城郭 長谷川博美 基本記録

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京極家の重複ビイスタ工法を考察する。

2024-09-15 20:05:14 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、

京極家の重複ビイスタ工法を考察する。

 

◆対談者

長谷川先生の城郭ビイスタ論

は城やつている人は絶対に知

ておかないといけない基本!

 

◆長谷川

賛辞には感謝致しますしかし

ブログ訪問者数が極端に少数

 

◆対談者

学問に人数は関係ない事です。

純粋や真実が一番大切な事!

 

◆対談者

日本国内の城址に重複する

ビイスタ工法が多い傾向は

今後の城郭史に重要な内容

▼小諸城本丸の重複ビイスタ

◆対談者

例えば北近江守護職の京極

氏の上平城や苅安尾城など

ビイスタ工法分析は学者と

しての長谷川先生の深慮を

感じ崇高さえ漂っています。

私の視点から見て純研究家

 

◆長谷川

京極高次は本能寺変で明智

秀側に加担し天正10年明智

滅亡後には自分の従姉妹達

に相当する浅井三姉妹茶々

初お江達の義理の父柴田勝

家に加担して同11年賤ケ岳

合戦に柴田方に加わります

がまさか270m級の巨大な

城郭柴田勝家の玄蕃尾城

を要する柴田方がまさか

敗北するとは予想しなった

と思われますが柴田は敗北

シカシでも玄蕃尾城は見事

な重複ビイスタを用いた城

◆対談者

京極高次の自分女兄妹「龍」を

秀吉の側室とすると次第に豊臣

政権の中で秀吉の子秀頼を産む

淀の方の妹「初」と縁戚を結び

豊臣政権の大津宰相しよばれる

地位になで出世していますね!

 

◆長谷川

織豊大名生駒氏が築城した讃岐

丸亀城も重複ビイスタ工法です。

1597年慶長2年)亀山に丸亀城を築き始める。

◆長谷川

話を京極大津宰相高次に戻し

ます1600年関ケ原合戦で高次

は急に東軍に加わり大津籠城

戦を展開して徳川家康方へと

加わり許されて若狭小浜へ向

かいます。大津城は織豊系の

重複ビイスタ城郭と推定され

ます。

 

◆長谷川

若狭小浜城は織豊系大名の

系譜をもっ京極家らしい城

の重複ビイスタと思われる。

丹後峰山藩

初代藩主の京極高通朽木宣綱の次男として生まれたが

、母方のおじである京極高知の婿養子となった。丹後国主

であった高知は自らの遺領を実子2人と高通に3分割して与え、

高通には峰山地方の1万石を相続させた。これによって、

元々徳川秀忠から拝領していた3000石と合わせて

1万3000石の大名となり、1616年に丹後峰山陣屋を構えて

立藩した。

▼近江朽木西山城重複ビイスタ

峰山藩陣屋ビイスタ

彦根城ビイスタ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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