つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

巧詐不如拙誠(修習生諸君へ)

2019-03-02 12:33:24 | 弁護士のお仕事

正月明けから先月まで、久しぶりに司法修習生を事務所にお預かりしていた。

H君という。

人柄もよく、起案の出来も非常によかった。

弁護修習は2ヶ月なので、あっという間にH君は次の修習(刑事裁判修習)に行ってしまった。

うぉぉぉぉ、寂しいぞ。

 

さて、H君だけでなく、この2カ月、何人かの司法修習生と話す機会があった。

彼らに語った話の中で、ちょっと、形に残しておいた方がいいかな、と思った話をこのブログにもアップしておこうと思う。

就職とか、仕事とか、人生に悩んだら読み返されたい。いや、別に司法修習生じゃなくても読み返していいんだけれども。

 

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この2ヶ月の間に、何人かの修習生から今後の進路、具体的には「就職」についてご相談を受ける機会があった。

そのたびに同じ話をした。

何人かの修習生は、まだ就職希望先の事務所から内定を貰えず、あるいは、内定を貰った事務所が本当に自分が進むべき事務所としてふさわしいのか、悩んでいる。

私も司法試験に合格したのは少し齢(よわい)を経てからだったので(確か35歳だか36歳)、150kgくらいのヘビーな不安を抱えて就職活動をしていた。

最終的には、「即独」(※司法研修所を卒業して、どこかの弁護士事務所に所属して修行することなくいきなり独立して事務所を開くこと。「即、独立」の略。)まで考えた。

いきなり独立して、あるいはノキ弁(※どこかの弁護士事務所に所属はするけれど、給料は貰えず、机だけ置かせてもらって修行をすること。「事務所の軒だけ借りている弁護士」の略。)としてどこかの事務所にもぐりこんだとしても、実際に自分のクライアントを開拓して弁護士として食っていけるのか、ということになると、そりゃあもう、1tくらいの不安で押し潰されそうだった。

司法修習が終わる翌年(平成15年)2月には長男も生まれる予定で、「こんな状態で嫁さんと子供を食わせていけんのか、俺?」と考えると、いっきに不安も5割増しだ。

1年目の年俸が1000万だ」とか「うちの事務所は1200万だよ」という若い同期の修習生の自慢話(もちろん彼らは自慢する気などなく、ただただ浮かれていただけなのだが)が耳に突き刺さった。痛いってばよ!(←NARUTO風に)

そんな私も、結局、なんとかとある法律事務所にもぐりこんで、今は曲がりなりにも自分で法律事務所を経営している(日々の事務所経営はヒーヒーだが)。

 

私は司法研修所55期生なので、弁護士になって今年で17年になる。

そういう自分の経験から「まだ就職希望先の事務所から内定を貰えず、あるいは、内定をもらっている事務所が本当に自分が進むべき事務所としてふさわしいのか悩んでいる修習生たち」に敢えて言う。

どんなに就職先に悩んでいても、お金とか目先の生活費云々という取るに足りない(失礼!)事情で事務所を決めるべきではない。

君のプライドとか魂を、目先のお金や安定で売るべきではない。

プライドとか魂の売買契約には買戻特約も再売買の予約もつけられない。

目先のお金や安定と引き換えに売り払ったプライドや魂は二度と取り戻せない。

それが君にとってどんなに重大な損失かは、それを失くしたときに初めて分かるけれど、分かってからでは遅い。

大切なのは、「今、君が何をやりたいか」だけだ。

それが3年後には変わっていてもいい。むしろ、変わっているのが当たり前。

ただ、「今やりたいこと」に嘘はつかないことだ。

「自分がやりたいこと」に嘘は絶対につかない。手を抜かない。全力でやる。余力を残さない。

そうすれば、「次のやりたいこと」が出てきたときに、必ずひとつ上のステージに行ける。君を助けてくれる人が出てくる。

たとえ今はそれが誰だか分からなくても、必ずそういう人がいる。

私自身がそうだったからだ。

 

私が司法研修所を卒業した17年前は、弁護士の広告が解禁され、いくつかの弁護士事務所が派手な広告を打ち始めた時代だった。

「過払い金バブル」と揶揄されるほどに、いくつかの事務所は羽振りが良く、大量の修習生を高額な初任給で採用していた。

いっぽう私はといえば、本気で「即独」を考えていたくらいなので、どうやったら顧客開拓ができるのか、そればかりを考えていた。

「やっぱり俺がテレビCMに出るしかないのか。

とりあえず、電通のディレクターに電話するか?」

(↑うそ)。

 

そんな私(を含む5510組)に当時の司法研修所の民事弁護教官(平成31年3月2日現在の第一東京弁護士会会長。以下、「W先生」)がこう言った。

「弁護士の広告が解禁されて多くの事務所が派手な広告を打っているが、弁護士にとって最高の広告というのは、私は『目の前の依頼者の事件に精一杯、全力で、誠意をもって取り組む』ことに尽きると思っている。

これに勝る弁護士の広告はないのだ。

一生懸命仕事をしなさい。そうすれば、必ずその中の何人かはあなたのことを覚えていてくれて、あなたに次のクライアントを紹介してくれる。

そうやって増えたクライアントこそがあなたの財産になるのだ。

広告を打って投網漁のようにお客を集めれば、確かに大きな売り上げになるかもしれない。

しかし、510年経ったときに弁護士としてのあなたの財産として残るのは、結局、宣伝広告費で使ったお金の量ではなく、

あなたが依頼者のためにかいた汗と依頼者のために流した涙の量なのだ。

 

最初に入った事務所のボスと喧嘩してたった2ヶ月半で事務所を代わったり、たいして顧問先もないのに勢いにまかせて独立しちゃったりして、日々、不安で押し潰されそうになりながらも(このあたりの話はこのブログの「二葉鮨」に書いた。)、それでも何とか今日まで来れたのは、あの時のW先生の言葉があったからだ。

それは、たぶん、どんなに時代が変わっても、弁護士の真理の一つである。

私はW先生から「弁護士の真理」を教えられてしまった。

教えられてしまった以上、私にはそれを次の世代に伝える義務がある。

私が司法修習生を受け入れたり、弁護士会で司法修習の仕事を引き受けたりしてきたのは、つまるところ、あのW先生の言葉を司法修習生に伝えるためだ。

そして、つくづく、「あの時、(最初の)ボスに言われるままに自分の魂とプライドを売らなくてよかった」とも思っている。 

 

司法修習生諸君。

人生は必ず何とかなる。どうにもならないことは、どうにでもなっていいことだ。

悩んでいる暇があったら一生懸命勉強した方がいい。

あと、たった10ヶ月ではないか。

司法修習が終わったとき。二回試験が終わったとき。余力を残して酒を飲むような、薄らみっともない修習生活だけは送るな。

あの弁護士教官の言葉を、韓非子はわずか六文字で言い切った。それがこの記事のタイトルである。

偕楽園の茶室の待合にこの言葉が飾ってある(おそらく今も)。

意味? それくらい自分で調べんかい!