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◆対談者
水野下野守元信は三河地方
刈谷城主で勢力を張ってた
有力な戦国武将と言えます。
▼ウイッキペデイア引用
項目で「小河より水野四郎右衛門尉(信元)
殿方カラ、浅井六之助(道忠)ヲ使にコサ
せラレテ」との記述があり、桶狭間の合戦
当時、水野信元は緒川城もしくはその周辺
を守備していたか、あるいは日和見をして
いたものと考えられる。また、『三河物語』
の三河一向一揆の項目では、水野下野守
(信元)殿、雁屋(刈谷)より武具にて
佐崎之取出え見舞に御越有。」と記述がある。
◆彦根市民
この水野下野の記録は
『信長公記』を長谷川先生
に学び私は覚えております
元亀年間の佐和山城攻城戦
水野下野は南の山に陣を構
えたと記録しています。
◆長谷川
南の山を平田山と解釈する
事も出来ます。なぜならば
慶長5年の関ケ原合戦後の
佐和山城攻めの本陣とは
徳川家康陣跡の平田山です
この様に中央型ビイスタ
工法を用いております。
◆みんな
すげえ!彦根平田山城
中央型ビイスタ工法だ!
◆反論者
馬鹿な!平田山城に中央
型ビイスタ工法など絶対
に存在しない絶対にな!
ビイスタ動画は見るな!
◆東海質問者
長谷川先生の城郭ビイスタ
論は東海地方では大評判に!
水野下野信元の刈谷城には
中央ビイスタ工法あります
か?先生の学説は衝撃的と
さえ言えるもの米原へと
長谷川城郭学を学びに行
く人さえも岐阜名古屋に
は 存在するのですよ!
◆反論者
ふん!刈谷城絵図見ても
ワシには全く解らんわ!
こんなの自然地形じや!
◆世話人様
解かろうと努力してます?
城を見る心眼を開く事よ!
城の図面を看破する力量
センスを磨く事が城見学!
長谷川先生尾張刈谷城の
中央ビイスタ是非解説を!
◆長谷川
刈谷城の中央ビイスタ工法
◆みんな
やっぱそうだ!ビイスタ理論
大正解と言える理論なだよ!
◆質問者
それではクサビ型ビイスタや
扇型ビイスタは存在します?
◆長谷川
クサビ型ビイスタ存在です。
◆質問者
それでは重複型ビイスタは?
◆長谷川
重複型ビイスタ存在します。
◆長谷川
さまざまなる重複型
ビイスタ存在します。
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