城郭 長谷川博美 基本記録

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美濃、昼飯大塚古墳、見学記

2019-05-06 03:27:21 | 旅行
美濃、昼飯大塚古墳、見学記

私は、昔から美濃、垂井、関ヶ原、大垣方面の遺跡に興味を持っています。
2019年 令和元年 友達の全くいない私は 独り淋しく古墳を訪れました。

※墳丘の威容に感激!
 その墳丘の巨大さには圧倒されます。
 
 ※典型的な大和型の前方後円墳です。

 ※巨大な前方部を古代交通の要、関ヶ原方面「不破道」に配した見事な設計が伺われます。


古墳の築造年代

 4世紀末(古墳時代中期)

古墳の規模

•墳丘長 約150メートル
•後円部径 99メートル
•高さ 13メートル
•前方部高 9.5メートル
•周壕含む総全長 約180メートル

出土遺物

•墳丘
円筒埴輪、形象埴輪(家・蓋・盾・靫・甲冑形)、
勾玉・ガラスなどの玉類、土器・土製品など
•埋葬施設
竪穴式石室(北棺):過去に盗掘を受ける。未調査。
粘土槨(南棺):未調査。
木棺直葬(西棺):棺外から鉄剣・鉄刀、鉄製の工具などが出土。棺内は 未調査。

※美濃国府中跡を望む

※古代美濃国府跡
 天平12年(740)聖武天皇の美濃国行幸で、「国城ヲ巡観」したことが『続日本紀』
あります。不破関に美濃国の防衛設備を見回った思われます。大和王朝にとり軍事的に
東国への経路美濃国が重要だった事を暗示しています。『続日本紀』の天平17年(745)
4月甲寅条に美濃大地震で、国府の櫓・館・正倉などが倒壊したという記録があります。
驚くべき事に美濃国府遺跡で9本の巨大な掘立床柱が検出され私が思うにこの遺構こそ、
美濃国の国見の高櫓、つまり国観の望楼と推定致します。









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