勝利報告のセレモニーが散会となり支援者が笑顔で事務所を後にしていきました。中には鏡割りやその後の乾杯がなかったことについて訝しげに呟く支援者の方がいましたが、車で来場している支援者のことを考えた新しいスタイルの勝利セレモニーだったと納得されているようでした。事務所の入口ではライトに照らし出された木原代議士が報道陣に囲まれインタビューに答えていました。ボクは喫煙所で一服していたのですが、隣にいた舎弟風の若者を連れた強面の男性が話し掛けてきました。「ぬしゃ、よかったぞ」二人は他の強面衆と高級乗用車に乗って駐車場を出て行きました。
インタビューも一段落し、入口付近に集まった有志のみんなで木原代議士を胴上げしました。続いてK団長も胴上げされ、もう何回見たかわからないK団長の涙顔にボクは大爆笑したのでした。そして、K団長はボクを思いっきりハグしたのでした。タバコくせぇのなんのって!
まだ、10時頃だったかと思います。我々有志は場所を繁華街に移して慰労会を行いました。有志諸君のはち切れんばかりの笑顔と自信に満ち溢れた表情が忘れられません。仲間をこれほど誇り高く思ったことがあったでしょうか。有志諸君は自分の利害に関係なく、中には害にしかならない有志諸君も含まれていましたが、我々は、出来ることを精一杯やったことに違いありませんでした。本当に嬉しくて仕方がありませんでした。
同級生の有志からは最後の挨拶について酷いダメ出しを喰らいましたが、後輩諸君からは半分はお世辞と思われる大絶賛の評価を頂きました。
「センパイの挨拶は、マジでカッコ悪かったっすけど、マジ、カッコよかったっス!」
後輩の有志諸君は、ボクがなぜ子供のメダルを木原代議士に渡したかという意味をボク以上にうまく説明してくれました。本当に嬉しく思いました。
興奮もあったのですが、睡眠不足に空きっ腹でした。酔いはアッという間にまわり、ボクは気を失いかけていました。そして、木原代議士が現れました。胸にはメダルが掛けられていました。安っぽいメダルです。ですが、ボクはそれを目にしたとたんに嬉しくて涙が溢れてきました。テーブルに突っ伏して泣いてしまったように思います。
酔いが限界に達しました。明日は仕事の予定で、車に乗らなければなりませんでした。酒量からすると既に明日の運転は厳しい状況にありました。ボクは席を立ち、木原代議士に軽く挨拶をするとその一座を離れました。靴を探しているとメダルをつけた木原代議士が現れました。
「ニシ、これほんとにこれ貰っていいとや」
「いいに決まっとる!うちには他にもメダルはイッパイあるけん心配すんな!もう、やったもんだろが!」
どこまでも真面目なその姿勢に酔いが醒めてしまうそうでしたが、勢いで付け加えました。
「オマエがおったけんじゃなか、みんながおったけんばい、それば忘れんなよ!」
ずいぶん前からキハラに言いたかった言葉です。ボクはレロレロになりながらも忘れずに言うことができました。
しかし、そう言ったあとに、心の底から本当に言いたかった言葉が湧いてきていました。
しかし、その言葉はその場所で言うことはできませんでした。
それが言えない自分が情けなくなりオロオロと店を出たのでした。
後ろからM上君が追いかけてきました。いつもみんなにイジリ回されているM上君でした。
「西君!よく頑張ったね!ほんと!今日はボクが送っていくよ!」
確かに、今日はタクシー代も持っていませんでした。M上君の申し出に甘えることにしました。M上君!あのときはありがとう!
翌日は出勤し、朝のミーティングではお礼の挨拶をすることができましたが、アルコールが残っていたために出勤はカミさんに送ってもらい、打合せに向う車もその日は社長に運転を務めてもらいました。
そして、投票日の翌々日からこの選挙バカシリーズを始めたと思うのですが、最初から決めていたことがありました。
それは、慰労会のときに木原代議士に言えなかった言葉を書き記すことでした。
キハラ、本当はオマエがおったけん、オマエがおったけん出来たことた、オレはいっぱい学ばせてもろうた、オマエには礼ば言わにゃいかん、ありがとう。そしてオレはオマエを信じているからな。
しかし、文章にすると何と陳腐この上ないことでしょうか。
ガックシです。泣!
今度、木原代議士にあって直接言わなければなりません。笑!
この選挙バカシリーズもいよいよ終わりです。
個人的な記録ですが、ここまで読んで下さった読者の皆さんに心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
これからも宜しくお願い致します。
平成25年1月2日未明
西 英典
インタビューも一段落し、入口付近に集まった有志のみんなで木原代議士を胴上げしました。続いてK団長も胴上げされ、もう何回見たかわからないK団長の涙顔にボクは大爆笑したのでした。そして、K団長はボクを思いっきりハグしたのでした。タバコくせぇのなんのって!
まだ、10時頃だったかと思います。我々有志は場所を繁華街に移して慰労会を行いました。有志諸君のはち切れんばかりの笑顔と自信に満ち溢れた表情が忘れられません。仲間をこれほど誇り高く思ったことがあったでしょうか。有志諸君は自分の利害に関係なく、中には害にしかならない有志諸君も含まれていましたが、我々は、出来ることを精一杯やったことに違いありませんでした。本当に嬉しくて仕方がありませんでした。
同級生の有志からは最後の挨拶について酷いダメ出しを喰らいましたが、後輩諸君からは半分はお世辞と思われる大絶賛の評価を頂きました。
「センパイの挨拶は、マジでカッコ悪かったっすけど、マジ、カッコよかったっス!」
後輩の有志諸君は、ボクがなぜ子供のメダルを木原代議士に渡したかという意味をボク以上にうまく説明してくれました。本当に嬉しく思いました。
興奮もあったのですが、睡眠不足に空きっ腹でした。酔いはアッという間にまわり、ボクは気を失いかけていました。そして、木原代議士が現れました。胸にはメダルが掛けられていました。安っぽいメダルです。ですが、ボクはそれを目にしたとたんに嬉しくて涙が溢れてきました。テーブルに突っ伏して泣いてしまったように思います。
酔いが限界に達しました。明日は仕事の予定で、車に乗らなければなりませんでした。酒量からすると既に明日の運転は厳しい状況にありました。ボクは席を立ち、木原代議士に軽く挨拶をするとその一座を離れました。靴を探しているとメダルをつけた木原代議士が現れました。
「ニシ、これほんとにこれ貰っていいとや」
「いいに決まっとる!うちには他にもメダルはイッパイあるけん心配すんな!もう、やったもんだろが!」
どこまでも真面目なその姿勢に酔いが醒めてしまうそうでしたが、勢いで付け加えました。
「オマエがおったけんじゃなか、みんながおったけんばい、それば忘れんなよ!」
ずいぶん前からキハラに言いたかった言葉です。ボクはレロレロになりながらも忘れずに言うことができました。
しかし、そう言ったあとに、心の底から本当に言いたかった言葉が湧いてきていました。
しかし、その言葉はその場所で言うことはできませんでした。
それが言えない自分が情けなくなりオロオロと店を出たのでした。
後ろからM上君が追いかけてきました。いつもみんなにイジリ回されているM上君でした。
「西君!よく頑張ったね!ほんと!今日はボクが送っていくよ!」
確かに、今日はタクシー代も持っていませんでした。M上君の申し出に甘えることにしました。M上君!あのときはありがとう!
翌日は出勤し、朝のミーティングではお礼の挨拶をすることができましたが、アルコールが残っていたために出勤はカミさんに送ってもらい、打合せに向う車もその日は社長に運転を務めてもらいました。
そして、投票日の翌々日からこの選挙バカシリーズを始めたと思うのですが、最初から決めていたことがありました。
それは、慰労会のときに木原代議士に言えなかった言葉を書き記すことでした。
キハラ、本当はオマエがおったけん、オマエがおったけん出来たことた、オレはいっぱい学ばせてもろうた、オマエには礼ば言わにゃいかん、ありがとう。そしてオレはオマエを信じているからな。
しかし、文章にすると何と陳腐この上ないことでしょうか。
ガックシです。泣!
今度、木原代議士にあって直接言わなければなりません。笑!
この選挙バカシリーズもいよいよ終わりです。
個人的な記録ですが、ここまで読んで下さった読者の皆さんに心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
これからも宜しくお願い致します。
平成25年1月2日未明
西 英典