城郭 長谷川博美 基本記録

城郭遺跡見学講師 信長公記講師 お城イベント案内 民俗学講師  神道思想史講師 などの情報を発信して行きます。

行市山城 別所山城 見学会報告

2022-04-19 10:54:25 | 城郭見学会終了報告

行市山城 別所山城 見学会報告

◆長谷川

令和4年4月16日上記見学会の講師とし

て長浜市余呉町行市山へと参りました。

◆長谷川

行市山の峰嶺山々山尾根に続く累々たる

土塁を皆様とともに見学を致しましたね。

◆反論者

そんな土塁なかったよ!

◆対談者

ちやんと天正11年の軍道を見学しましょう!

◆長谷川

塹壕は西南戦争でもても現実に作られました!

現地の現実を冷静に見学するのが古戦場見学!

▼ウッデイパル余呉は近畿東海よりも福井に近い。

▲余呉町小谷太田谷に集合した余呉城郭

 研究会会員諸士の皆様

陣小屋を普請する兵卒の姿▼

◆長谷川

当日遺跡見学概要

①太田谷砦「下」新発見

②太田谷砦「中」新発見

③太田谷砦「上」新発見

④行市山山系雪渓見学

⑤別所山別陣跡見学

⑥別所山城主郭見学

⑦別所山城西出丸見学

⑧行市山南外郭低土塁

⑨行市山城主郭見学

⑩行市山「東野行一砦跡」見学

以上 全行程は2万歩 上級コース

参加者様各位 大変お疲れ様でした。

 

▼行市山雪渓見学記念写真 雪が残ってて唖然とした!

 

◆長谷川

織部焼は器 つまり「うつわ」です。

別所山曲輪 つまり「くるわ」です。

別所山城の形状は織部焼にも類似して

東海地方の強烈な天正文化を伝える織

部焼は美濃出身の茶人武将古田織部で

当時の武将は城郭の曲輪と常に対峙し

た戦陣の中に生活した異様な茶器造形

「ひずみ」「ひょうげ」の文化の存在

◆一般物

これはおもしろい!別所山の陣形と当時

の異形の器を比較する斬新な文化論こそ

絶妙とも言える別所山を一周した体験も

あり織部焼の形状に通底する戦国文化論。

◆参加者

なんで織部焼の幾何学あんなに奇妙斬新

なのか?現地の砦を見学して初めて知る

天正の荒々しくも斬新な文化モード認識。

◆文教様

やはり歴史城郭文化論としてビイスタ論!

▼別所山城の雛段遺構「圧倒的迫力」

▼比較研究画像 米原市磯山城址 雛壇遺構

▼別所山城の横堀遺構「圧倒的迫力」

◆参加者の感想

※1 ついに念願の行市山城を見学した。

※2 天嶮行市山全山を要塞化した要害。

※3 雪渓が残り山桜が咲いていて感動。

※4 多数の砦を見巡見して最高の幸運。

※5 10ヵ所も砦を見学2万歩も歩けた。

※6 戦国城郭遺跡の宝石箱が余呉町だ!

※7 たて掘りが残っててスゴく感激だ。

※8 いたる所に射撃用塹壕が残ってた。

※9 別所山西砦特殊な鉄砲塹壕を見た。

◆長谷川

それは千鳥の陣形と言いましてABC

の銃座から射撃する場合相互が鉄砲の

玉で相討ちしないようかつ広角に射撃

が出来るように工夫された当時の職能

武士階級の戦陣の様子を観察できます。

陣の平面配置の妙、各陣の高さ高度の

差違を活かした戦陣の実戦の妙がある。

 

◆対談者

人類の戦争って恐ろしい!当時の職能

武人達の現場の現場にも恐怖致します。

◆長谷川

あの羽柴秀吉が行市山山系の柴田佐久間陣営

を攻略する事は無理だと当時の書簡で語って

ます佐久間を余呉湖畔に誘殺する為に囮城の

岩崎山大岩山を普請させています。この2城

には堀が掘削されておらず明らかに佐久間

柴田方山岳から誘き出す囮の砦と言えます。

それは桶狭間の時の鷲津丸根砦に相当する。

 

益々デープに益々マニアックに

城郭遺跡を本格的に解解説する

でも初心者は安心して参加する

また講師みずから初心者と公言

初心とは素朴な基本な出発点!

 

◆御注意

岩熊は昭和平成と再三野生熊が国道

に現れてバスと衝突するなどの事故

が発生しています。ひとり入山危険。

 

★ウッデイパル余呉次回予告★

日時 5月21日土曜

集合 JR北陸線 木ノ本駅 西口

見学城郭と予定

▼岩熊城の横堀

▼岩熊城の横堀

  ①塩津岩熊城「やのくま」「山城形態」

  ※1 横堀が一周する特異な構造は

     敦賀市疋田、皿の山城に似る。

     皿の山城図も付録として付ける。

  ※2 並び虎口を用いた特異な円郭構造。

  ②延喜式内社 矢合神社

       ③変形前方後円墳「山上」図面作成済

  全長80mにせまる丸山古墳とは別の遺跡

▲変形前方後円墳の可能性もある。

 

 

  ③岩熊坂 地蔵菩薩 見学「円墳」

  ④塩津浜 城の坂城 見学

※ 二重堀切 切岸城郭 塩津氏熊谷氏在地領主の城郭

◆ウッデイパル職員様との対話内容

◆長谷川

賤ケ岳合戦は『余呉の戦い』ともよばれ

主戦場の中心は長浜市余呉町です。余呉

には合戦に関係する大小の要塞群が散在

しており古戦場フアン城郭遺跡フアンに

とりまるで城郭遺跡「エルドラド」黄金

郷とも言えます。また合戦城郭を知る為

の湖北、野外ミュージアム「博物館」と

も言えます。城郭遺跡の「宝石箱」とも

コンパスポイント「基軸」と言える場所

御社発展の為にも長浜北部振興発展の為

に賤ケ岳合戦関連遺跡を活かす事が肝要!

一流の武将が一流の築城技術を駆使して

築城した陣城が賤ケ岳合戦要塞群ですよ!

 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 城をきわめる 城と砦の基本犬走 | トップ | 頼朝 信長 秀吉 天下人は... »
最新の画像もっと見る

城郭見学会終了報告」カテゴリの最新記事