津浪の恐怖 水害の恐怖 土塁水塁の本質論!
◆質問者
この投稿の要点や意義とは何ですか?土塁です?
◆対談者
日本には遺跡として石垣を備えた近世城郭があり
ます。一般世間の人は城=石垣と天守閣の印象な
のですが実は日本の城の先輩は石垣の無い土の城
中世城郭が大多数を現実には占めてます。日本人
の全ての人が城が土から出来ていると思ってない
のです。従っ土の城に行く「みんな」は一般の人
から見たら、非常に奇妙な人に感じられています。
女性や主婦どうしでも貴方は〇〇山に行って何が
楽しいの?変人でしょ!と言われるんですよ。土
の城見て何が楽しい?変わってるわ?変人ですと!
◆長谷川
しかし城郭遺跡を見学している人は一般の人に
城の事何も知らないのね?と決して馬鹿にせず
道徳観や冷静と謙虚さを保つ人が多い傾向です。
仲の良い御夫婦が城旅行しても一方は土塁見て
本当に感激、感動している。しかし一方は顔に
怒心露わにして土塁を見学する事に嫌悪感を露
わにし拒否!同じ苦楽を共にする伴侶でありな
がら人の価値観は極端に異なる事を知って中庸
ある穏やかな社会生活を送りたい物です。相互
理解おもいやり相手の興味ある事への理解尊重
を常に冷静に心掛ける紳士淑女でいたいですね。
★★★★★
衝撃! 城郭ビイスタ論 上文字クリック
城郭立体図 上文字クリック 3分37秒!
◆津波の海水を止める為に防波堤がある。
◆城は押し寄せる敵を防ぐ為の土塁です。
両者を冷静にキッチリと見るべきが大切。
◆生徒さん
山田君の名札。田中君の名札。中村君の名札。
鈴木君の名札。山本君の名札。藤原君の名札。
前部名札の写真に収録し出席簿の全部覚えた。
◆直情さん
あらまあ名札や出席簿だけが大切かしらね?
山田君の性格。田中君の長所。中村君の身長。
鈴木君の風貌。山本君の欠点。藤原君の特技。
各自のパーソネル「人格」を知るべきしよう。
各自の顔の形も覚えておくべきで名札でない。
◆城悟様
山田城の形状。田中城の形状。中村城の形状。
鈴木城の形状。山本城の形状。藤原城の形状。
を全く現地で見る気がない人もおられますよ。
つまり城など鼻から見る気無く城の看板だけ。
◆みんな
日本の歴史建造物/城郭を真剣に見ている人が
本当に日本国にいるなら城郭ビイスタ動画再生
数1600回ではなくて、一億2千万回あっても
不思議ではありませんよ。画期的スゴイ動画!
上の★★★★★の動画です。
◆長谷川
2020年1月18日、トンガ政府は大規模な
火山噴火が起きて以降、初めて被害状況を
発表。最大15メートルの津波が襲い、こ
れまでに3人の死亡が確認されたという事
で地球上で起こる大規模な地殻変動や天変
地異の恐怖を強く私は感じます。また同時
に日本は津浪の被害を最小限に抑えるべく
津浪防波堤の更なる充実や防災意識の充実
をはかるべきかと思います。滋賀近江でも
琵琶湖で大地震が発生した経歴や、1.8mの
高波が近代の姉川地震でも計測されており
不測の天災には平素から留意すべき事です。
▼『土塁水塁の本質論!』
◆質問者
日本神話のなかに「潮」海水の干満や潮位
に関して軍事力を暗喩したものがありますか?
日本史の中の水塁、土塁を是非とも御教示を!
◆長谷川
1古事記のなかに海幸彦山幸彦の伝承が記録
されてます。山幸彦は潮の干満を自在に操る
霊力のある玉「潮盈珠(しおみつたま)」と
「潮乾珠(しおふるたま)」を海神から賜り
海幸彦の軍隊を潮の干満を用いて撃退します。
◆長谷川 人間は水堀や土塁を作る習性がある。
歴史を振り返ると人間は繰り返し同じ事をする。
●2『日本書紀』斉明天皇在位655~661年
が、大規模な土木工事として堀「狂心の渠
(たぶれごころのみぞ)を造った記述。
●3『日本書紀』「天智(てんち)三年(664)
筑紫(つくし)に、大堤(おおつつみ)を築きて
水を貯えしむ。名づけて水城という。』
●4壬申の乱
天智天皇の死後 672年に大友皇子(弘文天皇)と
大海人皇子(後の天武天皇)の後継者争い 。古代
史上最大の武力による内乱。近江朝側は犬上川や
野洲川で防戦すると最期の近江朝側の水塁たる
瀬田川の瀬田橋の橋を引き防戦するも近江朝敗北
●5源平合戦 越前燧城「火打城」の水塁
寿永2年(1183年)平氏は平維盛を大将として
北陸出陣。4月26日には平家軍は越前国に入る。
27日越前・加賀の在地反乱勢力が籠もる火打城
を取り囲むが火打城は川を塞き止めて作った
人工の湖に囲まれ平氏側は城に攻め込むことが
できなかった。
●5宇治川の戦い(うじがわのたたかい)
寿永3年(1184年)1月に源義仲と鎌倉の源頼朝
から派遣された源範頼、源義経とで戦われた合戦。
治承・寿永の乱の戦いの一つ。木曾義仲は今井
兼平を瀬田川の防衛に当らせたが義仲は都から
近江に入り今井と合流したが粟津で戦死した。
●6阿津賀志山防塁 (あつかしやまぼうるい)は、
福島県 伊達郡 国見町 の平安時代 末期の 防塁
跡。 二重の堀と三重の土塁で形成されている
ことから「 阿津賀志山二重堀 」(あつかしや
まふたえぼり)ともいわれる。
別名: 阿津賀志山二重堀
城郭構造: 防塁
築城主: 奥州藤原氏が坂東鎌倉勢力侵攻に備へた。
築城年: 1189年(文治5年)以前
●7元寇の防塁 (西暦1274年).
文永十一年に、元軍を迎撃する為に鎌倉幕府は
博多湾沿岸に石塁「石築地」を構築して布陣。
●8近江肥田城水攻め
佐々木六角義賢は水攻め策を採用、永禄2年4月3日
に肥田城の周囲に巨大な築堤をして水攻め実施した。
●9備中松山城水攻め
天正10年(1582年)に織田信長の家臣の羽柴秀吉が毛
利氏配下の清水宗治の守備する備中高松城に築堤して
水攻めを実施。
●10本能寺の変後の瀬田橋
1582年、明智光秀による本能寺の変で織田信長が横死
近江・瀬田城は山岡景隆と山岡景友は瀬田橋を落とし
明智勢の進軍を妨害。山岡氏は、一族で山中へ逃れ
羽柴秀吉に随時、明智勢の行動を報告、明智勢は、
瀬田川に仮橋設定に3日間要した。
●11武蔵忍城水攻め
天正18年(1590年)石田三成を中心とする豊臣武将達
が北条側の成田氏の忍城の周囲に築堤を気付いて水攻
●12相模小田原城包囲戦
天正十八年(1590)に関白豊臣秀吉は後北条氏小田原
城を包囲します。小田原城の総構は小田原城と城下を
囲]む総距離9Kmの大規模な堀と土塁による要塞の跡。
●13御土居(おどい)
天正十九年1590豊臣秀吉によって作られた京都を囲む
土塁。外側の堀とあわせて御土居堀と呼ぶ場合も、築
造時の諸文献には「京廻堤」「新堤」「洛中惣構え」
等と記される。単なる聚楽第の外郭土塁総延長22、5
㎞は壮大な規模であるが御土居は都を水害から護る為
の水害防止堤防としても機能していた巨大な堤防です。
●14第二次上田城の戦い
慶長5年1600年上田城に籠城する真田昌幸は徳川秀忠
軍を上田城に誘い込み、神川の上流に貯水した堰を切
って徳川軍を苦戦させた。
◆松波庄五郎
ウッイキペデイアより
松波庄五郎時代生誕死没改名別名主君氏族父母子
戦国時代 |
不詳 |
天文2年? |
峰丸、法蓮房、松波庄五郎、西村勘九郎、長井新左衛門尉 |
松波庄九郎、山崎屋、西村正利 |
長井長弘(土岐政房→土岐頼武→土岐頼芸) |
松波氏(藤原北家日野家支流)?→西村氏→長井氏 |
松波基宗? |
斎藤道三 |
◆対談者
吉本新喜劇のGMに就任予定の間寛平さんの
言葉「なぜじゃ」 「どうしてじゃ」 の言葉は哲学
的だと今更なから社会風刺ギヤグとして重要。
「なぜじゃ」 「どうしてじゃ」 は思考の根幹原理。
◆一般様
令和4年1月15日の臨湖城郭講演の評判上々!
◆一般者
講師の長谷川先生でなく参加された方々の
高尚な向学への希求精神が大変な話題です!
◆みんな
主役は先生でなく参加した人の気付きです!
城跡見学はそもそも土塁や堀を見学する事!
『土塁水塁の本質論!』ですよ!
▼★討論勃発★▼
◆長谷川
長浜市西浅井塩津に20カ所近くの城址や陣
が存在する事は、歴史地理、歴史城郭の上
では非常に重要な事だと、私は思います。
その様な意味で長浜市西浅井塩津地域には
20近い遺跡が残っておりこれを1つづつ
現地見学された方は20カ所の城址陣跡か
ら歴史の真実を学ばれたと言う事になり
ます。そのような意味で本当の城の先生
は私「長谷川」ではなく現地の遺跡こそ
が先生と言えます。現地現場こそが現実
であり我々に真実の歴史を教えてくれる
現実の先生です「城の先生は城自体です」
◆討論者
違う!それは間違っている!偉い先生が
ないと言われたら絶対に遺跡などは無い!
人間社会は権威主義、肩書き経歴が全て!
◆対談者
あらまあ専門家や免疫学の権威の先生が
コロナ感染は3波で終息と言われたが現実
は6波が到来している。人間社会の根本は
論説や解説や定説ではない現実が全てです。
現実事実こそが時間軸の推移「歴史」です。
◆討論者
イヤ俺は現実よりも権威や先生を信奉する!
現実よりも権威だブランド、商標、肩書き!
◆対談者
絵に描いた餅ですよ。現実は6波来た。免疫学
の権威が3波と論説しても現実厳然と6波来た。
「論」=言葉 と「現」=現実は異なる訳よ!
現実を重視して対策対応して行く事が人の道!
人の世の道学ぶ、人類の道を学ぶ事こそ大事。
◆反論者
世の中に土手「土塁」水堀「堀」を見学される
変人か居てその気持ちが全く解らないのです!
変、変、本当に変な人がいるとつくづく思う!
◆みんな
城は土から成っている。城見学に行くのは土塁
や堀を見学に行ってる訳です。洋食ならメイン
デッシユ、和食なら御飯そのものが本質です!
◆『三国志』愛好家
長身の軍師諸葛孔明が五丈原の陣営を
築城したました。城郭の本質とは?塁
を作る事、五丈原の城壁の壁を確認す
る事が孔明の戦跡と歴史の現実を知る
事なのです。でも現実には観光客とは
五丈原など見たくないもの麓の博物館
に行って城郭の本質たる城壁は見ない!
人間とは物事の本質に気付いていない!
◆長谷川「司馬懿/しばい」
しかしいつの世も物事の本質を深く洞察
する有識や賢者がいます魏の司馬懿仲達
は蜀軍が引き上げた後の陣の様子を見て
「天下の奇才である」と諸葛孔明を賞賛
陣跡見て孔明の恐ろしき才腕を看破する!
◆長谷川
言葉に気を付けて下さい。何万円費やして
も五丈原に行ってもその個人の目標は博物
館に行く事が目的である事に充分に留意を
しましよう五丈原ならば唯物の現地遺跡と
して五丈原の城壁を見たいとは思ってない。
◆みんな
それはないでしょう。赤福餅を買った人が
餅本体を喰わず包装紙を大事にするかしら?
◆長谷川
言葉に気をつけましよう。人の本質価値観
は個人で異なるのです。昔食玩具と言われ
るオマケに夢中にだった人は食品食べない。
何が自分を夢中にさせたか気が付くべき事。
◆長谷川
津浪は人間の命を奪う恐ろしい災害で人類は
津浪に備え想定内で防波堤を暫定的に作るが
しかし防波堤の役目を日頃認識しない人は時
に津波に遭遇して慢心し高台へ避難せず不幸
にも津波と言う波に飲れ災害で命を落される。
◆対談者
長谷川先生の胸に突き刺さる事を直言します。
◆長谷川
是非忌憚のないストレートな意見を願います。
◆対談者
私は素人初心者なのです無礼を御許し下さい!
◆対談者
土塁と言う言葉の意味が解る人や平凡一般の
日本人の方は実は読めも書く事も出来ません!
◆対談者 『城郭』の漢字は拒絶反応を示す!
城を最初から学ぶに事において初心者様こそ
大切な素養と条件を備えた人と言えます。世
の中には城を学んだら120点へ進歩発展する
素養を持ち合わせながら『城郭』という漢字
『土塁』と言う言葉に、拒絶反応を起してる
人が多いのですよ!ですから私は思いますよ。
目で見る。耳で聞く。足を鍛える。「脳トレ」
「足トレ」「健康促進の要素」城歩きの存在。
★しろいく。=城行き
★しろみる。=城跡見学
★しろ歩く。=歩行健康促進
★城考える。=脳トレ脳活
★生涯学習。=生き甲斐を発見して有意義に生きる事!
◆長谷川
美濃の守護職、土岐頼純や土岐頼芸の居城としてまた
美濃のマムシ斉藤道三晩年の拠点大桑城大土塁は重要。
何故なら斉藤道三の家紋シンボルマークとは「立波紋」
「押し波」と「引き波」の二種の波を表現しています。
要するに合戦における進退「駆け引き」と言う事です。
◆長谷川
塁が書けないのですか?野球の一塁二塁三塁
本塁なら日本全国の人々が書ける簡単な漢字?
宮本さんと言う城見学の人が岐阜大桑城の土
塁を見学検分しておられるし誰にでも解る事!
◆対談者
津浪の防波堤にも城郭の土塁に興味ない人は居ます!
厳然とした厳しい現実社会を観察する事が重要です。
◆気付様
たかが堤防と馬鹿にしてました。たかが土手と馬鹿
にしてました。馬鹿だったのは堤防も土手も認識し
て無かった自分自身が馬鹿だつた事に気付きました。
◆長谷川
岐阜県山形市大桑城の重要性を何千回と説いて
も土塁の「塁」の文字を読まない使わない人が
社会に現実に存在すると言う事を私自身が気が
付くべき事でした大桑城の堀土塁が戦国時代は
大桑城下に洪水津浪の如く何万と押し寄せる敵
を津浪の防波堤の様に「人流」を関止める役割
を社会に住む全ての人々が認識されてない事が
今初めて私は貴方の直言的指摘で認識しました。
大土塁は押し寄せる外敵の人の波を防ぐ堤防だ!
外郭や谷の入口を閉じる総構の遺構なのですが
土塁や城郭と言う言葉がキライな人がいる事は
現実社会の現実なのです。
◆対談者
その通りです!大桑城の巨大な堀と土塁は宮本さん
だから認識され解る!一般主婦や一般人は空堀や高
い土塁を見ても解らず認識出来ず興味が全く無い!
そももの、旅行好きの御夫婦が2人で行かれた場合
にはどちらかが目を輝かせて土塁を見て一方は車の
中で本当不機嫌な顔をして「くだらない!」の連発!
滋賀県の言葉で言うと「しょうもない」価値が無い
くだらない土手です!平成令和と城に行く人は堀切
や土橋に全く興味ない事を長谷川先生が自身が自覚
する事が非常に大切で重要と言う事だと言う事です!
◆長谷川
大変重要な指摘と叱責を賜り私は深く感謝致します。
防災教室で何千回、津波の危険性や防波堤の重要性
を説いても、聞き入れない現実も発生しております。
ましてや中世城郭遺跡の高土塁や堀を見学したい人
がこの平成令和に存在すると考える事自体が私自身
の身勝手な甘い考えだと言えて、現実は厳しいです。
◆みんな
とんでもない!城は土から出来てる土+成=城!
土の土塁や堀切を見なくて一体何の意味がある?
土の城見る見学する事を毛嫌する人は万年素人よ!
津浪から町を守る為り防波堤の意味を真剣に考えて
高台へと避難した冷静で知的な人が賢者有識者です!
城郭見学を希望する人々は堀切も土橋も見たいの!
◆長谷川
しかし下の写真を見ても、城の堀切や城内へと続く
土橋だと理解できる人は一万人に1人だと思います!
世の中の何万人もの人々が「何を言う?ただの自然
地形!君たちは変人だと!」と言う人が9999人です。
◆みんな
賤ヶ岳合戦の柴田方最前線指揮官佐久間盛政の
行市山城の高土塁を是非とも見学体感したい!
城郭の壁を見る事が城郭見学の根本理念です!
▼行市山城 高土塁
◆長谷川
賤ヶ岳合戦で築城された陣城は土塁で出来ています。
皆様是非御遠方から来られた場合は「土手」見る事!
土塁/土手は天正11年1583年の本物なのです。看板
や石碑や案内版は明治大正昭和平成令和に作られた
者、貴方は歴史戦国フアンと言いながら現代を見て
る。現実の天正11年1583年の本物の陣城見落してる。
城の先生は人間や看板や書物ではなく現地の土の城!
◆一般様
そんな土塁など見て何が楽しい?何の役に立つ!
しょうもない!くだらない!全く楽しくないわ!
◆みんな
でも駅で改札は重要!洪水を塞き止める防波堤は重要です!
◆一般様
何でそんな土手見て楽しいんだよ?城は遠足で充分!
◆質問者
九州の士族が西郷隆盛を中心に戦った戊申戦争の最終
地点、鹿児島の城山にも士族は土塁を築いたのか?
◆長谷川
武士は土塁築く事を基本とする「もののふ」ですよ。
さてさて城郭遺跡や古戦場の基礎とも言える土塁を
そんな簡単に軽視や無視したりして良いのですか?
合戦場では必死に土塁「土手/土堤」を作る事こそが
合戦の基本ではないでしょうか?『佐久間軍記』を
読むと「佐久間安政」賤ケ岳から退却する時に自ら
の陣の左右に「土手」を築いて銃撃手を置いたと記
れてる。古戦城郭見学の基礎基礎は土塁を見る事で
従って城郭の先生は私長谷川ではなく城が先生です!
賤ケ岳合戦で築かれた土塁を見ても無感動では困る!
▼玄蕃尾城 土塁
◆みんな
だって城つて「土+成=城」で土を見る事なのです!
何を見るって?それズバリ「土+成=城」土見る事!
▼堂木山城 堀と土塁
▼神明山城 堀切と土塁
◆長谷川
城の本質は「土+成=城」で土を見る事なのですよ。
★ ★
防波堤の「堤」は元来は是非必要な土だったんです。
人は時にその本質に気付く事が非常に大切な事です。
城も堤も元来は「土木工事」である事に気付く事だ。
▼田上山城 田上山城土塁
駅では改札を通る事
高速では料金所です
踏切では一旦停止し
城跡では土塁や堀を
見るこれみな全て基本
備えがあっても、日頃認識のない人は有事に行動ができないと言う先生のお言葉に目が覚めた気がします。当方忍城近くの小さな土塁の残る城跡に代々神職として奉仕しております。今回の先生のお話を地元の氏子さんにもよく伝えていきたいと思います。
ありがとうございました。