渋谷
先日、原宿で山本一力さんの講演があり
出かけました。
渋谷から原宿まで歩いたのですが
渋谷の道玄坂でこの彫刻を見つめました。
周囲では宅配便の車が動き回っているし
宅配の配達かかりは、通路が塞がれて迷惑そうでした。
現実好きな人、それはそれでかまわないけれど
仕事の邪魔しないでくれ
そんな雰囲気さえあります。
それにしても、この彫刻なに?
彫刻の森美術館に展示されていれば
「芸術なのだろうな」と思いながら見るでしょう。
でも、ここでは、芸術家の好みの造形と繊細さがまったく街に馴染むことがなく
彫刻が街の猥雑な造形に圧倒されているような気がしました。
もう彫刻家が繊細な芸術性をもって商売にする時代ではなくなって来ている
時代ではなくなっているような気がしました。
せいぜい、街の品格を高める。
そんな満足を得るだけです。
芸術家がもっともらしい説明で仰々しくしているような作品は
簡単に作れてしまうし、そのような作品を街に設置しても
癒しにもならないような気がします。
ファッション雑誌の小道具、あるいはファッションの一部アイテム
その枠の中で納まってしまうような気がします。
そんな時代なのですね。
あれば楽しいけれど
なくても困らない。
ときどき文化とはそんなものかなと思ったりします。
宗教組織の美術館好き、寺の障壁画好き
社長室の書の大きな額
どこかで何かがつながっているのですね。
それはそれでいいかもしれません。
先日、原宿で山本一力さんの講演があり
出かけました。
渋谷から原宿まで歩いたのですが
渋谷の道玄坂でこの彫刻を見つめました。
周囲では宅配便の車が動き回っているし
宅配の配達かかりは、通路が塞がれて迷惑そうでした。
現実好きな人、それはそれでかまわないけれど
仕事の邪魔しないでくれ
そんな雰囲気さえあります。
それにしても、この彫刻なに?
彫刻の森美術館に展示されていれば
「芸術なのだろうな」と思いながら見るでしょう。
でも、ここでは、芸術家の好みの造形と繊細さがまったく街に馴染むことがなく
彫刻が街の猥雑な造形に圧倒されているような気がしました。
もう彫刻家が繊細な芸術性をもって商売にする時代ではなくなって来ている
時代ではなくなっているような気がしました。
せいぜい、街の品格を高める。
そんな満足を得るだけです。
芸術家がもっともらしい説明で仰々しくしているような作品は
簡単に作れてしまうし、そのような作品を街に設置しても
癒しにもならないような気がします。
ファッション雑誌の小道具、あるいはファッションの一部アイテム
その枠の中で納まってしまうような気がします。
そんな時代なのですね。
あれば楽しいけれど
なくても困らない。
ときどき文化とはそんなものかなと思ったりします。
宗教組織の美術館好き、寺の障壁画好き
社長室の書の大きな額
どこかで何かがつながっているのですね。
それはそれでいいかもしれません。