米原学びあいステーシヨンの
城講座は簡単なのに深いです。
◆県外人様
東海地方の者です長谷川先生
の講座に参加しておりますが
東海地方で聞けない内容です。
◆犬上郡住民様
ウチの集落に長谷川先生来訪
され明智十兵衛屋敷背後の山
城を発見された時には鳥肌が
立ちました先生の金田一耕助
の様な優れたセンスに驚いた。
◆長谷川
私は優れた研究家ではありませ
ん。平凡素朴なだけの凡人です。
ブログ読者数は極めて低いです。
◆一般様
滋賀県外では名だたる研究家で
研究家の中の研究家という人物。
◆長谷川
米原公民館の後身である米原
学びあいステーシヨンの講師
に3年前採用され私は思わず
先方様に「大丈夫ですかね?
私の様な無名研究家を起用さ
て講座が成り立ちますかと?」
思わずネガテイブ質問して
しまいました。先方様では
大丈夫です。米原駅は東海
近畿、北陸の中枢にありま
す。全国に発信出来るだけ
の研究家を捜してましたよ
豪語され米原の講座講師へ
◆長谷川
でも世の中そんな甘くない!
講座継続する事は至難の事!
2024年11月28日10時講座。
◆理解者
しかし毎回話題やテーマが違い
ミラクル投手の様な変化球的な
変幻自在で滋味豊富な地味講座
◆対話者
いや違います!先生は野球
で言えば150㌔出す本格派
それが一般の人は解らない。
◆長谷川
私の講座60㌔ぐらいですよ?
ゆるゆるのボール投る状態!
◆対話者
それが全く違うんですよね!
例えば賤ケ岳城なんか正確に
文献『信長公記』の天正元年
に登場する古城を天正11年に
秀吉方が改築したものですよ
と言われ浅井氏時代の切岸を
見学に行くと古い城だと解る
だから文献と遺構が一致する。
文字だけとか城だけとか偏向
や偏りがない中庸な慎重な学者
◆対話者
賤ケ岳は山城で山麓に大音館
あとがあり山城と山麓居館の
セットですと言われる訳です。
大音氏は石田三成家臣になる。
◆三成フアン
その辺が長谷川先生は湖北の
の人と言う事で詳しいと思う。
◆対話者
ある年伊香郡の赤尾山城見学
に行きました。参加した皆は
赤尾館ではなく赤尾山城へと
行く気満々なわけです今日は
山麓館ではなく山城見学だと
▼赤尾山城の堀切土塁遺構
◆長谷川
これは山麓こそ城館だと決め
つける郡誌編纂記録に束縛を
されている人は赤尾山城自体
認識できなかった悲しさです。
◆長谷川
加護山という城館絵図が残っ
います。しかし山城が過去に
存在した事には気付かないの
が一般歴史愛好家と言うもの
です。歴史を厳密に検証する
向学の人々にとり加護山古城
図はショツキングな資料です。
◆長谷川
愛知郡誌が編纂された段階
で京極政経や材宗の拠点は
山麓居館のみと考えている。
◆同道者
そこに滋賀中世城郭研究に
盲点が存在する死角がある
黄和田山中には山城がある。
◆同道者
黄和田山中で私は鳥肌が立った
ヤハリ山城が存在するんだと!
これ重大ニユース級の話題だ!
◆長谷川
その話はトーンダウンする事で
す。何故なら黄和田山中は極め
急傾斜であり一般の歴史愛好家
行ったら滑落事故発生遭難必死
そういう事故を未然に防ぐ社会
的配慮も研究家に必要な訳です。
シヤニムに城に行く事より事故
を防ぐ呼びかけこそ仲間を守る
為その家族の安泰を守る道こそ
士道です早合点は下策と言う事。
◆同道者
米原の○○○の〇〇様は熱心な
人格者様です。感心致します。
◆長谷川
私は天野川中流に城館伝承や
中世墓石が多い事を知ってた
が山城の調査はしてません。
素朴正統な城館と山城理論
から言えば天野川中流絶対
に山城が存在するのが道理
◆長谷川
しかし現代社会に生きる以上
注意しなけばならない鉄則が
あります。○○○の〇〇様は
中世城郭を見る素養を持った
人だと研究家の私から解かる。
しかし中世城郭を理解出来る
人とは世の中に希少な訳です。
何故なら人間とは文字や書籍
を典例や規範に固守する傾向
がいある○○〇の○○様如何
に頭脳明晰の向学の人だとし
ても中世城郭を認識されては
いない人には異端と映ります
人間心理として異端者は排除
するこれが人間社会の一般論
社会に発生する心理現象です。
◆同道者
これは私達が素朴な中世城郭の
理解者である集団であるとして
も人間はローカルテリトリズム
を持っている地域縄張意識です。
ここは○○様の御一家を社会的
に御守りする配慮をする為には
プロジエクトX体制が必要です。
◆長谷川
社会学的御指導を賜り感謝です。
◆南彦根様
ワシは長谷川講座なんかに行か
んわオモロシない!ショウモな
い!とにかく日夏山城に行く!
◆長谷川
講座や見学会を3倍オモシロクす
るには貴方の協力や考え方次第
山麓外堀が宇曽川
山麓居館が泉屋敷
山城が日夏山城と
応用を効かせたい
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