城郭 長谷川博美 基本記録

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武蔵 高月城の研究 関東の城

2023-02-20 19:55:24 | 関東の城 ビイスタ工法

武蔵今井城のビイスタ

について学びたい人は

是非以下の青文字是非

クリックして下さい。

東京の佐藤さんが青梅今井城の電撃質問 - 城郭 長谷川博美 基本記録

東京の佐藤さんが青梅今井城の電撃質問 - 城郭 長谷川博美 基本記録

東京の佐藤さんが青梅今井城の電撃質問◆佐藤「匿名/仮称」多摩に住まいする佐藤と申し上げます。ビイスタ工法読取れる城址が一流の城だと友人から聞き及びました我が町の今...

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◆関東様

正直東京八王子市にある

八王子城址からベネチア

ンレースカツプが出土し

ている事や長谷川先生の

見解御主殿ビイスタ工法

解説をブログで読んで私

驚愕している昨今です。

主殿への導入路や橋梁の

設定縄張を長谷川先生が

幾何学的に解説されてい

る事を知るにつけて私の

学問視座と長谷川先生の

視点視座研究要諦に驚愕

◆長谷川

関東様が驚愕されても当該

ブログは読者が極めて少く

つまり人気が全くない事!

 

◆関東様

人気は芸能人や俗人の世界

城郭ビイスタ動画ジリジリ

と視聴数を伸ばしています。

 

 

◆関東様

我々東国の研究からみて

近江余呉行市山城の縄張

図①

▼米原市の磯山城「北城」ビイスタ論

図②

◆関東様

図①②の城郭ビイスタ理論

は驚くべき研究視点ですよ。

加えて図③安土城ビイスタ

論等は研究家として如何に

優れておられるか明白です。

これはもはや長谷川学とも

言える一流ブランド学問で

長谷川氏とは1980年代から

もう既に突出した研究家!

▼図③安土城ビイスタ論

 

◆関東様

私関東東京多摩地域に住まい

する者ですが武蔵国数郡支配

した大石信濃守の系統の城と

言われている高月城にも城郭

ビイスタつまり城郭測量技術

が存在するのか私は知りたい

「日本城郭大系5 埼玉・東京」

の高月城の縄張技術を是非に

御教示を賜りたいと願います。

 

◆反論者

私は城郭ビイスタ論に反対だ

何故なら私は長く関東の城郭

に関してウンチクや含蓄述べ

てきた名門研究だその名門と

呼べる人がビイスタ論を長年

述べてかった事自体が恥辱だ

学者として恥をかきたくない

私には私の学問的なプライド

自己尊崇や確固たる自己顕示

 

◆対談者

学者としてのプライドの意味

自尊心の意味の誤用誤解です

真の学者とは真理や定理など

冷静に粛々と研究研鑽を続け

る聖者とも言える人なのよね

◆長谷川

大石氏

武蔵高月城 扇型ビイスタ

が読み取れます。

◆東京のみんな

すごいじやん俺町田の人間

だが神奈川県に近いけどね

長谷川さんは神奈川県にも

住んでいたし関東の人にも

親戚があるから関東的性格

▼武蔵高月城の扇型ビイスタ

 

◆長谷川

次に高月町の文字の下には

相横矢の技巧が存在します

主郭部も含めて見事な形状

のクサビ型ビイスタの城郭

◆みんな

すごい!城郭ビィスタ論本物

 

◆長谷川

武蔵大石氏の名跡を継承した

北条氏照の八王子城御主殿の

ビイスタ工法と比較します。

◆質問者

城の中心「へそ」とも言える

場所から縄張していますか?

武蔵高月城に中央ビイスタが

存在するのですか?

 

◆長谷川

武蔵高月城には中央ビイスタ

も読み取る事が可能です武蔵

深大寺城にもビイスタ存在し

ます。関心のある方は是非と

も下記リンク記事の青文字を

クリックして下さい。

 

武蔵深大寺城の縄張の深淵 - 城郭 長谷川博美 基本記録

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武蔵深大寺城の縄張の深淵◆質問者今回の投稿の要点は一体何でしょうか?◆長谷川庭にしろ絵にしろ城にしろ自分が最初に学んだ先生の主観や手法や通年や概念を一生背負い続け...

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◆長谷川

様々なビイスタ工法が武蔵

高月城には存在致します。

 

ウイッキペデイア高月城より引用

高月城(たかつきじょう)は、現在の

東京都八王子市高月町にあった戦国時代初期

日本の城山城)である。

概要[編集]

多摩川秋川の合流点近くで、加住丘陵を利用し

た天然の要害である。曲輪堀切土塁などの遺構

が残る。1458年(長禄2年)山内上杉氏の重臣

武蔵国守護代大石顕重大石信重の玄孫)が

築城し、二宮(現在のあきる野市)から移った、

とされている。田中正光の論によると『廻国雑記』に

「前庭に高閣あり、矢倉などを相かねて侍けるにや、

遠景すぐれて数千里の江山眼の前に盡ぬとおもおゆ」

という記述が高月城を指すものとしているが確証はない。

また、大石氏が高月城城主である旨の記述のある大石氏

系図については他研究者から信憑性についての指摘が

なされており、高月城と大石氏を直接結ぶ確かな史料

は確認されていない。


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