押し入れを片づけていた時、書類の中から親父の軍隊履歴を発見した。その記録をパソコンに残し書類は廃棄することにした。
当時のことは母から聞いていた。「有田郡から同じく南方に行った5人の内、生きて戻ってきたのは父一人だけだった」と。
親父からは、南方での話を何度か聞いたことがある。よく無事だったと思ったのは、乗っていた船が敵の潜水艦に撃沈されたことだった。『海に飛び込んだ。救助の船が来たが、同じところに長く停船すると攻撃されるので、ちょっと停まっては救助し・ちょっと停まっては救助しの繰り返しだったので、一晩中泳いでやっと救助してもらった』
<履歴から抜粋>
昭和6年12月1日 補充兵役編入
昭和16年7月31日 臨時招集 歩兵第37連隊補充隊の応召(赤紙が来た?) 陸上勤務第89中隊に編入
竜江省竜江県、牡丹江省寧安県、吉林省長春県(第27野戦貨物廠勤務中隊に編入)、パラオ、ニューギニア、パラオ再上陸、ハルマヘラ(第2方面軍野戦貨物廠に転属)
<昭和20年8月15日の終戦時はハルマヘラ島にいた。陸軍伍長だった>
昭和21年6月4日 和歌山・田辺港上陸、翌日復員
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履歴書をみながら、全て1つ1つGoogleマップで行った場所を調べた。所属部隊や南方での当時の状況に関する情報もネットで収集した。驚くしかなかった。南方での壮絶さには唖然とした。胸が熱くなってきた。母の言う通りだった。「よく生きて帰って来てくれた・・・」
今は俗世界とは違う対岸の「彼岸」に住む親父、今は安楽に過ごしてると思えば心が和らいでくる。