日曜日の朝、咽喉が痛くて目が覚めた。
「ウへー、ユーのインフルエンザがうつったのかもぉ~、なんか気分も悪いしぃ~・・」
結局、その次に目が覚めたのはお昼。
日曜のチーム練習にはカミさんが連れていった。外は小雨が降っていたし、車はないし、体の調子もイマイチだし、なので、日曜日は家でゆっくりしようと決めたのだった。
昼から夕方まで眠り続けた。
それで今朝も風邪の症状があるから病院に行ったのだけど、検査は陰性。しかし、先生はインフルエンザのおそれがあるから今日は家でじっとしていたほうが良いでしょうとのこと。
そういうわけで、今日は学級閉鎖のムスメ二人と家にいるのである。
さて、今回も学童五輪の続きを記録しておこうと思う。
KKウィングスタジアムで解散となり、帰路についたのは午後5時ごろ。
帰るコールを家にしたら
「今日は買い物に行っとらんけん、はよ、帰ってきて!」
タミフルを服用していたユーの看病で一日中家にいたカミさんのイラ声だった。
「いま、駐車場ば出たとこで~す。」
「リョー坊、オマエ、本当に良かったな」
「うん」
「やっぱ、うれしいもんだろ~?」
「うん」
「でもさぁ、なんで勝てたと思う?」
「ウ~ン?」
「あのな、真面目にずっと練習してきたからだよ」
KURSに入ったのは小2年生の6月。知人の紹介でKURSの体験に連れていったのだけれど、そこでトレーニングを受けると決めたのはリョー坊。クラブでのトレーニングは週1回だけど、病気以外で練習を休んだことはないと思う。ここ最近は普段のトレーニングに加え、毎晩、寝る前のストレッチも欠かさずやっていた。また、10月に入ってからは「走姿」改造に取り組んでいたようだった。
「ちゃんと準備をすることが、どれだけ大事かわかっただろ」
大会当日の朝、スタジアムに向かう車中で、ボクはリョー坊に言ったのだった。
「実は、本番はあんまり重要じゃぁないんだ。大事なのは準備」
大会の本番はチーム支給の試合着で出場するということを知らなかったボクは、その日の朝、軽いランニングのパンツをチョイスしなかったリョー坊を怒鳴ったのだった。
「最後の最後まで準備にはこだわんなくちゃダメなんだよ、イチロー選手のスパイクって超軽いのって知ってるだろ、体が小さければよけい軽いものにこだわんなくちゃ・・・ちゃんとした準備ができていれば、本番で力が出せるんだ。そういうもんなんだよ」
ボクは、リョー坊と他の子供たちを見比べて前から思っていることだけど、リョー坊は運動能力に長けている子供とは思っていない。ホントーだ。
これから5年生、6年生になれば体格と体力で体の大きい子供がどんどん有利になってくるし、その中からさらに運動能力のある子供が専門的な指導を受けて本領を発揮してくる。
諦めてるってわけじゃぁないけど、陸上競技でタイトルをとるのは年々難しくなるだろうと考えている。
だけど、この大会で本当に良かったと思えることは、リョー坊が努力をすることの大切さを、身をもって学ぶことができたってことだ。
今回、ボクはリョー坊に勝つことを強要しなかった(勝つことを目指すのが野球のルールだから、野球のときは絶対に勝てと言ってるけど)。
言っていたことは「ベストを尽くそう」だった。
恐らく、本人はベストを尽くしたのだと思う。
学童五輪があった晩、KURSの保護者・子供・スタッフと食事会があったんだけど、それが終わったあと、代表コーチのHRNさんが二人のコーチに電話をしてくれた。
リョー坊がKURSに入ったころ、熱心に指導してくれたOKDコーチとKNKコーチだった。どちらも大喜びだった。
そう、リョー坊が良い結果を残せたのは、これまでお世話になってきたコーチの指導が大。当然、野球での指導やトレーニングも今回の結果に結びついているはず。陸上クラブに送り迎えをしてくれている祖父の力だってそうだ。多くの人に支えられた結果なのだ。親としても感謝しなくちゃいけない。
「リョー坊、オマエ、本当に良かったな」
「ウン」
「でもさ、本当に一番ヨカッタのは、夕べのお父さんのマッサージじゃねぇ?」
「うん、アレはヨカッタ」
「じゃぁさぁ、祖父ちゃんからお祝いの小遣いもらったらさぁ、お父さんにもちゃんと分け前やれよ」
「ハハハハ」
「てか、こういうとっきて、まずオレがお前に小遣いやんなくちゃいけないんだっけ?・・・・ま、そりゃどうでもいいか・・・」
「エ?」
こうして車は我が家へ向かっていったのだった。
「ウへー、ユーのインフルエンザがうつったのかもぉ~、なんか気分も悪いしぃ~・・」
結局、その次に目が覚めたのはお昼。
日曜のチーム練習にはカミさんが連れていった。外は小雨が降っていたし、車はないし、体の調子もイマイチだし、なので、日曜日は家でゆっくりしようと決めたのだった。
昼から夕方まで眠り続けた。
それで今朝も風邪の症状があるから病院に行ったのだけど、検査は陰性。しかし、先生はインフルエンザのおそれがあるから今日は家でじっとしていたほうが良いでしょうとのこと。
そういうわけで、今日は学級閉鎖のムスメ二人と家にいるのである。
さて、今回も学童五輪の続きを記録しておこうと思う。
KKウィングスタジアムで解散となり、帰路についたのは午後5時ごろ。
帰るコールを家にしたら
「今日は買い物に行っとらんけん、はよ、帰ってきて!」
タミフルを服用していたユーの看病で一日中家にいたカミさんのイラ声だった。
「いま、駐車場ば出たとこで~す。」
「リョー坊、オマエ、本当に良かったな」
「うん」
「やっぱ、うれしいもんだろ~?」
「うん」
「でもさぁ、なんで勝てたと思う?」
「ウ~ン?」
「あのな、真面目にずっと練習してきたからだよ」
KURSに入ったのは小2年生の6月。知人の紹介でKURSの体験に連れていったのだけれど、そこでトレーニングを受けると決めたのはリョー坊。クラブでのトレーニングは週1回だけど、病気以外で練習を休んだことはないと思う。ここ最近は普段のトレーニングに加え、毎晩、寝る前のストレッチも欠かさずやっていた。また、10月に入ってからは「走姿」改造に取り組んでいたようだった。
「ちゃんと準備をすることが、どれだけ大事かわかっただろ」
大会当日の朝、スタジアムに向かう車中で、ボクはリョー坊に言ったのだった。
「実は、本番はあんまり重要じゃぁないんだ。大事なのは準備」
大会の本番はチーム支給の試合着で出場するということを知らなかったボクは、その日の朝、軽いランニングのパンツをチョイスしなかったリョー坊を怒鳴ったのだった。
「最後の最後まで準備にはこだわんなくちゃダメなんだよ、イチロー選手のスパイクって超軽いのって知ってるだろ、体が小さければよけい軽いものにこだわんなくちゃ・・・ちゃんとした準備ができていれば、本番で力が出せるんだ。そういうもんなんだよ」
ボクは、リョー坊と他の子供たちを見比べて前から思っていることだけど、リョー坊は運動能力に長けている子供とは思っていない。ホントーだ。
これから5年生、6年生になれば体格と体力で体の大きい子供がどんどん有利になってくるし、その中からさらに運動能力のある子供が専門的な指導を受けて本領を発揮してくる。
諦めてるってわけじゃぁないけど、陸上競技でタイトルをとるのは年々難しくなるだろうと考えている。
だけど、この大会で本当に良かったと思えることは、リョー坊が努力をすることの大切さを、身をもって学ぶことができたってことだ。
今回、ボクはリョー坊に勝つことを強要しなかった(勝つことを目指すのが野球のルールだから、野球のときは絶対に勝てと言ってるけど)。
言っていたことは「ベストを尽くそう」だった。
恐らく、本人はベストを尽くしたのだと思う。
学童五輪があった晩、KURSの保護者・子供・スタッフと食事会があったんだけど、それが終わったあと、代表コーチのHRNさんが二人のコーチに電話をしてくれた。
リョー坊がKURSに入ったころ、熱心に指導してくれたOKDコーチとKNKコーチだった。どちらも大喜びだった。
そう、リョー坊が良い結果を残せたのは、これまでお世話になってきたコーチの指導が大。当然、野球での指導やトレーニングも今回の結果に結びついているはず。陸上クラブに送り迎えをしてくれている祖父の力だってそうだ。多くの人に支えられた結果なのだ。親としても感謝しなくちゃいけない。
「リョー坊、オマエ、本当に良かったな」
「ウン」
「でもさ、本当に一番ヨカッタのは、夕べのお父さんのマッサージじゃねぇ?」
「うん、アレはヨカッタ」
「じゃぁさぁ、祖父ちゃんからお祝いの小遣いもらったらさぁ、お父さんにもちゃんと分け前やれよ」
「ハハハハ」
「てか、こういうとっきて、まずオレがお前に小遣いやんなくちゃいけないんだっけ?・・・・ま、そりゃどうでもいいか・・・」
「エ?」
こうして車は我が家へ向かっていったのだった。