故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

友より便り

2019-01-21 08:16:46 | プロジェクトエンジニアー

今日のテーマは、「友より便り」です。
外資系会社で、一緒に仕事をしたスイス人から便りが来ました。
彼が私の上司だったころ、前勤めていた会社の顧客から仕事を依頼されました。
私宛の仕事でした。エンジニアリングオンリーで、外資系会社の機械は一つも売れない代物です。
売り上げが不足していた上司の彼は、しぶしぶ承知しました。
売り上げだけあげて、詳しいことは本社に内緒にしようとのことで、仕事を受けました。
会社のメンバーではこなせないので、前職で先輩だった方に助けていただけないかと打診しました。
先輩は、67歳。使ってもらって足りなかったらいつでも首にしてくれとメンバーに加わってくれました。
新入社員と3人でチームを作り、エンジニアリングオンリーの仕事をさせていただきました。

なぜ、彼は承知してくれたのか後にわかりました。
エンジニアリング出身でした。
その後も、エンジニアリングだけの仕事をし、機械も売って周辺のエンジニアリングもするというように、
彼と一緒に事業を拡大していきました。
彼も私も、すこぶる女好きでした。
かみさんに隠れて悪さをすることも、しばしば。
彼のポケットに入っていた源氏名の名刺を、彼の奥さんが見つけました。
私のために名刺を保管していたと、苦しい言い逃れをしたため、奥さんの私に対する評判は大変悪かった。
ダーリンを悪の道に誘わないでと、よく注意されました。

仕事では、彼とよくぶつかりました。
至近距離にいながら、話すのはメールだけという月もありました。
ばかやろうと、本気で言えた初めての外人でした。
日本支社の社長になりそこねて、会社を辞めました。
残念でしたが、仕方がない。

彼のエピソードはたくさんありますが、ひとつだけ紹介しましょう。
女遊びがたたったのか、子どもができませんでした。
養子をもらうことに決めた夫婦は、地球の反対側に通うこと一年。
やっと、養子縁組が整いました。
できて産まれるまで一年です。当たり前のことなんだと彼は言っていました。

彼は、今スイスにいます。
公私ともに楽しいひと時を過ごしていただきました。
ありがとう。

凍てつくも 梅が咲くまで 便りくる

2019年1月21日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Slow life

2019-01-20 10:18:04 | プロジェクトエンジニアー

Salzburg にあった教会の地下道です。
ろうそくと鉄板に刻んだ紋様です。壁に映って揺らぐおどろおどろの世界です。
たったこれだけのことなんです。私の脳裏はいつまでも覚えています。


今日のたいとるは、「Slow life」です。
Wikipediaによると、
1990年頃のバブル景気中に、ファストフードに代表される大量生産・高速型のライフスタイルや、
モータリゼーションの進展による都市の郊外化が進んで行った。
これに伴い、全国各地には郊外型ショッピングセンターやロードサイドショップが急増し、
中心市街地の空洞化(ドーナツ化現象)やスプロール現象が進行している。その結果、
地方都市が画一的な様相を呈する傾向にある。
これに対して、有機農産物や地元産の農産物が奨励されたり(地産地消運動)、
沈着型でゆっくりした生活様式を唱える動きが出たりするようになった。
これをまちづくりに応用した思想は、「ニューアーバニズム」とも言われている。
(Wikipedia より抜粋)

家を買うときに大事にすることって何でしょう。
私は、いろんな職種の人が住んでいる街を選びました。
その町の商店街は、次から次に世代が変わっていきました。
シャッター街にならずに、畳んだ店舗跡ですぐに若い人が新しい店を始めました。
古くからある靴店は、常に「閉店セール」を謳っていました。
10年以上閉店セールを続けていました。
裏通りにあった燃料店が廃業したあとに、鉛筆ハウスが3軒建ちました。
確かに、お年寄りが住んでいる一軒のしもた屋の両側は、コイン駐車場でした。
何を待っているのかなと思ったものです。

駅に近く、緑が多い方がよい。
ハードを追うと、ソフトが見えてこなくなる。
今はいいけど、10年後また20年後は求めるものが変わってくる。
自分も変わってくる。
変化に強い地域というのは、永年の知恵がある。
短期的にも魅力がある。
欲しいものが、そこにある。
欲しいものの代わりになるものがある。
つまり、多機能で柔軟性がある。

駅に近いと言っても、そのうちインターネットが普及し在宅で仕事ができるようになる。
駅のファクターが小さくなる。
神社があれば、広場にもなるし信心深い人の通う場所になる。
緑がある。
人々が求める機能がある。
長い時間をかけて淘汰され残ったものがある。

スローライフは、地産地消を生む。
よくあるのは、地産地消が先に来て、何か新しいもの(特産物など、道の駅)を作らなくてはとなる。
良いものがあって、美味しく食べさせる知恵がある。
いつまでたっても廃らない食文化となる。
その食文化に人が引き寄せられる。

蔵カフェを始める前に気を付けたことが一つだけあります。
カフェ2階のどこから見てもすべてが見える空間にしようと思いました。
夜の予約人数に合わせて、自由にレイアウトが変えられるように空間を設計しました。
入り口をどこからでも見える(一元管理)ようにしました。
よちよち歩きの子どもの安全は、入り口だけを見ていればよいのです。
あとは、子どものおまかせです。椅子机だって子どもにとっては遊び道具です。
2階からよく飛ぶ音が聞こえます。
蔵は、重量物を保管する場所だから梁も太くピッチも狭い。

蔵の2階には、畳、電気カーペット、ソファ、椅子机とあります。
寒がりは、カーペットの場所、座りにくい若者は、椅子かソファです。
膝を傷めたお年寄りにも快適です。椅子かソファーです。
入り口以外は俯瞰で見渡せるから、空間にいる誰とでも話せるし表情が見える。

浅草寺境内の仲見世も、沖縄の公証市場も外から中が見える、中からも外が見える。
入り口に戸がないのです。中のような外でもある。曖昧なゾーンが人の出入りを楽にしているのです。
道の駅の下屋は、とても大事な場所です。
作物が多い時は、下屋の下にも陳列する。つまりバッファーです。

商店街の活性化をするときに、一番に取り組んだことは互いの店の良さを知ることからでした。
時間のできた人が順番に、訪れた人々を案内します。
ライバル店だって案内しなければならない。
知らなきゃ伝えられないし、知ってもらわなきゃ説明してもらえない。
商店街全体が、オープンスペースとなる。
だったら、商店街全体で駐車場を作ろうかとなり、役に立つならと場所を提供します。

「Slow life」は、生き方です。
何かがあって、実現するスーパースペースではない。
永年の生きる知恵が、街を回すのです。
無くなった歯車の代わりのものを求めているのです。
それを見つけたところが生き残る。

東京だって、格差が生まれると言われている。
魅力がない町は、淘汰されて過疎になる。

風が抜け 孫が通りの 風となる

2019年1月20日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときめき

2019-01-19 10:59:39 | よもやま話

絵のタイトルは、「待たせたね」
カフェに来られるごとに、似顔絵はまだかしらと問われます。
申し訳ないに終止符を打ちました。
絵を見て、喜んでおられるのがわかりました。


早く働けという妻の顔を思い浮かべながら書いています。
今日のテーマは、「ときめき」です。

チコちゃんに叱られるで、「大人になると、なぜ時間が経つのが速い」という質問でした。
答えは、「若い時はときめき(発見)が多くて、無感動になる大人より時間を長く感じる」でした。
朝ごはんに何を食べたかくらいは覚えているが、
昨夜の献立をパーフェクトには言えなくなってしまいました。

転職を7回し、住所を19回(学生で8回)変えました。
多いようでもあり、必然のようでもありました。
無感動になることは許されず、悲喜こもごもでした。
どれもレンジが短い分、あの年齢で何があったか、またやらかしたか覚えています。

同じプロジェクトもなく、都度新鮮でした。
仕事も多種多様です。
牧場、移動販売、キャバレーのボーイ、カウンター接待、配達、解体(学生時代まで)
設計、開発、サービス、プロジェクトエンジニアー、営業、現場監督、地域おこし、
カフェのオーナーとしました。
やるしかなかったから頑張っただけです。

「ときめき」なのか、「どきどき」なのかよくわかりません。
何か感じないではいられなかったことも事実です。
多くの人とすれ違って生きてきました。
やっと親しくなっても泣く泣く別れ、次の関係を築くような日々でした。

呆ける暇もなかった。

ゆっくりしたいとも思わない。
役に立つ間は働きたい。
今は、働いていても遊んでるような感覚です。

似顔絵に 違う自分を 見たような

2018年1月19日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やってみなはれ

2019-01-18 06:45:28 | プロジェクトエンジニアー

孫が、「僕一人で渡れるよ」と小川の敷石を伝い歩きしました。
嬉しいような、寂しいような大人です。
愛犬ジンも私と同じ気持ちです。


今日のタイトルは、「やってみなはれ」です。

サントリーの創始者鳥井信治郎が、二代目社長佐治敬三からビール事業を始める計画を聞いたとき、
佐治に言った言葉として有名です。名言とも言われている。

なんでもやってみなはれ、やらなわからしまへんで。
人生とはとどのつまり賭けや。やってみなはれ。
(名言集より)

ビール事業を始めたものの、プレミアムを発売するまでビール事業は四十年以上、お荷物でした。
サントリーのビール(純生)は、売れるウイスキーとセット販売されていたように思う。
15年以上前、ビール部門の方たちとお会いした時は、卑屈さは微塵も感じられなかった。
関西人特有の自虐ネタの引き合いに出されることはあっても、真面目にビール作りをしていると、
誇りさえ感じた。

「やってみなはれ」は、無条件で後押しすることのような印象を受ける。
アサヒビールは、スーパードライで息を吹き返し、キリンと共にトップの座をめぐり、
しのぎを削っていた。第三のビール(発泡酒:第二のビール、第三のビール:麦芽を原料としない、
発泡酒と他のリキュール類を混合)で各社が競い合っている頃、サントリーはプレミアムビールに
特化した戦略で成功。出た利益は次の事業(医薬、健康食品)に回されている。

若い人が起業をするという。
心配が先に立ち、あれこれとネガティブに聞こえる助言をしてしまいます。
妻は、後押しをするようなことを言ってあげたらよいのにと、私に忠告します。
私は、起業する人たちから、「そんな心配もありますが、私は心配をこのように解決したい」と
聞きたいのです。
しかし、やってみたことがない人は、これから遭遇する心配事に気づきません。
だから、「やってみなはれ」、「やらなわかりしまへんで」なんでしょう。

2016年8月12日投稿記事「後押しばあちゃん」にお会いしました。
家業は、パンやです。パンやの2階を若者に提供しています。
コンサートをやったり、展示会ををやったりと若者は自由に使っているそうです。

確かに、起業して10年以上存続する会社は4%かもしれない。
それでもチャレンジする。
失敗から学ぶことも多い。成功も次の成功につながるはずです。
「やってみなはれ」と若者の後押しをしたい。
心配事の相談を受けたら、初めてアドバイスすることにしましょう。

2015年3月1日投稿記事「手を出さない勇気」に書いている大人にならなければなりません。

昨夜、自分の家に帰る途中ラジオを聞いていました。
若い女性のタレントの方が
「大人とは」の問いかけに、
「手を出さない勇気を持つ人になること」と答えられていました。
(記事より抜粋)

転んでも 手を貸すなかれ 独り立ち

2019年1月18日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

返事

2019-01-17 07:07:27 | よもやま話

昭和記念公園のコスモスの群生です。
タイトルは、「うふふ」。


今日のタイトルは、「返事」です。
返事がちゃんとできない子は周りとうまくやっていけないと、子どもを諭しました。
わが身を振り返るに、妻との会話は生返事の連続です。
「黙っててくんないかな」と思うこともしばしば。
運転中、熟慮中とさまざまです。
同時に二つのことを進められなくなった。

付文をいただいたことはありません。
机の引き出しの中にチョコレートが入っていたことはあります。
送り主は誰か。名前が書いていませんでした。
お礼の言いようがない。近くで視線を感じました。

お世話になった人から年賀状をいただきました。
文面から、やっと綴られたと判断できました。
短いあいさつ文でしたが達筆でした。
昨年、老人ホームから特別養護老人ホームに移られたと息子さんから聞きました。
返事を書こうにも宛先がありません。

返事次第では、とサバイバルを生き抜いてきました。
即答の連続のプロジェクト遂行でした。

返事をしようにも、もう次の話題に移っている。
開けた口を静かに戻す。
歳を重ねるごとに、我田引水の話が多くなる。
引き戻すのも容易ではありません。
過去と現在が入り混じる会話の連続です。
好きな人と食べたご飯は美味しいでしょうよ。
過去の浮気のしっぺ返しが突然始まる。
そして止まらない。

言葉は要らぬ。
うなづいて、笑顔を見せるだけで会話が成立。
美しい顔をしたお姉さんだからできること。
下手にしゃべらぬ方が良い時もある。

モーリシャスからきた英会話の先生は、
「そうね」と返事するだけで、日本人の幼子と会話が成立しているように見えた。
幼子の自慢話はとめどなく続きました。

返事に窮したはずの場面が思い出せません。
嘘の上塗りができなくなった証拠です。
今なら、少しはおしゃれな言葉が返せたかもしれない。
ウイットの効いた返事ができたかもしれない。
ランチタイムに外人とでかけ、分らぬ英語に笑顔で答えるしかなかった。
分らぬままに、Yesと言ってしまった。

返事を返せぬままに時間が経過した。
無視したわけではありません。
応える言葉が見つからなかった。
そして、勇気がなかった。
多くの残念です。

世話になった多くの先輩や友人に、心の中でそっと返事をしたためています。
ありがとうございました。
今こうして生きておられるのはあなたのおかげです。

コスモスの 微笑み返し 椿する

2019年1月17日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする