城郭 長谷川博美 基本記録

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常陸 小坂城(おざか城)  尾張 清州城 両城のビイスタ

2023-08-26 05:15:51 | 関東の城 ビイスタ工法

常陸 小坂城(おざか城)  尾張 清州城 両城のビイスタ

(城郭比較研究論)

◆長谷川

私は民俗学者でもあり城郭も研究

しております。幾何学測量の事を

昔から『規矩』きく、と読みます。

測量設計を『規矩』と表現する場

もあります。日本国に分布する

名城にはキク」が女性名称として

登場する類例が多いと言えます。

優れた『規矩』の備わった城ほど

「キク」伝承が存在する。これは

日本の隠し言葉、忌み言葉の世界

 

※ウイッキペデイアより

小坂城と笄松物語[編集]

牛久のむかしばなしに「小坂城と笄松物語」があり、小坂城の

戦いのことが伝わっている。「女中奉公していたきくが早朝に

井戸で水汲みしていた時に、西南の方向におびただしい煙があ

がっていた。そこで敵が兵糧を炊いているのではないかと思い

宿直の武士に知らせた」と伝えている。この戦いが東条氏との

合戦かどうかはわからないが、他に小坂城での合戦の記録が残

されていないことから、この時の言伝えであろうと考えられる。

 

◆町の城先生

私は町の郷土史のそれも城跡解説

の先生なんだけど、昭和、平成、

令和と時代が推移したね私の若い

頃はA城は連郭式

  B城は梯郭式

       C城は階郭式

  D城は円郭式

  E城は渦郭式

  F城は群郭氏

と見学会や講演で解説すれば済ん

だところがどうだ?令和の最近に

城郭ビイスタ論というのが突然に

出現した。しかも城のビイスタを

解けないんだ私の様に大学や教職

の経験をへて勉強してきた有識層

ではない普通の主婦層それも昭和

に『糸取り』『綾取り』した女性

層が城郭ビイスタ論を簡単に解い

しまう珍事が発生している事だよ

僕なんか先輩から先人から先生か

ら学んだ事しか頭に入ってない訳

で城図面を見て全く城郭ビイスタ

が解らないんだよ!私は学校教科

の勉強は秀才と言われたが『糸取』

や『折紙』は正直出来ないのだよ。

城郭ビイスタなんか全く解らない。

 

◆世話人様

それもう一度貴方が初心者に帰る

事から0から始めたらどうですか?

 

◆長谷川

そうですね。尾張清洲城を勉強する

人には『初心者様』が適しています。

歴史城郭講座で清洲城を私が解説を

する場合、歴史好きの人より糸取り

の得意な女性が理解度が高いのです。

清須城「紙飛行機」の様な折り目の

あるビイスタ工法の城ですよと解説

した時、「折紙」や「糸取」の得意

な全く学習教科書歴史を知らない人

が素早く理解される傾向にあります。

つまり「折紙」「糸取」は幾何学の

事で女性は得意なのです。ところが

城図を見せると男性は得意で女性は

苦手な顔をされる傾向にあります。

これは先入観やバイヤス、ステレオ

タイプの発想と呼ばれる固定感概念

◆長谷川

清須城もチヤンと二方向から重複

ビイスタ工法をで基本縄張してる。

◆長谷川

これもう既に消滅した尾張鳴海城

も、この 重複ビイスタ工法の城。

 

◆長谷川

織田信長の安土城は複座な総合

ビイスタを駆使して縄張してる。

 

 

 

 

◆町の城先生

すごいな!この城郭ビイスタ論とは!

◆反論者

いかん!いかん!いかん!

この動画は絶対に見るな!

 

◆質問者

関東常陸の小坂城には今話題の

城郭ビイスタ工法はありますか?

 

◆長谷川

城郭縄張の基礎とも言えるクサビ

型の城郭ビイスタ工法が読取れる。

◆長谷川

やはり城郭縄張基礎セオリーと言う

べきか城郭の構図も存在致します。

◆長谷川

この常陸小坂城繊細にビイスタ分析

を致しますとABのタブルビイスタ

CDのダブルビイスタの複数併用等

 

 

◆一般者

チョツと待ってよ!城郭の異端者と

言われた長谷川氏のビイスタ論こそ

が日本国城の城の構図の基本論だと

言う事になって来ましたよ!長谷川

氏は少数支持者のみと、鼻先で失笑

していたが長谷川先生が正論者であ

る可能性と評判は日々上昇している!

◆みんな

長谷川先生って大昔から本物ですよ!

 

◆長谷川

豊臣秀吉の天正大坂城もやはり

城郭の構図の基本ビイスタ工法

で築城されております。

 

◆長谷川

次回見学会は9月16日名将で名人

堀久太郎秀政の東野山城菖蒲谷

城です。何れも見事な織豊陣城。

 

 

 

 

 

 

◆以下ウイッキペデイアより引用

小坂城(おさかじょう)は茨城県牛久市小坂町にあっ

戦国時代日本の城。牛久市指定史跡

地理[編集]

小坂団地と小坂の集落の間にある愛宕山に築城された。

歴史[編集]

小田氏から分流した岡見弾正忠治資が牛久城を築城する

少し前につくったとされる。小田家風記には「小坂城主

が岡見備中守であり、一万石の小田一族大名」として

記録されている。新編常陸国誌には、「天文17年

(1548年)に小野川の対岸の泉城から攻撃を受け、

小坂岡見勢が泉城主の東条重定を討って撃退した」

とされている。この小坂合戦には、東条氏に味方する

江戸崎の土岐氏と岡見氏に味方する小田氏も参戦した

とされている。

城の構造[編集]

小規模ではあるが技巧的な城館として残されている。

南端Iにある主郭は、県道の改修時に発掘調査が行われ、

三分の一程度が削り取られている。主郭の周りは土塁

空堀がめぐっており、曲輪IIも土塁が全周し、その外側

は大規模な空掘で囲まれている。北面中央の開口部は

櫓門虎口跡と思われる。曲輪IIIは大規模な土塁

全周し、東北部には破壊された土橋で城外と接続されて

いたことが考えられる。

 

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