今日、としまえんは94年の歴史に幕を下ろす。
我が家はとしまえんのすぐ近くなので、長男が生まれた17年前からずーっと、木馬の会(としまえんの年間パスポート会員)だった。
夏のプールに、春秋冬の遊園地に、小さかった長男と次男を連れて何百回、としまえんに来たか分からない。
長男も次男も、としまえんに育ててもらったようなものだ。
次男も小学校高学年になったあたりから私ととしまえんには来てくれなくなったけれど、としまえんには、可愛かった子どもたちとの思い出がそこら中にちらばっている。
としまえんが自分たちの日常から消えて無くなってしまうなんて想像もしなかった。
いや、正確にはここ数年、何度も「閉園〜跡地利用」の噂が出ては消えていた。
でも、そういう噂は、まるで、「自分の親がいつかは死んでいなくなってしまう」というのと同じくらい、漠然として、現実感のない「噂話」だった。
これは我が家の屋上から見たとしまえんのフライング・パイレーツ。
同じく、毎晩、20時に打ち上げられる花火。
この景色が見られなくなる日が来るなんて。
昨日は最終日の前日。
照れて嫌がる次男を誘って、夜のとしまえんに行ってきた。
そして今日。
ほんとのほんとに正真正銘、としまえんの最終営業日。
今夜は先日ブログに書いたいさをさんの舞台「壁の向こうの友人」の打ち上げがあるので、としまえん最後の瞬間には立ち会えない。
なので、朝、駅に向かう出勤途中、としまえんを通り抜けてきた。
スタッフさんはいつもどおり、ニコニコしながら働いている。
子どもたちに何度も買ってやった「くまさんのカステラ」
「ばくだん焼」はいつもチーズ味だった。
こんな風情のある回転木馬は、たぶん、ここにしかない。
最後の日、誰かが乗りに来てくれるといいね。
12年前の長男と私もこんな感じだった。
子どもがいつも怖がっていた。
としまえんは、最後の最後までユーモアを忘れない。
こちらこそ。
隣の「ユナイテッドシネマとしまえん」のポスターを見て、とうとう涙が止まらなくなった。
最終日。
としまえんに別れを告げる人たちの列がいつまでも途切れない。
としまえんのスタッフの皆さんにも、山盛りの幸せが訪れますように。
としまえんのスタッフの皆さんにも、山盛りの幸せが訪れますように。
でもさ、形はなくなっても、としまえんの思い出はなくならない。
いつだったかこのブログに書いたように、記憶が思い出になるのなんてあっけないほど一瞬だ。
でも、思い出になった記憶は永遠だ。
スタッフの人たちは最後の一瞬まで笑顔で僕らを楽しませようとしてくれている。
だから私もメソメソ泣くのはやめた。
僕らが忘れない限り、としまえんは永遠だ。
だから、さよならは言わない。
いつか、どこかで、きっとまた会えるよね。
絶対に。
だって、ほら。
また、ね。
こどもは、黙ってヘラクレス、だよね。
うん。ハリポタ施設が世代を超えて普遍的に愛されて、じいちゃんと孫が一緒にいても様になる施設になるとは、ちょっと想像できない。
それはさておき、
世代を越えて愛されるものがどんどんなくなってしまうのは残念です。
いつかおじいちゃんとしてお孫さんをとしまえんに連れて行き、
お前のとーちゃんはここでなーみたいな話もできないですね。