伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

水木しげる「総員玉砕せよ!」が伝えた戦争の狂気と不条理

2015年12月14日 | 平和・戦争
 先日亡くなった水木しげるさんの「総員玉砕せよ!」(講談社文庫)が書店に並んでいました。NHKの「ゲゲゲの女房」以来、同文庫で作品をいくつか読んでいましたが、これも読まずにはおられない。購入し持ち帰りました。

 水木さんは、太平洋戦争中に激戦地・ラバウルに出征し、爆撃を受けて左腕をなくしています。この時の体験と同僚に聞いた話しでまとめあげたのが本作のようです。


 
 出征し主人公が所属する部隊は、バイエン(実際の地名はズイゲン)に上陸し基地を築き守備隊となりました。やがて上陸してきた米軍と戦闘状態に。米軍の圧倒的戦力の前に負け戦は必至という中で玉砕を命じられ、生き残った者も、本体の命令で再度玉砕のための戦闘に投入されてしまう、というストーリーです。ラストシーンは死んで横たわる遺体がたんたんと描かれ、生き残り彷徨っていた兵員も連合国の兵に射殺されてしまいます。

 物語に描かれたエピソードを水木さんは「90%は事実である」と書いています。現実にあったズイゲンのたたかいでは生き残った兵員もいるようで、全員が死亡したようではないですし、流れ弾で死亡したように描かれている生き残った兵員を再度玉砕戦に投じた指揮官は、現実には生き残っているようです。

 90%の真実は、過去の戦争の現実をたんたんと描き出します。創作された10%には、この漫画で世に伝えたかった思いが隠されているのでしょう。

 訴えたかったものは何だったのだろうか。

 「一体この陣地を そうまでにして 守らねばならぬ ところだったのだろうか・・」
  となりの陣地を守っていた連隊長の述懐

 累々と横たわる遺体のラストシーンの描写の中に、この言葉が埋め込まれていました。

 あとがきで水木さんは「ぼくはそれを耳にしたとき『フハッ』と虚しい溜息みたいな言葉が出るだけだった」と書いています。

 日本軍が勝てないことは明らかでした。

 押し寄せる連合軍は、空爆の支援があり、上陸用舟艇から戦車を投入するなど圧倒的な火力を持って守備隊を追い込んでいきます。

 これに対して守備隊の装備は、わずかに大砲一門、そして軽機関銃。あまりにも軽装備です。その差を、戦車には「肉攻」、橋頭堡には「斬り込み隊」で埋めようとする守備隊の司令官。しかし彼我の戦力の差は埋めようがありません。

 勝てない戦争の中で「死に場所を得たい」という司令官の思いだけで玉砕を強いられる部隊。生き残っても玉砕した者が生き残っていてはならないという軍上層部の都合だけで再び死地に追いやられる部隊。

 その現実には、生命線ともなる補給路を十分確保せず戦線を拡大し、兵員に犠牲を押し付けていった、日本軍の狂気と不条理しか感じることができませんでした。

 水木さんは、戦争の現実はこの狂気と不条理の中にあることを訴えようとしていたのではないか。そんなふうに思いました。

 日刊ゲンダイだったかな・・は、作家の野坂昭如さんが、「亡くなる直前に『新潮45』編集部に送られたコラムの原稿には『この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう』と最期まで日本の行く末を案じていた」と書きました。また別の記事では、「死にゆく人が乱打する安倍政治への警鐘」と見出しをたて存命中の反戦の言論を紹介していました。

 水木さんも同様なのかな。亡くなって、なお、残された作品が現代日本に警鐘を鳴らしています。この警鐘に耳を傾けることが、今も生きる私たちにできること。そんなことを思いながら本を閉じました。 


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