今日の似顔絵の主は、少々大人びて見えました。
韓流スターの雰囲気でした。
本人は、それほどと思ってはいないでしょう。
無くして初めて、それはとっても大事なことだったんだなと気づきます。
果たして。
今日のテーマは、「ないものねだり」です。
そこにないものを無理を言ってほしがること。
実現が難しいことを承知で求めること。(広辞苑より)
「ないものねだり」はないものを欲しがること。
ほとんどの7場合、目の前にある幸福に気づいていない。
欲が深いのか、少しの幸福に満足しないからです。
幸福に気づこうとしない。当たり前のことだと思うからです。
幸福を創ろうとしない。面倒で大変なことだからです。
幸福を分かつ人がいない。どうして、頑張るのかわからなかった。
幸福は、比較論で考えるときりがありません。
幸福は、与えられるものだと考える方がまだましになります。
幸福を作るのは、いかにも怪しげです。
ないものねだり。
あるものに気づかずと裏返しのような言葉です。
誰しも、あとであれが幸福なことだったのかと気づきます。
でももう遅い。もう元には戻らない。
もし、元に戻りたいと思うなら、それも「ないものねだり」です。
あんなに辛抱強くて優しかった母が認知症になったとたん、
我儘を言いはじめ、毒づくようになる。
うつになって、自分と向き合うことになる。
気づかなった自分を知ることになる。
やっと仲良くなった隣の人と、転勤を機に別れることになる。
「ないものねだり」は、向上心のように映りますが、
実は「棚ぼた」を期待して、三年寝太郎になることのように思います。
幸福だったと気づくのもよし。
もうちょっとと頑張るもよし。
どんなことになろうと、あわてない。
例え、刑務所に入ることになろうとて楽しめるだろう。
お話青い鳥にあるように、結局幸福は身近にあったということになる。
「ないものねだり」でなくても生きられることが素晴らしいことになる。
ただ、人は幸福を実感したい。
ならばと、口に出して言ってみれば良いことです。
醜いことも、嬉しいことも表現してみれば、
なんとなく自分の中から、人から伝わってくるのです。
それが幸福かもしれない。
好きだよと 言って初めて 私もよ
2016年12月5日