1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

選挙バカの詩×16『三原代議士と僕』

2013-01-19 21:16:07 | 雑談の記録
さて、我々同級生は2005年の夏から選挙に関わっているが、ミハラは最初の選挙で古泉旋風を受けて比例復活を果たして代議士となった。当時は右も左も分からない中での選挙活動だったが当選を果たしたときの達成感は今以上ではなかったかと思う。若さがそう思わせたのだろう。同級生が代議士になったことを誇りに思った。
ミハラが三原代議士になったのだ。
代議士と関わったことを少し記録しておこうと思うが、その前に少し自分の仕事の紹介をしたい。
僕の仕事は公共工事に関する地盤や地質調査がその主体だ。簡単に説明すると、橋梁やトンネル、その他建物などの構造物を作る前に地盤の状況を調査するといったものだ。具体的には調査ボーリング(地中に孔を掘る)を行って、地中から採取される土や岩石について調べ、その地盤の強度や構造について解析するといった仕事だ。
ある砂防ダムの計画が決まった現場でのことだった。調査をするとその現場の岩石にはアスベストが含まれることが判明した。砂防ダムを作る力学的な観点からは、その岩石はなんら問題は無いものであったが、そこで工事にあたる作業者の健康には問題がある可能性が考えられた。僕はそのことを担当部署に報告するとともに、ある飲み会の席で代議士にも相談をしたのだった。
現在、アスベストの危険性は一般に知られているが、それが特殊な岩石に多量に含まれていることはあまり知られていない。今だから話せるのだが、以前、僕は資源会社に勤めていて、会社のトップから密命を受けて採石山におけるアスベスト含有の可能性を調査した経験があった。だから、ある程度の知識を持ってその問題に取り組んだのだが、残念ながら土木工事現場におけるアスベストの規制や管理方法といったものはなく、行政側も取り扱いに大変苦慮していたのだった。そして、代議士はこの問題をいち早く取り上げ国交省に対応策を掛け合い、そのことは全国の自治体に伝わったのだった。
その砂防ダムは現在完成し、その機能を遺憾無く発揮しているのだが、このとき初めて代議士の「力」を知ったのだった。

もう一つ記録しておこうと思う。
それは、元日本代表Jリーガーのドーピング冤罪事件だ。
2007年のシーズン初めごろ、体調不良によりチームドクターから受けた点滴治療が問題視(ニンニク注射と誤報)され、Jリーグがドーピング違反で6試合の出場停止処分とチームに1000万円の罰金を課した。しかし、実際は、点滴にビタミンを追加しただけの専門医師として適切な医療処置だったのだ。その後、このことは世界アンチドーピング機構の規約違反にはならないことが示された。また、処分の取り消しを求めてスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴し、2008年5月27日、CASはその元日本代表の訴えを全面的に認め、Jリーグに対し、CAS史上最高額となる2万ドルのペナルティを科す裁定が下されたというのが、この事件の大筋なのだが、点滴治療を行ったのが同郷の我々同世代のドクターだったのだ。
この問題がスポーツ誌で報じられたころ、ボクはそのドクターの父親から相談を受けたのだった。これは不当な処分であると父親は力説していた。
その父親は、天然芝のサッカーグランドを所有しそれをただ同然で近隣地区のサッカーチームの練習や試合に提供していることで、県内のサッカー界ではよく知られている存在だ。そのグランドには、日本サッカー黎明期のカズをはじめとする元日本代表が合宿で訪れており、当時の懐かしい写真がクラブハウスには飾られている。
そして相談を受けたとき、その父親は、最も愛してやまないサッカー界からの陰惨とも言うべき仕打ちに対して、慟哭、ここに極まれりという状態だった。その後、僕自身も新聞や雑誌等を調べたほか、別口からの資料提供によって、これはJリーグのドーピングコントロール委員会の誤報に基いた処分であることを理解するとともに、この委員長が世界アンチドーピンング機構の委員に推薦されている「重鎮」であることを知るに至り、組織の強烈な腐敗臭を感じたのだった。
そして、僕はこの事を代議士に話し、ドクターの父親と直接会ってもらった。その後の代議士の行動は早かった。文部省にこの事案を持ち込み、国会でも取り上げられ問題解決の一翼を担ってもらったのだった。
CASの裁定が下った翌日の2008年5月28日に、僕のブログでこのJリーガーのことを取り上げたところ、コメントが寄せられた。


これから (三原)
2008-06-01 00:19:30
「正当な医療行為」を施したドクターの名誉回復がまだですね。

ありがとう (hiratamua)
2008-06-01 08:25:05
ウン、確かに。
それはボクもよくわかっている。
身勝手で個人的な意見だけど・・・、
ドクターの名誉回復は静かにゆっくりがいいなぁ。
なんかそんな気がする。
でもトニカク、この件について、三原(衆議員)にはお礼を言わなくちゃいけない。
「めちゃくちゃありがとう!」

なお、このJリーガーの冤罪については、木村元彦氏が著した「争うは本意ならねど-ドーピンング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール- :2011年12月集英社インターナショナル」に詳しく書かれてあり、これによりドクターの名誉回復が図られたのではと思う。同郷の同世代の一人として木村氏にも心から感謝したい。ありがとうございました。

続く、、、
コメント
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