故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

東京都下

2017-05-11 06:38:58 | よもやま話

小説「さなさん」に出てくる海軍少尉の背中の刺青「おかめ」の絵です。
なんで、刺青なんか背負わせたのよ。と友人に言われた。
答えが出せないまま、次の小説を書きだせないでいる。


私の新入社員研修は、東北でした。
ひたすら米の乾燥機用に消火器を売る毎日でした。
その頃、乾燥機を使用中火災でも起きたのでしょうか。
訳もわからず、代理店営業マンとペアになって、農家を訪ねました。

東北弁が、まったく理解できませんでした。
「おまえ、馬鹿と言われてもわかんめえ」と言われからかわれました。
新型の籾摺機を勧めたら、「腿摺機」なら買ってやるぞとからかわれました。

頑張り過ぎて、宿舎に帰るのが夜になりました。
田植え前のたんぼを抜ける時、湖の中の一本道を通るようでした。

秋田での営業は、1升瓶2本から始まると聞かされました。
共に空けて、初めて会話が始まるのだと。
それまでは、黙々と飲むだけ。
鶴岡で食用蛙、秋田の料亭できりたんぽをご馳走になって、研修は終わりました。

恋人の待つ東京へ帰りました。
国分寺の駅を降りて、坂道を下りました。
欅の淡い新緑がまぶしかったのを覚えています。

今日のテーマは、「東京都下」です。
私の東京都下は、中央沿線です。それも東小金井から立川まで。
大学に通っている頃、東小金井の駅を降りると、両側の道は土埃が立つ道でした。
畑には、芝生が植えらえていました。
この辺りは、植木の栽培が盛んで緑に溢れていました。
中央線は、地面を走っており「開かず」の踏切が多かった。

学生時代に引っ越しを何度かしました。
最初は、電車で。
次は、リヤカーで。
三回目は、先輩から借りた乗用車でした。
トラックを使ったことは、一度もありませんでした。
下駄を履き、腰に手ぬぐい。
冬になると、寮を出てくる学生は、皆ちゃんちゃんこを着ていました。
東北の各県から来たものが多かった。
横浜から通う友人の言葉の「何々じゃん」がまぶしかった。

寒げいこの前に雑巾がけをすると、うっすらと氷が張った。
夜のバイトから帰ると、シャワーで身体をきんきんに冷やし勢いで寝た。
大汗をかいて、起きだした。
植木の花を見るのは、毎日のこと。
庄司薫の小説「赤ずきんちゃん気をつけて」が芥川賞をとり、
「斉藤さんちの木蓮」のフレーズを口ずさみながら、国分寺の駅から大学まで通った。

立川で、家庭教師のアルバイトがあった。
三人の候補者が、腕相撲で息子(高校生の教え子)に挑戦した。
勝ったのは、私だけ。即採用。
クラスで52番だった息子を次の試験で3番に押し上げた。
背中に刀傷のある鳶の棟梁の親父さんから感謝された。
緊張して、お礼を言われるのを聞いたよな。

東京都下は、緑に溢れていた。
苦い青春の傷跡も一杯溢れていた。

刺青に 牡丹の花の 薄明り

2017年5月11日
コメント
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