昼は山や畑の仕事をし、夜はブログを書くので、読書には熱が入りません。でも最近読んだ本のことでいまは重い気持ちです。本の題は『ナチ占領下のパリ』(長谷川公昭著・1986年草思社刊)。
これは、ナチス・ドイツに占領されたパリで「祖国愛と正義感に燃えて」パリ市民がドイツ軍に対してレジスタンス運動を展開するという立派なお話ではありません。ナチスドイツはパリで何をしたか、パリの市民はどう対応したかという事実を書いてあります。この本は戦後40年たった1986年に出版されました。パリを解放した連合軍とドゴール将軍の勇ましい話は一行もありません。パリ市民はイギリスに逃げ、彼の地から放送で「解放!」とほざくドゴールを敗けて逃亡した将軍と見ていたし、パリでレジスタンスの中心になったのはフランス共産党でした。
ドイツ軍の物資徴発で赤ん坊が餓死するような窮乏生活を市民が強いられても、自動車会社ルノーのようにドイツ軍に取り入って甘い汁を吸った会社も、ココ・シャネルのようにドイツ軍将校と恋をした人も少なくありません。一方でドイツ軍と勇敢に闘おうとレジスタンスに身を投じた人もパリ市民の0,5パーセントはいたそうです。その中には捕まってドイツ軍に寝返り、スパイとなって抵抗分子を密告した人もいました。
その中の一人のお話が胸につかえたままです。
ドイツへの抵抗運動の大物アンリ・フルネは1941年(昭和16年)頃からゲシュタポにつけねらわれています。(パリ占領は1940年でした)フルネの側近としてドイツへの抵抗運動をする一人に《ジャン・ポール・リャン》というアルザス生れの29歳になる鉄道員がいました。彼は途中からドイツ軍に寝返り、仲間を次々とドイツ軍に密告します。そうして手にした法外なお金はモンテカルロでギャンブルに注ぎ込みます。のちにイギリス系の対独抵抗運動組織《アリアンス》にももぐり込み、仲間や幹部を次々とゲシュタポに密告します。その報酬もギャンブルに注ぎ込みます。彼はフランスの解放後処刑されますが、本にはこう書いてあります。
リャンの裏切りによって逮捕されたアリアンス系の運動家たちが、少なくとも138人はいたことが確認されている。
本には、捕まえた運動家にゲシュタポがどんなひどい拷問をしたかも書いてあります。拷問に手を下したのがゲシュタポの手先になったフランス人で、ドイツ人よりひどいやり方をしたとも書いてあります。こんなことはどこの戦争でもいくらでもあったでしょう。正義なんて後付けでなんとでもいえますから。
でもぼくらのすぐ上の世代が、「純粋に愛国心と正義感に燃えて」予科練に志願したり満蒙開拓青少年義勇軍に志願したのは歴史の事実なのです。彼らは80歳を越してもまだ「世の中」と「少年の熱血」の折り合いをつけられないまま人生を終えようとしています。戦時下の国民の窮乏や受難は伝えられますが、ひどいことをした者、甘い汁を吸った者はそのままです。例えば旧満州で細菌や毒ガスの人体実験を行った731部隊のように不問のままです。敗戦のどさくさの中での物資隠匿も、不合理な徴兵も、報復のような軍の作戦も、民衆を見捨てたことも、「戦争だったのだから仕方がない」ではすまされない。すませてはいけない。どうしてもそんな思いがからみついてくるのです。まとまりませんが、この思いはぼくにずっとついてまわります。
これは、ナチス・ドイツに占領されたパリで「祖国愛と正義感に燃えて」パリ市民がドイツ軍に対してレジスタンス運動を展開するという立派なお話ではありません。ナチスドイツはパリで何をしたか、パリの市民はどう対応したかという事実を書いてあります。この本は戦後40年たった1986年に出版されました。パリを解放した連合軍とドゴール将軍の勇ましい話は一行もありません。パリ市民はイギリスに逃げ、彼の地から放送で「解放!」とほざくドゴールを敗けて逃亡した将軍と見ていたし、パリでレジスタンスの中心になったのはフランス共産党でした。
ドイツ軍の物資徴発で赤ん坊が餓死するような窮乏生活を市民が強いられても、自動車会社ルノーのようにドイツ軍に取り入って甘い汁を吸った会社も、ココ・シャネルのようにドイツ軍将校と恋をした人も少なくありません。一方でドイツ軍と勇敢に闘おうとレジスタンスに身を投じた人もパリ市民の0,5パーセントはいたそうです。その中には捕まってドイツ軍に寝返り、スパイとなって抵抗分子を密告した人もいました。
その中の一人のお話が胸につかえたままです。
ドイツへの抵抗運動の大物アンリ・フルネは1941年(昭和16年)頃からゲシュタポにつけねらわれています。(パリ占領は1940年でした)フルネの側近としてドイツへの抵抗運動をする一人に《ジャン・ポール・リャン》というアルザス生れの29歳になる鉄道員がいました。彼は途中からドイツ軍に寝返り、仲間を次々とドイツ軍に密告します。そうして手にした法外なお金はモンテカルロでギャンブルに注ぎ込みます。のちにイギリス系の対独抵抗運動組織《アリアンス》にももぐり込み、仲間や幹部を次々とゲシュタポに密告します。その報酬もギャンブルに注ぎ込みます。彼はフランスの解放後処刑されますが、本にはこう書いてあります。
リャンの裏切りによって逮捕されたアリアンス系の運動家たちが、少なくとも138人はいたことが確認されている。
本には、捕まえた運動家にゲシュタポがどんなひどい拷問をしたかも書いてあります。拷問に手を下したのがゲシュタポの手先になったフランス人で、ドイツ人よりひどいやり方をしたとも書いてあります。こんなことはどこの戦争でもいくらでもあったでしょう。正義なんて後付けでなんとでもいえますから。
でもぼくらのすぐ上の世代が、「純粋に愛国心と正義感に燃えて」予科練に志願したり満蒙開拓青少年義勇軍に志願したのは歴史の事実なのです。彼らは80歳を越してもまだ「世の中」と「少年の熱血」の折り合いをつけられないまま人生を終えようとしています。戦時下の国民の窮乏や受難は伝えられますが、ひどいことをした者、甘い汁を吸った者はそのままです。例えば旧満州で細菌や毒ガスの人体実験を行った731部隊のように不問のままです。敗戦のどさくさの中での物資隠匿も、不合理な徴兵も、報復のような軍の作戦も、民衆を見捨てたことも、「戦争だったのだから仕方がない」ではすまされない。すませてはいけない。どうしてもそんな思いがからみついてくるのです。まとまりませんが、この思いはぼくにずっとついてまわります。