刑事事件は金にならない。
労多くして報われることも少ない。
だから刑事事件はやらない、という弁護士も多い。
K君はこの先も手紙を送ってこないかもしれぬ。
しかし、もしかしたらK君は今から20年後、30年後に韓国の大統領になる運命の人間なのかもしれない。
すべての人間の人生を確率論で見るなら、彼が韓国の大統領になる確率は(小数点以下に気が遠くなるほどの0が続こうとも)0ではないだろう。
その時、彼があの事件を思い出してくれたら。ルームメイトの笑顔や、日本語学校の先生たちの言葉や、通訳さんの励ましや、彼を許してくれたお婆さんの優しさを思い出してくれたら。そして、ほんの少しだけ、私のことも思い出してくれたら。
韓国と日本の関係は、もしかしたら、そのことで少しだけ変わるかもしれぬ。
弁護士とか医者とか、人の人生を左右するような仕事というのは、要するに人間の未来の可能性を左右するということである。
人間の未来の可能性を信じる、ということでもある。
可能性は、どんな時も0ではない。
どんな仕事でも、その後の仕事を続けていく上で、「自分を支え続けてくれる経験」というものに人は巡り会うはずである。
K君との体験があったから、私は今でも刑事事件を続けている。