城郭 長谷川博美 基本記録

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美濃国 野古墳群 見学記1

2019-05-11 17:08:27 | 旅行
美濃国 野古墳群 見学記1

美濃国の木簡は、石神遺跡・飛鳥池遺跡・藤原宮跡など7世紀の木簡はみな「三野国」と記す。
青野(現・大垣市青野)、大野(現・揖斐郡大野町)、各務野(現・各務原市)という3つの
「野」に由来するという説がある。 8世紀初頭の大宝2年戸籍(702年)や同3年(703年)の
藤原宮跡木簡に「御野国」という表記が出てくる。『古事記』には三野と美濃国の両様の表記
がある。 さて古墳好きの、私は美濃の野古墳群とは如何なるは物か?私の心は期待で高揚した。

                                    ↑別名 城山 とよばれる古墳
南北朝期の砦として利用されたか?墳丘の段築は明瞭に思えた。しかし城郭特有の縄張りは現状では見られない。

 2019/5/12 孤独に美濃の野古墳群の見学に出掛けた。先ず大野町の教育委員会を訪ねて
野古墳群のパンフレットを私は頂いた。現地に到着すると美しい前方後円墳がまるで夢の
中に居る様な感覚で連立して出現し、私は驚いた。連立する古墳群の配置はランダムの様に
見えたが各古墳は大和型の驚くべき築造技術や測量技術を用い巧妙に作られていると直感した。
現地を歩くとその古墳がより立体的に壮観と言わざるを得ない様に工夫されて配置されたと
私は感じた。
 そこで私は現地の前方後円墳 登越古墳 南屋敷西古墳 南出口古墳の 古墳の中軸選を
観察して現地案内版に仮想中軸線を書き込んでみる試論を試みた。大和型の古墳とは私達が
考えているような野放図にフリーハンドで配置されたものでなく緻密な光背効果や見栄えを
考慮して充分に考えた上で設計されていると私は思う。
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