絵のタイトルは、「ゴッドママ」です。
貧乏人の子だくさんです。
苔あおし 宿木朽ち果て 新命吹く
私は60歳の同窓会で、私が小学校5年生の時の先生の問いに応えようとした。
「われは、なして泣いとるんじゃ」
「皆の前で、自分で繕いをしているお前を褒めたのに」
半世紀前の私の気持ちは複雑だった。
繕いは、仕方なくやったこと。
本当は、忙しい母に縫ってほしかった.
褒められても、嬉しくなかった。
本当の気持ちを先生に伝えられないもどかしさと
自分に正直になれない悔しさだけを覚えていた。
今日のタイトルは、「先祖返り」です。
先祖ということを話すつもりはありません。
半世紀ほどの年月を経て、母に甘えたかった少年の切なさを思い出しただけです。
田舎が嫌で都会に出た。
世間知らずが、仕事を教えてもらい何とか食べることができるようになった。
うまく立ち回り、給料を増やしていった。
入るだけ出ていくことに気づくまで時間はかからなかった。
さらに増やすことばかりを考えてしまった。
増えさえすれば、生活を維持できる。
個人の時間まで仕事に捧げ、増やしてきた。
貧乏人は、仕事もない。
ゆえに、癒しどころによることもなく、まっすぐ家に帰る。
暖房さえも満足にない家で、家族がともに温めあいながら貧しい夕食を共にした。
金を稼ぐようになったら、付き合いも多く、磨くことも必要とされた。
お金は入った。
仕事も広範囲になった。
金が離れる家族をつなぎ壊していった。
より合わなくても、それぞれが幸せを得られる。
離職率は低いが、離婚率は高いという現実に向き合うことになった。
貧乏人は、毎日全員が食卓を囲み、一日あったことを話し合った。
一年に二回しか子供に会えない気帆船の船長は、子供にモダンな服と田舎にはないおもちゃを与えた。
子供はモダンな服を着て学校に行き、いじめられた。
珍しいおもちゃは、取り合いになった。
母が眠りながら編んでくれたセーターは、網目が飛んでいた。
しかし、温かったことを覚えている。
半世紀の「先祖返り」は、生きてきた時間を無駄にはしなかった。
2023年8月15日