城郭 長谷川博美 基本記録

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伊豆朝倉氏の鎌田城 越前朝倉氏朝倉山城

2023-10-12 20:37:31 | 東海の城 ビイスタ工法

伊豆朝倉氏の鎌田城 越前朝倉氏朝倉山城

◆長谷川

越前朝倉氏と伊豆朝倉氏の関係は

明確には証明されていません。

ウイッキペデイアを引用すると

永禄2年(1559年)成立の『

北条家所領役帳』では、馬廻衆の

「朝倉右京進」が伊豆国鎌田

(現在の伊東市鎌田)と相模国

西郡大窪(現在の小田原市板橋[8]

で合計44貫文余を得ていたことが

確認できる[7]長塚孝は、『寛永系図』

の生年を信じれば『所領役帳』当時の

政元は13歳で、一般には元服前の年齢

であるから、この「朝倉右京進」は先代

当主(政元の父と見てよい、とする)と

推測している[7]

◆長谷川

伊豆鎌田城に城郭ビイスタが

存在するのか検討したいと思

います。原図は関口宏行様の

もので研究家として謹しみて

敬意を払います。先ずは伊豆

鎌田城北部Aから扇型ビイス

タが読み取ます。

◆長谷川

また伊豆鎌田城西部Aから扇型

ビイスタが読み取ます。この

ビイスタ形状は非常に美しいく

整合性があると思われます。

◆長谷川

ビイスタ視点を変えると鎌田

城北部の竪堀もビイスタ設計

による可能性もあります。

◆長谷川

伊豆朝倉氏は駿河から伊豆に

移動したとされます。越前の

朝倉氏との関係は正確に判明

していません。さてここでは

越前の朝倉氏族の城郭朝倉山

城の城郭ビイスタも紹介しま

す。興味のある方はリンク

記事の青文字をクリックし

て下さい。

 

 

越前朝倉山城の縄張術 - 城郭 長谷川博美 基本記録

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