上赤坂城の縄張の新研究
◆城研究家
長谷川氏の甲賀瀧川城跡と
瀧川西城のビイスタ縄張解説
には圧倒されました城郭遺跡
を研究する人々にとりこの様
な長谷川氏の斬新な研究視点
は今後の日本城郭研究の地平
を開拓する優れた研究視座と
して高く評価されるべき事。
◆一般様
やはり長谷川先生は他の先生
とは異なる優れた研究視点を
提示提唱される新研究論者と
して最近とみに再評価の先生
と言われています。この様な
城の見方がある事を知って私
は正直衝撃を受けております。
ああやはりすごい解説だなと
感慨ひとしおとも言える内容
◆反論者
城郭探訪ではこの様な解説や
理論は必要としない無視だよ!
◆質問者
上赤坂城は南北朝期の楠氏
の城として著名ですが現在
の縄張を見て横堀や竪堀の
配列は後世の戦国期の遺構
としてみる傾向強いと思い
ます。僕が長谷川先生に質
問したい事は下図竪堀群の
配列が如何様に縄張設計を
しているのか専門家の先生
に聞いてみたいと思います。
赤○囲いの縄張とは如何に?
◆長谷川
それは城郭ビイスタ工法で
赤丸を縄張している事です
年季の入った城郭研究家な
ら本格研究家なら即答出来
ない場合には偽物研究家と
言われる事もあり困惑です。
◆一般様
すごいね!よくこんな発想
で城郭遺構の堀を解析出来
る力量や視点に驚きますね。
◆長谷川
更に黄色の緻密な放射線も
この上赤坂城址の看板から
読み取れますビイスタです。
◆質問者
ウイッキペデイアには
元弘3年/正慶2年2月22日(1333年3月8日)に発生した
(3月17日)に上赤坂城は落城したとあります。
からこの上赤坂は2城として
縄張を捉える事は可能ですか?
◆長谷川
センスの良い質問をされます。
2城の縄張として1城づっ存在
した城のビイスタを模索する
事も必要かと私も思います。
◆長谷川
更に細かく縄張している
可能性も模索してみます。
◆質問者
さらに完璧な複数重複型
ビイスタ工法は存在しま
すか?
◆長谷川
この様に三方から放射状の
ビイスタが読み取れますが
この図を見ると竪堀の配置
なども緻密に縄張されてい
る事が類推されます。
◆対談者
いやあ長谷川先生は明治
大正昭和平成令和と時代
推移しましたが100年に
一度出るかと出ないかの
卓越研究論者ですよ素晴
らしい昔なら京都大学の
講師に招聘されて城郭の
幾何学論の教鞭をとる程
の学者だと思います驚異
的な研究家です。米原が
日本全国に誇れるだけの
独自の城郭研究論です!
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