第29回。
ってか、めいっぱい秋の空じゃねーか!
「三連休は雨」予報はなんだったんだ?
ま、晴れたら晴れたでツーリングに行けるのでOKですが。
というわけ(?)で、今回は清瀬市上清戸にある日枝神社・水天宮に行ってみることに。
清瀬市といえばウチの長男の彼女が清瀬のコだったっけ(過去形)。
小さくて可愛いコだったのに(過去形)。
最近、めっきりウチに遊びに来なくなったから、こりゃフラれ・・・いやいや・・・お互いそれぞれの道を歩き始めたな(推測的断定形)。
まぁ、出逢いと別れは表裏一体。愛別離苦は仏の教え。
始まりがあれば必ず終わりが来る。
1人の女と別れたってことは、「全人類の女性−1人」を口説いてもOKな自由を手に入れたってことだ。海賊王になったルフィみたいなもんだ。
過ぎ去った恋に落ち込むことなく、手に入れた無限の海に向かって船を漕ぎ出すのだ、息子よ(未来形)。
さて。
そーゆー話はひとまず横に置いといて。
光が丘公園横を抜けて成増辺りから川越街道に入り、自衛隊の朝霞駐屯地を左手に見ながら北西に走って行くと、志木警察署を越えたあたりで空が一気に広くなる。
晴れ渡った秋の空を見て走ってると、なんだか魂ごと吸い込まれそうだ。
ドカンと身体ごとはね返されそうな積乱雲湧き立つ夏の空とは対照的だ。
野火止の交差点を左折して志木街道に入る。
しばらく行くとボーソー族が集まりそうなラーメン屋さんが!
とりあえず心の中で「パラリラパラリラ」と魔除けの呪文を唱えつつ、さらに走って長明寺前の三叉路を右に行けば清瀬の氏神様、日枝神社・水天宮。
向かって右側が日枝神社。左側が水天宮。
日枝神社は天正七年(1579年)に社殿造営、水天宮は明治に入ってから分霊を勧請して建てられた、という。
それにしても。
祭神も信仰も違う二つの神社を誰がどうして仲良く並べて作ったのか。
これが日枝神社の社殿。
こっちは水天宮の社殿。
水天宮側の境内に日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際、木陰で涼をとったという柊(ひいらぎ)が残ってます。
これ↓
実際に日本武尊が身体を休めたという柊は大正時代まで残っていたらしいが(もしホントなら樹齢1800年を超える老木だ)、惜しいことに台風で倒れて枯れてしまったという。
現在の柊はその根株から芽吹いた蘖(ひこばえ)である。
日本武尊が柊の木陰で身体を休めた際に、「清き土なり」と言ったのが転じてこの地の地名「清戸」になったと伝えられている。清戸の「清」と市内を流れる柳瀬川の「瀬」を合わせて清瀬市だ。
いや、もし、そうだとしたら。
日本武尊が柊の木陰で、
「やっぱり男も色気で勝負じゃ」
とか
「休んだので尻が軽くなったぞ」
とか
「お前に借りてたエロ本、親に見つかって捨てられちゃってよー。すまん、すまん」
とか言わなくて本当に良かったと思う。
「男色」とか、「尻軽」とか、「エロ本紛失」とか、そういう地名にならなくて本当に良かった良かった。
などと日本武尊と安徳天皇(水天宮の主神)と天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ。同じく水天宮の主神)と大山咋神(おおやまくいのかみ。日枝神社の主神)の神罰で八つ裂きになりそうなことを考えて神社の向かいの歩道を見たら、私より遥かに罰当たりな存在を発見しますた!
これ↓
しかも右の貼り紙は命令調、左はですます哀願調。
真ん中の缶コーヒーは売り物なのか?お供え物か?
いや、それよりなにより。
監視カメラ2台も設置して野菜の無人販売って・・・
費用対効果としてどうよ?
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