「さざ波」というタイトルです。
今日のテーマは、「身辺整理」です。
子のためというより自分のためです。
一年以上、音信不通のメールを削除しました。
いつかは役に立つと集めた情報も捨てました。
これで軽くなったとも思えません。
柵(しがらみ)は、捨てきれぬものです。
身動きがとれぬほど溜め込んだものを整理するだけです。
若い人と音信不通になるのは辛いものがあります。
半年ぶりにメールをくれました。
やはり、心配した通り心身共に疲れ切っていたようでした。
若い人を励ますことはできないものです。
黙って聞いてあげるしかない。
あなたの友人でサポーターです。
若い人にとって、心を許せる人かどうか判断をするのは簡単ではないようです。
歳をとると、自分とは合わない人と上手に付き合えるようになります。
音信不通となり、いつしか忘却の外。
そのレンジが短くなるだけです。
若い時は、記憶容量も大きく、感情の高ぶりを抑えることも長くかかります。
気にかかっていたことを片付けています。
草取りも、畑の手入れもその一つでした。
やっと、一段落です。
気にかかることは、手当たり次第に始めます。
中途半端でも仕方がないと、諦めます。
諦めるための手続きのようなものです。
軽くなれば、本当に付き合いたい人ややりたいことが鮮明に見えてきます。
悩むことはありません。
気にかかることをやれば良いのです。
ずーっと気にかかるからです。
力不足と時間との闘いです。
どうしてもやらなければならぬことが、網の上に残ります。
あとのどうでも良いこととなったものは、網から抜けていくものです。
私は、コーヒーを淹れるのに、
紙フィルター、布フィルター、パンチングフィルターと使い分けています。
豆に併せて、粒度も一人分の量も変えています。
浅煎りは、粒度を粗くし豆の量を増やしじっくりと布フィルターで淹れています。
「アッサリサー」、「あっけらかん」と生きたい。
朝露が ポトリと落ちて 消えていく
2017年5月31日