僕にとって、選挙活動期間中の一つの山場は12月9日に市民ホールで行われた総決起大会だった。
これまでの2回の衆議院選挙では、出陣式に親衛隊風の自転車隊の一員として、当時後援会長だった勝山と共に、健軍神社を出発するといったパフォーマンスを演じたことがあったが、まさか、ステージ上から応援演説をするとは当日の前夜まで微塵も考えていなかった。
選挙期間中、普段は、仕事が終わった夕方から事務所に「出勤」していた。およそ7時から8時の間だった。事務所に着くと、黄城高有志の会のブースで一息したり、事務所の外の喫煙場所で一服するのが日課のようなものとなっていた。その後に、OB訪問活動、つまりローラー作戦用の地図作りなどにあたっていた。
昼間の事務所の様子はよく知らないが、夜は我々のようなコアな支援者と事務所スタッフのほか、多くのの政治家(市議、県議、参議)が出入りしていた。
その中で一番気さくに我々のブースに来て激励や政治の話しをしてくれたのが、選挙長を務めていた2期目の松中参議院議員だった。
松中議員は、我々と年齢が近く大学まで硬式野球を続けており、野球好きの僕にとっては非常に身近に感じられた。また、議員のご子息が中学校で野球をやっており、お互いの子供の野球話ができたことも親近感が増した大きな理由だった。松中議員にとってもそうだったのかもしれない。外の寒い喫煙所では、選挙長としての辛い立場の話も何度か聞いた。というのも、松中議員はこの選挙戦における「長」ではあるが、選対本部を構成する主要な議員団の中では二番目に若い議員だったからである。
「いろいろあるんだよ、、」
事務所内では頻繁に打合せが行われるのだが、選挙戦の進め方については様々な方面から意見が寄せらる。それは、「誰々がこんなことを言っていた」のを「誰々から聞いた」など、まるで中学生の伝言ゲームのような不確かなものが多く含まれているため、その真意の確認作業や調整が打合せの主たる内容であった。
松中議員はまさにその渦中にあり、選挙を戦っているというよりも、小ざかしい処理業務をこなしながら目上に気を配るといったまるで中間管理職のような存在であった。しかし、端的に言えば選挙戦に携わるということは一般職務となんら変わらないことなのかもしれない。というのは、これらは、決められた期間に一定のルールの中で「政見」あるいは「候補者」を売るという、極一般的なビジネスモデルの基本事項に例えることが可能だからだ。そういう意味において、重要なことは、商品となる「候補者」を有権者に効率的かつ効果的に広く知ってもらうことなのであるが、その過程において価値観や方法論の違いによる軋轢が生じ、場合によっては組織が崩壊するような凄まじい派閥争いが起こるのである。
選挙事務所においてはここまで極端なことはないにしても、組織の中枢に携わる人物には相応の苦労が付きまとうことは想像に難くない。
「、、、ヒガシさん、ほんとに、いろいろあるんだよ、、、」
松中議員の言葉には全てが詰まっていた。一方、僕も仕事などの愚痴をこぼしては、お互いの苦労を労ったのであった。
そして、総決起大会の前日の夜のことだった。やはり、外の寒い喫煙所でいつものように二人で煙草を吸っていると、松中議員が唐突に尋ねてきたのだった。
「ヒガシさんは人前で喋ったことある?」
そう言われれば、喋るときはいつだって人前である訳で、だから僕は簡単に
「ありますよ」
と答えた。しかし、政治家の言う「喋る」には別の意味もあるのだということに直ぐに気がつくと、それが表情に出たのかもしれない。僕は黙っていたが、議員は納得の様子だった。
すると、事務所の中からスタッフの男性が呼びに来て、議員は慌て中へ戻って行ったのだった。しかし、ドアは再び開き、中から顔だけを出して議員はこう言った。
「このことは、まだ、誰にも言わないでね、とにかくまたあとで!」
ドアの閉じる乾いた音が暗い駐車場に響いた。議員のコーヒーカップが灰皿の横に残されたままだった。
続く、、、
これまでの2回の衆議院選挙では、出陣式に親衛隊風の自転車隊の一員として、当時後援会長だった勝山と共に、健軍神社を出発するといったパフォーマンスを演じたことがあったが、まさか、ステージ上から応援演説をするとは当日の前夜まで微塵も考えていなかった。
選挙期間中、普段は、仕事が終わった夕方から事務所に「出勤」していた。およそ7時から8時の間だった。事務所に着くと、黄城高有志の会のブースで一息したり、事務所の外の喫煙場所で一服するのが日課のようなものとなっていた。その後に、OB訪問活動、つまりローラー作戦用の地図作りなどにあたっていた。
昼間の事務所の様子はよく知らないが、夜は我々のようなコアな支援者と事務所スタッフのほか、多くのの政治家(市議、県議、参議)が出入りしていた。
その中で一番気さくに我々のブースに来て激励や政治の話しをしてくれたのが、選挙長を務めていた2期目の松中参議院議員だった。
松中議員は、我々と年齢が近く大学まで硬式野球を続けており、野球好きの僕にとっては非常に身近に感じられた。また、議員のご子息が中学校で野球をやっており、お互いの子供の野球話ができたことも親近感が増した大きな理由だった。松中議員にとってもそうだったのかもしれない。外の寒い喫煙所では、選挙長としての辛い立場の話も何度か聞いた。というのも、松中議員はこの選挙戦における「長」ではあるが、選対本部を構成する主要な議員団の中では二番目に若い議員だったからである。
「いろいろあるんだよ、、」
事務所内では頻繁に打合せが行われるのだが、選挙戦の進め方については様々な方面から意見が寄せらる。それは、「誰々がこんなことを言っていた」のを「誰々から聞いた」など、まるで中学生の伝言ゲームのような不確かなものが多く含まれているため、その真意の確認作業や調整が打合せの主たる内容であった。
松中議員はまさにその渦中にあり、選挙を戦っているというよりも、小ざかしい処理業務をこなしながら目上に気を配るといったまるで中間管理職のような存在であった。しかし、端的に言えば選挙戦に携わるということは一般職務となんら変わらないことなのかもしれない。というのは、これらは、決められた期間に一定のルールの中で「政見」あるいは「候補者」を売るという、極一般的なビジネスモデルの基本事項に例えることが可能だからだ。そういう意味において、重要なことは、商品となる「候補者」を有権者に効率的かつ効果的に広く知ってもらうことなのであるが、その過程において価値観や方法論の違いによる軋轢が生じ、場合によっては組織が崩壊するような凄まじい派閥争いが起こるのである。
選挙事務所においてはここまで極端なことはないにしても、組織の中枢に携わる人物には相応の苦労が付きまとうことは想像に難くない。
「、、、ヒガシさん、ほんとに、いろいろあるんだよ、、、」
松中議員の言葉には全てが詰まっていた。一方、僕も仕事などの愚痴をこぼしては、お互いの苦労を労ったのであった。
そして、総決起大会の前日の夜のことだった。やはり、外の寒い喫煙所でいつものように二人で煙草を吸っていると、松中議員が唐突に尋ねてきたのだった。
「ヒガシさんは人前で喋ったことある?」
そう言われれば、喋るときはいつだって人前である訳で、だから僕は簡単に
「ありますよ」
と答えた。しかし、政治家の言う「喋る」には別の意味もあるのだということに直ぐに気がつくと、それが表情に出たのかもしれない。僕は黙っていたが、議員は納得の様子だった。
すると、事務所の中からスタッフの男性が呼びに来て、議員は慌て中へ戻って行ったのだった。しかし、ドアは再び開き、中から顔だけを出して議員はこう言った。
「このことは、まだ、誰にも言わないでね、とにかくまたあとで!」
ドアの閉じる乾いた音が暗い駐車場に響いた。議員のコーヒーカップが灰皿の横に残されたままだった。
続く、、、