名張城と名張陣屋の城郭ビイスタ
◆対談者
1585年(天正13年)築城の名張城
織豊大名筒井定次の伊賀上の
支城として家臣松倉勝重によ
築城しとされる名張城の城郭
ビイスタを解説して下さい。
◆長谷川
詳しい資料を知りませんので
凡そこの様なビイスタかと?
これ重複ビイスタと言います。
古地図から想像しております。
◆長谷川
筒井氏藤堂氏の伊賀上野城も
この重複ビイスタ縄張を駆使
している事が解ります。縄張
城が松倉氏か藤堂氏による物
かは明言をさけて後進の研究
の進展や進捗を期待致します。
▼伊賀上野城 重複ビイスタ。
▼大和郡山城本丸ビイスタ工法
◆長谷川
織豊大名仙石秀久小諸城を築城
致しますが織豊大名の駆使する
重複型ビイスタである事が重要
対談者
何気ない平凡な投稿に見えます
が城郭ビイスタ論の恐ろしさに
は今更は圧倒され驚いてます。
長谷川先生の今後の研究進展
と活躍を謹しみ祈念致します。
◆長谷川
過分の御称賛に感謝致しますが
私は城郭界の捨石で日陰者です
御期待に応えられない運命です
名張城には多数のビイスタ測量
が存在したと思われます。
◆対談者
名張陣屋は丹羽長秀の三男で藤堂高虎の
養子となった藤堂高吉によって築かれた
陣屋。1635年(寛永12年)に高吉が領地
替えで入り陣屋と城下町を築きましたが
この名張陣屋のビイスタは如何なる物?
◆長谷川
1起源の湾曲の縄張「にらみ」
2起源の湾曲の縄張「にらみ」
を見事に混ぜあわてた見事な
縄張りと言えます。
◆見学者
城の塁腺の湾曲の縄たるみ「なわだるみ」
など見た事がありません。坂本城でもね。
◆長谷川
坂本城縄だるみが出た事を覚えて
おきましょう。心沈めて見学です。
◆長谷川
1mの高さの石垣が出たと言う事
は容易い事です。明智光秀大和
郡山城の筒井氏の築城の時には
光秀が目付として信長から派遣
をさけています。先ほどの紹介
しました大和郡山城の画面石垣
の湾曲をもう一度確認下さい。
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