
青梅街道を西に向かって走っていました。
雷雲が、夕日にかぶりました。
なんでもない風景です。
でもきれいでした。
今日のタイトルは、「昔からこうだった」です。
私の好きな言葉の一つです。
プロジェクトエンジニアーをやっている頃、
同じプロジェクト(新工場や改造工事)はなく、毎回違う食品工場を作ってきました。
ある時は、建築工事から中の機械工事まで全てを請け負いました。
特に改造工事は、気を使いました。
これまでの機能を殺さず、新技術を取り入れました。
能力は、後ろの行程になるほど少しずつ高いように設計しました。
再稼働した時の感じが、「昔からこうだった」と違和感がないことが大事なことでした。
改造工事は、「部分最適」になりがちでした。
それは、プロジェクトの精神から外れるものでした。
改造工事後も、常にバランスのとれた「全体最適」でなくてはならない。
改造工事が部分最適になった場合、改造したプロセスの前後は、
仕掛品の在庫ばかりが増えてしまいます。
そのためのストックヤードが必要になり、
全ての動線(人、物)を分断することになります。
地域おこしも同様です。
箱モノの何かを創ると、そこだけに注目が集まり、
ドーナツ化現象とシャッター街を新たに作ることになります。
道の駅などが良い例です。スーパーマーケットもそうです。
これまで、B級品も一様に売れていたのが売れなくなります。
流通サイドの理由がまかり通ることになるからです。
納期短縮で納入業者のトラックが列をなし、
消費期限の延長で、保存料が使用され物本来の味が殺されて行きます。
シャッター街の看板が、放置されたままさらに憂鬱さを助長します。
これは、地域おこしにおける「部分最適」の一つの例です。
静かな改良は、地域においては「再生」と言って、
立て直しやリニューアルで、バランスが崩れない「全体最適」でした。
空き家が増えるのは、建売業者とてっとり早く結果を出したい行政が作り出すものです。
新興団地が、街にとけ込めるためには時間がかかります。
建て替えではないため、空き家が増えることになり、放置されて行くことになります。
これも「部分最適」の例です。
地域おこしで必要な考え方が、「昔からこうだった」です。
部分最適の地域おこしでは、「昔はこうだった」となります。
「昔からこうだった」は、全体最適に近い考えで、
緩やかな改善の積み重ねとなります。
人口の増減によって、コンパクトシティー構想が現実化するものです。
地域の成り立ちは、地域内でサービスと資金が流動していたからです。
大手業者が、サービスを引き受けることで、
地域に分散していたサービス網が寸断されます。
資金の一方的な流れで、地域は疲弊していきます。
これに対抗する考え方として、ニッチに特化するサービスです。
小さな便利屋が地域のために存在する。
地域の仕事を優先する。
強い部分を売りにし、弱い部分は仲間内で回すようなサービスです。
大工の棟梁がそうでした。
今は大手ゼネコンに時間売りをするようになりました。
手間暇かけてが実情です。
安直に一発で解決する手段などないのです。
イベントもお祭り騒ぎとなり、いつしか飽きられていきます。
六次産業化の本髄を見極めなければなりません。
加工する業者、販売する業者だけが有利になりやすいからです。
強いものを作る人にも恩恵がある六次産業化が求められます。
強い物とは、その地域での特産品です。
長い時間かけて作りだした先人の知恵の結集です。
B級品の責任だけを取らされることになります。
「昔からこうだった」は、次回さらに考えを進めることにします。
2017年5月26日
草が消え 通りにぎわい 笑顔増え