2013年8月2日(金)
監督 ピーター・ウェーバー
出演 マシュー・フォックス、トミー・リー・ジョーンズ、初音映莉子、西田敏行
忙しくて先週観た映画のレビューをようやくアップです。
面白かったです。
レイトショーで観たのですが、客席はほぼ満員でした。
途中までは
「マシュー・フォックスと初音映莉子のラブストーリーはいらないんじゃね?」
とか思って観てましたが、最終的にはこの2人のラブストーリーが「昭和天皇の戦争責任」を考えるための重要な布石になっていくわけで、そのあたりの話の流れのうまさは脚本の勝利かと。
昭和天皇の戦争責任は法的責任と道義的責任がごっちゃになって論じられてたりしてますが、私個人的には「法的責任否定説」、「道義的責任は否定できず」という立場です(そういえば卒業論文も「天皇制」がテーマでしたが、戦争責任については法的責任は問い得ず、という結論にした記憶があります。ずっと昔の話ですが。)。
映画の中では
「戦争続行を主張する軍部に抗して終戦の決断をした」
ことや
「自らの処分をマッカーサーに委ねた」
こと、
「天皇は神と崇められていたが、政治的には何一つ実権を有していなかった」
こと等を通じて、「道義的責任を追及するのは憚られる」という流れになっていますが(少なくとも私はそう感じました)、終戦決断があと半月早ければ広島・長崎の犠牲は避けられたはずですし、もっと早ければ東京大空襲をはじめとする本土大都市の空襲被害も沖縄の方々の悲惨な被害も避けられたはずです。
その意味で、私としては「昭和天皇の戦争に関する道義的責任は否定できず」という意見なのです。
ただ、昭和天皇がお亡くなりになるまでのその活動の軌跡を見る限り、ご自身の道義的責任を意識して、その贖罪に身を捧げ続けておられたのですから(少なくとも私にはそう思われます)、もはや昭和天皇の道義的責任を追及する」ということは無意味なのではないかと思います(そもそも「道義的責任の追及」ってどういう形で行うんだ? 何をすれば道義的責任を果たしたことになるんだ? という議論が抜け落ちた状態で「道義的責任論の有無」を論じることの意味があるのか、と言う問題もあります。)。
ちなみに、トミー・リー・ジョーンズの「ちゃんとした映画での演技」を私は初めて観たのですが、存在感のあるとてもイイ役者さんだと思いました。
80点。