城郭 長谷川博美 基本記録

城郭遺跡見学講師 信長公記講師 お城イベント案内 民俗学講師  神道思想史講師 などの情報を発信して行きます。

竪石垣対談編  近江。石の城。土の城。を一期一会に見たいんです。そのⅡ 

2019-03-04 15:45:35 | お城日記
竪石垣対談編 近江。石の城。土の城。を一期一会に見たいんです。そのⅡ 
一般者
 飛行機の模型が好きな人は翼が付属していないと不満足かと思いますが?
 トンボを見学したい純心な人はトンボの羽根も見学したいと思いますが?
 着物を展示されている場合片袖が取れていたら抜けていたら困りますね?
長谷川
 そうかもしれませんね?飛行機の羽根が無い場合は空を飛びませんからね。
 トンボの標本の羽根が無かったら博物館に展示されないでしょう。でも城址
 は観光行楽の分野なので昔から城址に行く事が流行っており城址見学する人 
 は極めて少ないのですよ。
対談者
 長谷川先生が1人淋しく美濃鷺山城を訪問された時の略図と言うか概念図
 を興味深く拝見致しました。何かを考えさせる内容が含まれておりました。
長谷川
 縄張図で有りませんしイメージ図なので正確さが無いので注意して下さい。
 
対談者
 さて飛行機の羽根。トンボの羽根。着物の袖を見学観察したい人の心理とは
 普遍的と言いますか、ごく素朴で初歩的で普通だとおもうのですが?城址と
 なると大多数の皆さんが早々に素早く通過されてしまうと言うか。要するに
 トンボならば動体だけ見て直ぐ帰ってしまう状態で真に残念と思うのです!
長谷川
 城址は観光行楽の場として大衆に普及してきた経緯がありますので仕方ない。
対談者
 私は長谷川先生に付いて竪堀や竪土塁を素直な心で見学してきました。中世
 の城郭には竪土塁がありますし一部石垣で竪土塁を補強しているものもあり
 慶長倭城の登り石垣の先輩や先祖に相当するものが存在すると考えています。
長谷川
 2018年7月に編集された。城郭研究の同人誌『戦乱の空間』に髙田徹さんが
 「竪石垣」について言及されて非常に深く含蓄のある内容を私は推薦します。
対談者
 是非近江で「竪石垣」に類する遺跡を是非見学したと以前から思っています。
長谷川
 冷静になって下さい。例え竪石垣らしき映像を見たとて農業遺跡の可能性も
 あり解答は軽率に軽薄に出るものではありません。慎重冷静が大切なのです。
対談者
 すごいこの写真まさに竪石垣の生々しい現実!長谷川先生と是非見学したい。

長谷川
 慎重に慎重に物事を軽率に軽薄に軽々に判断してはなりません。
対談者
  でも先生!この遺構は城内側と城外側をしっかり区別して普請していますよ!
 城内側に道をちけて歩きやすくし城外側には列石を配置して防御の態勢がある。

長谷川
 慎重に慎重に物事を軽率に軽薄に軽々に判断してはなりません。研究や調査は
 長い年月をかけて、継続的に地道に取り組む事が、大切だと私は考えています。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

素晴らしい文化都市 栗東市の印象 見事爽やかな職員様の連携と対応

2019-03-04 07:13:17 | 日記
素晴らしい文化都市 栗東市の印象 見事爽やかな職員様の連携と対応

 栗東と言えば町から市へと人口が増加して現在では人口7万人に迫る素晴らしい
環境と交通条件の調った陽光に満ちた田園文化都市の印象を私は持っている。先週
偶然栗東歴史民俗博物館様を偶然訪問し職員様の親切な対応に爽やかさを感じてい
た。今回また偶然にも歴史の調べ物をする為に長浜市の人、犬上郡の人、そして私
、米原市の住民の三人で図書館、民俗資料建物、歴史博物館を再訪する事になった
何れの施設の職員様も連携し私達に爽やかに誠意的に対応して頂いて、その親切な
職員様の対応が深く心に沁みた。それは爽やかなみどりの都市栗東のイメージその
もの。もしかすると栗東町から栗東市へと発展した要因は交通の要衝条件だけでは
ないかもしれない。そこに住む人々の心が善ならば善なる人が自然と集まり町とは
穏かに自然に栄えるのかもしれない。

近江の栗田郡は『和名類聚抄』では「栗本郡」と記され、はじめ「くりもとぐん」
と読んでいたが、やがて「くりたぐん」栗田郡と変化した。栗田郡は現在の大津の
一部や草津、守山等の広域に該当し、栗田郡の東部の町と言う意味の町名から栗東町
が出発。従って栗東市の「栗」は栗田郡の「栗」の文字を現代に継承したルーツを
持っ。2001年(平成13年)10月1日 滋賀県栗太郡栗東町が市制施行して栗東市へ。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする