つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

目黒区

2019-08-25 15:55:00 | 晴れた日は仕事を休んで
第23回。つまりこれで東京23区制覇。
最後は目黒区。

前回の港区編で落語「芝浜」の舞台を紹介しましたが、「芝浜」と来れば、次は「目黒のさんま」ですね。当然の流れですね。

というわけで、今回は古典落語の名作、「目黒のさんま」でお殿様にさんまの塩焼きを献上した茶屋のモデル、「爺々が茶屋」(じじがぢゃや)があったと言われている茶屋坂です。

渋谷区編で紹介したアメリカ橋を南西に少し行ったとこにあります。
ここ↓


坂はけっこうな急勾配で、途中に由来を説明する案内看板もあります↓



ほら、これ↓

この案内看板のある辺りから西を望むと、昔は富士山が見えたそうです。
こんな感じ↓


(安藤広重「名所江戸百景」八十四景「目黒爺々が茶屋」)

広重の絵から推測すると、通りを挟んで案内看板の向かい側に爺々が茶屋はあったみたいですな。

20%のきつい坂ですが、頂上まで登ってみましょう。


きっつー!
何故なら坂は下り方向に一方通行なのでバイクで登れないのです。

やったー!
頂上!


って、見事になんにもないですね(笑)

以下、「目黒のさんま」を知らない人にはさっぱり意味がわからない話なので適当に読み飛ばしてください。

「目黒のさんま」に出てくる、(爺々が)茶屋で焼かれていたさんま。
これを茶屋の主人がどこから買ってきたのかについては諸説ありますが、「芝浜の雑魚場(ざこば)ではないか」というのがその一つです。
江戸時代、目黒は芋の産地で、目黒の農家は朝早く収穫した芋を東海道の品川宿と芝に売りに行っていたらしい。
で、芋を売った代金で、帰りに芝の雑魚場でさんまを買って昼過ぎに家に帰ってきた、というわけですね。古今亭志ん好師匠なんかがこの説を取られてます。

ね、芝の雑魚場から爺々が茶屋(のあった茶屋坂)。見事につながるじゃあーりませんか。
うーん、アカデミックでためになるブログだ(自画じーさん。爺々が茶屋だけに。)

兎にも角にも、これでようやく23区制覇!
みなさん、これまで私の駄文に23回もお付き合いくださり、ありがとうございました。
東京日帰りツーリング、最後の1ピースをはめ込む時が参りましたぁ!


おお、この目黒区の位置に最後の1ピースを。

最後の1ピース・・・




なんじゃ、こりゃあ!
(「太陽にほえろ!」の松田優作風に)


えーっと、次回は・・・昭島市?



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