採れます。そこでおじいさんおばあさんは今年も孫たちに宅配することにしました。バットに山盛りいっぱいずつ採って、すぐに宅配します。いつまでもできることではありませんが、あと数年もすれば孫は大きくなってしまいます。いまのうちに祖父母として点数をかせいでおきましょう。
この間から難渋しながら『聖断』の本を読んでいます。そしていっぱい思うことがあります。この『聖断』とは日本が仕掛けたあの戦争を終らせるために昭和天皇が御前会議で「無条件降伏でこの戦争をやめよう」と発言したことを指します。本の題名は『「聖断」虚構と昭和天皇』(纐纈<こうけつ>厚 著 2006年12月発行・新日本出版社)です。
著者・纐纈厚氏は1951年(昭和26年)生れで、山口大学文学部の教授をしており日本の近代現代史が専門です。戦後生まれですから「聖断」を感情を交えることなく歴史として研究できる世代です。去年読んだ『昭和天皇の終戦史』(吉田裕著・岩波新書・1992年発行)の著者は1954年(昭和29年)生れです。この世代の人たちによってこれから、あの日本の戦争の本当の責任者が明らかにされ、「聖断」神話によってなにを隠そうとしたかに日が当たるでしょう。
「ぼくらから上の世代の人たち一人一人は、どんなふうに『聖断』と『出会い』、いま『聖断』にどんな『思い』を抱いているか」が、ぼくの心をここしばらく占めています。
中学校でも高等学校でも『日本史』は習いましたが、明治時代まで習えばいいほうで、太平洋戦争まで習ったことはありません。先生もどんどん進んでそこまで教えるのは避けていたかもしれません。
でもぼくたちは、あの御前会議での昭和天皇・裕仁の『聖断』を、その後の人生のどこかで知りました。どんなふうに出会い、いまどう思っているか。それはぼくら一人一人の生き方とも関わっています。歴史上の御「聖断」のとき7歳だったぼくでも、あの戦争を仕切った当事者たちになんらかの感情を持つのですから、おそらく70歳代以上の人たちはさまざまな思いを抱いて生きてきたでしょう。あと二十年もしないうちにその世代の思いは消滅しますが、ぼくなりに引っ掛かってみたいと思っているのです。 (つづく)