城郭 長谷川博美 基本記録

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上赤坂城の縄張の新研究

2023-05-27 00:50:52 | 社会観察

上赤坂城の縄張の新研究

◆城研究家

  長谷川氏の甲賀瀧川城跡と

瀧川西城のビイスタ縄張解説

には圧倒されました城郭遺跡

を研究する人々にとりこの様

な長谷川氏の斬新な研究視点

は今後の日本城郭研究の地平

を開拓する優れた研究視座と

して高く評価されるべき事。

◆一般様

やはり長谷川先生は他の先生

とは異なる優れた研究視点を

提示提唱される新研究論者と

して最近とみに再評価の先生

と言われています。この様な

城の見方がある事を知って私

は正直衝撃を受けております。

ああやはりすごい解説だなと

感慨ひとしおとも言える内容

 

◆反論者

城郭探訪ではこの様な解説や

理論は必要としない無視だよ!

 

◆質問者

上赤坂城は南北朝期の楠氏

の城として著名ですが現在

の縄張を見て横堀や竪堀の

配列は後世の戦国期の遺構

としてみる傾向強いと思い

ます。僕が長谷川先生に質

問したい事は下図竪堀群の

配列が如何様に縄張設計を

しているのか専門家の先生

に聞いてみたいと思います。

赤○囲いの縄張とは如何に?

◆長谷川

それは城郭ビイスタ工法で

赤丸を縄張している事です

年季の入った城郭研究家な

ら本格研究家なら即答出来

ない場合には偽物研究家と

言われる事もあり困惑です。

◆一般様

すごいね!よくこんな発想

で城郭遺構の堀を解析出来

る力量や視点に驚きますね。

◆長谷川

更に黄色の緻密な放射線も

この上赤坂城址の看板から

読み取れますビイスタです。

◆質問者

ウイッキペデイアには

元弘3年/正慶2年2月22日1333年3月8日)に発生した

上赤坂城の戦いでは、平野将監入道楠木正季

楠木正成の弟)が、鎌倉幕府の阿蘇治時

長崎高貞結城親光らと戦った。閏2月1日

3月17日)に上赤坂城は落城したとあります。

からこの上赤坂は2城として

縄張を捉える事は可能ですか?

◆長谷川

センスの良い質問をされます。

2城の縄張として1城づっ存在

した城のビイスタを模索する

事も必要かと私も思います。

◆長谷川

更に細かく縄張している

可能性も模索してみます。

◆質問者

さらに完璧な複数重複型

ビイスタ工法は存在しま

すか?

◆長谷川

この様に三方から放射状の

ビイスタが読み取れますが

この図を見ると竪堀の配置

なども緻密に縄張されてい

る事が類推されます。

◆対談者

いやあ長谷川先生は明治

大正昭和平成令和と時代

推移しましたが100年に

一度出るかと出ないかの

卓越研究論者ですよ素晴

らしい昔なら京都大学の

講師に招聘されて城郭の

幾何学論の教鞭をとる程

の学者だと思います驚異

的な研究家です。米原が

日本全国に誇れるだけの

独自の城郭研究論です!

 

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