小説「さなさん」に出てくる海軍少尉の背中の刺青「おかめ」の絵です。
なんで、刺青なんか背負わせたのよ。と友人に言われた。
答えが出せないまま、次の小説を書きだせないでいる。
私の新入社員研修は、東北でした。
ひたすら米の乾燥機用に消火器を売る毎日でした。
その頃、乾燥機を使用中火災でも起きたのでしょうか。
訳もわからず、代理店営業マンとペアになって、農家を訪ねました。
東北弁が、まったく理解できませんでした。
「おまえ、馬鹿と言われてもわかんめえ」と言われからかわれました。
新型の籾摺機を勧めたら、「腿摺機」なら買ってやるぞとからかわれました。
頑張り過ぎて、宿舎に帰るのが夜になりました。
田植え前のたんぼを抜ける時、湖の中の一本道を通るようでした。
秋田での営業は、1升瓶2本から始まると聞かされました。
共に空けて、初めて会話が始まるのだと。
それまでは、黙々と飲むだけ。
鶴岡で食用蛙、秋田の料亭できりたんぽをご馳走になって、研修は終わりました。
恋人の待つ東京へ帰りました。
国分寺の駅を降りて、坂道を下りました。
欅の淡い新緑がまぶしかったのを覚えています。
今日のテーマは、「東京都下」です。
私の東京都下は、中央沿線です。それも東小金井から立川まで。
大学に通っている頃、東小金井の駅を降りると、両側の道は土埃が立つ道でした。
畑には、芝生が植えらえていました。
この辺りは、植木の栽培が盛んで緑に溢れていました。
中央線は、地面を走っており「開かず」の踏切が多かった。
学生時代に引っ越しを何度かしました。
最初は、電車で。
次は、リヤカーで。
三回目は、先輩から借りた乗用車でした。
トラックを使ったことは、一度もありませんでした。
下駄を履き、腰に手ぬぐい。
冬になると、寮を出てくる学生は、皆ちゃんちゃんこを着ていました。
東北の各県から来たものが多かった。
横浜から通う友人の言葉の「何々じゃん」がまぶしかった。
寒げいこの前に雑巾がけをすると、うっすらと氷が張った。
夜のバイトから帰ると、シャワーで身体をきんきんに冷やし勢いで寝た。
大汗をかいて、起きだした。
植木の花を見るのは、毎日のこと。
庄司薫の小説「赤ずきんちゃん気をつけて」が芥川賞をとり、
「斉藤さんちの木蓮」のフレーズを口ずさみながら、国分寺の駅から大学まで通った。
立川で、家庭教師のアルバイトがあった。
三人の候補者が、腕相撲で息子(高校生の教え子)に挑戦した。
勝ったのは、私だけ。即採用。
クラスで52番だった息子を次の試験で3番に押し上げた。
背中に刀傷のある鳶の棟梁の親父さんから感謝された。
緊張して、お礼を言われるのを聞いたよな。
東京都下は、緑に溢れていた。
苦い青春の傷跡も一杯溢れていた。
刺青に 牡丹の花の 薄明り
2017年5月11日