平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

 平和への希い1329 ウラミツラミの北方領土

2018-11-16 10:18:23 | 日記
      平和への希い1329 戦後74年  
    ウラミツラミの北方領土  2018.11.16

安倍首相は、14日、シンガポールでロ・プーチン大統領と会談後、
1956年の日ソ共同宣言に基づいて、日ロ平和条約交渉を加速させ、次の世代に先送りしないで、必ず
終止符を打つ
」と、最後の安倍政権としては、政治遺産(レガシー)の一つにと、格好よく、ぶち上げた。
9月12日、ロシア・プーチン大統領は、ウラジオストクで開催中の東方経済フォーラムの全体会合で、
「一切の前提条件を設けずに2018年末までに日ロ平和条約を締結しよう」
「今思いついた」と、安倍総理に提案、「4島一括返還」を主張してきた安倍首相は、不意を突かれ、「ハト
が豆鉄砲を食らった」体でした。
1956年の日ソ共同宣言は、「平和条約締結後に、色丹島、歯舞群島を引き渡す」と明記、日ソ両国が批准、
法的拘束力を持っている。

プーチン大統領は、「日本は、この宣言の履行を拒否した」との思いが強い。
更に逆のぼって、太平洋戦争の戦勝国としての当然の権利、日露戦争後に割譲させられた南樺太のウラミ、等、
国内世論の圧力が強い。支持率低下のプーチン大統領、世論を抑えられるかどうかも、なかなか壁は高い。

日露戦争で、アメリカ合衆国大統領の講和勧告後、日本は講和談判を有利に進めるためにロシア領樺太に侵攻、
樺太占領後の8月10日から開始された日露講和会議(ポーツマス条約)の結果、北緯50度線以北はロシアに
返還されたが、以南は正式に割譲させ日本領となった。

1945年8月15日、日本が無条件降伏を受け入れ、終戦のつもりの日本。
北海道北部獲得を目指したスターリンは、9月4日の降伏文書調印後まで 侵攻を止めなかった。

日露戦争の時の日本と同じ、自国有利のためには、「何でもあり」だった。
ロシア国民感情としては、「日本が無条件降伏したのだから、4島はロシア領で当然」との思いのようだ。
日露戦争のウラミも、北方4島返還を難しくしている一つの原因のように見えます。
「戦争で取った取られた」のバカバカしさ。戦争という武力で解決しても「ウラミツラミ」が残る。
いかなる紛争も、ウラミを残さないために、武力による解決ではなく、「話し合い」によるしかないのです。

ウォーキング中に出会った花。近くのホームセンターの鉢花(売り物)を撮らせて貰いました。

11月16日、「今日は何の日カレンダー」より
幼稚園記念日
▲日本最初の木製活字本(1593)▲玉川上水完成(1653)▲人形浄瑠璃の一つ、義経千本桜、初演(1747)
▲スエズ運河、開通(1869)▲初の官立幼稚園。東京女子師範学校付属幼稚園(現在のお茶の水女子大学付属)が
東京・神田に開園(1876)▲日比谷図書館開館(1908)▲現代かなづかいと当用漢字表発表(1946)▲東京間借人協会
発足(1966)▲横須賀の米空母ミッドウエーの母港化政府が承認(1972)▲東海地震に備え、6県が初の総合防災
訓練(1979)