古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

戦争に正義はないのですね。

2011年05月01日 23時16分24秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 昼は山や畑の仕事をし、夜はブログを書くので、読書には熱が入りません。でも最近読んだ本のことでいまは重い気持ちです。本の題は『ナチ占領下のパリ』(長谷川公昭著・1986年草思社刊)。
 これは、ナチス・ドイツに占領されたパリで「祖国愛と正義感に燃えて」パリ市民がドイツ軍に対してレジスタンス運動を展開するという立派なお話ではありません。ナチスドイツはパリで何をしたか、パリの市民はどう対応したかという事実を書いてあります。この本は戦後40年たった1986年に出版されました。パリを解放した連合軍とドゴール将軍の勇ましい話は一行もありません。パリ市民はイギリスに逃げ、彼の地から放送で「解放!」とほざくドゴールを敗けて逃亡した将軍と見ていたし、パリでレジスタンスの中心になったのはフランス共産党でした。
 ドイツ軍の物資徴発で赤ん坊が餓死するような窮乏生活を市民が強いられても、自動車会社ルノーのようにドイツ軍に取り入って甘い汁を吸った会社も、ココ・シャネルのようにドイツ軍将校と恋をした人も少なくありません。一方でドイツ軍と勇敢に闘おうとレジスタンスに身を投じた人もパリ市民の0,5パーセントはいたそうです。その中には捕まってドイツ軍に寝返り、スパイとなって抵抗分子を密告した人もいました。
 その中の一人のお話が胸につかえたままです。
 ドイツへの抵抗運動の大物アンリ・フルネは1941年(昭和16年)頃からゲシュタポにつけねらわれています。(パリ占領は1940年でした)フルネの側近としてドイツへの抵抗運動をする一人に《ジャン・ポール・リャン》というアルザス生れの29歳になる鉄道員がいました。彼は途中からドイツ軍に寝返り、仲間を次々とドイツ軍に密告します。そうして手にした法外なお金はモンテカルロでギャンブルに注ぎ込みます。のちにイギリス系の対独抵抗運動組織《アリアンス》にももぐり込み、仲間や幹部を次々とゲシュタポに密告します。その報酬もギャンブルに注ぎ込みます。彼はフランスの解放後処刑されますが、本にはこう書いてあります。
 
 リャンの裏切りによって逮捕されたアリアンス系の運動家たちが、少なくとも138人はいたことが確認されている。

 本には、捕まえた運動家にゲシュタポがどんなひどい拷問をしたかも書いてあります。拷問に手を下したのがゲシュタポの手先になったフランス人で、ドイツ人よりひどいやり方をしたとも書いてあります。こんなことはどこの戦争でもいくらでもあったでしょう。正義なんて後付けでなんとでもいえますから。
 でもぼくらのすぐ上の世代が、「純粋に愛国心と正義感に燃えて」予科練に志願したり満蒙開拓青少年義勇軍に志願したのは歴史の事実なのです。彼らは80歳を越してもまだ「世の中」と「少年の熱血」の折り合いをつけられないまま人生を終えようとしています。戦時下の国民の窮乏や受難は伝えられますが、ひどいことをした者、甘い汁を吸った者はそのままです。例えば旧満州で細菌や毒ガスの人体実験を行った731部隊のように不問のままです。敗戦のどさくさの中での物資隠匿も、不合理な徴兵も、報復のような軍の作戦も、民衆を見捨てたことも、「戦争だったのだから仕方がない」ではすまされない。すませてはいけない。どうしてもそんな思いがからみついてくるのです。まとまりませんが、この思いはぼくにずっとついてまわります。
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妙子さんの『白寿』を祝いました。

2011年05月01日 01時38分14秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは、わが母妙子さんの子らが集って彼女の『白寿』を祝いました。満98歳になる母の子らもそれぞれ年寄りになりました。気づかいで疲れないよう孫やひ孫のお呼びはなし。
 写真は我が家の前庭で撮りました。ぼくらは用事していて写ってません。妙子さんは、リビングストンがアフリカ探検でかぶった帽子のようにも見えますがおしゃれな帽子をかぶり、一世一代の正装です。この日のために帽子と服とカバンを新調しました。着こなしに難が多少あるように見えますが、お出掛けファッションになれてないもので。なにしろふだんは山に上がり、花バサミで竹の枝を切り刻むのを日課にしていますから。白寿といえば100年に一度のお祝い。長い人生でも一度しかありません。それが無事に終ってよかった。
 オランダで生れた孫に会いに行った妹に「兄ちゃんのブログ、オランダで見たで」といわれてびっくりしました。えらい時代になったものです。そうそう「近いうちに買って使い方になれておこう」と思っていた<iPad>ですがまだ。ガラパゴスが出たとか新型が出たとか……。どこまでも新製品についていくつもりはありませんが、文字の大きさを自由に変えられ、本屋や図書館で本を物色しなくてもいいし、本が読める程度には使いなれておきたいと思っています。ブログの書き方を教えてもらい、設定してもらった人に「この製品はだんだん広がっていくような気がするけど、いつになったら買ってもいいでしょう」たずねたら「もう買われてもいいでしょう」と言われました。あれからでも一年になるなー。人はかように思いつつ老い、死んでいくのかなー。
 でもやっぱり畑仕事、山仕事、大工仕事に心が向いていきます。「あれをしなければ……」という義務感やストレスでなく、「たのしくこなしていく」仕事なのです。
  
 
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