2011年3月11日の東日本大震災。押し寄せた津波に防護が不十分な東電福島第一原子力発電所の1号機から4号機が水素爆発事故をおこし、双葉郡の住民は避難を余儀なくされました。それからまもなく4年を迎えようとしています。
いわき市でも約2万4000人の方が避難生活をされていますが、28日に共産党の長谷部淳県議と宮川えみ子県議が楢葉町の仮設住宅の集会所に集まっていただいた方からお話を聞くというので、同席し今の思いなど伺ってきました。
楢葉町は国直轄の除染作業が終了し、楢葉町長は帰町を目指す時期を「早ければ平成27年春以降になるもの」し、「安心できる生活環境の回復」、「生活再建支援策の充実」、「住み良い魅力あるまちづくり」を三つの重点施策として取り組みをすすめていると報じられています。
集まったのは15人。その方たちの中には、様々な不安があることが分かりました。
ある方は、帰町に向けて自宅の掃除などに時どき帰っているが、「線量を調べるためのガラスバッチを玄関内にぶら下げておくと、ドアを開けることがない夜間に線量が上がるなど、放射線に対する不安を払拭することができない」と訴えていました。時間あたりの線量は0.16μSv(マイクロシーベルト)程度というのですが、東電福島第二原発から2km程度しか離れていないこともあり不安は払拭できないようなのです。
さらに楢葉町に除染廃棄物の焼却施設とセメント固形化施設が計画されていますが、廃棄物の運搬トラックの通行が増えたり、また楢葉町自身の除染廃棄物が仮置きされた現況に帰ることが出来るのだろうか、というのです。
別の方は、「線量はあまり気にしていないのだが、震災後自宅を放置してきたために瓦が落下するなど、帰宅するたびにどこかが壊れていく状況だったので解体することにした。今年の春以降帰るという目標はいいのだが、公営住宅はないしどこに住むのだろう。自宅があったとしても近所に帰ってこない家があれば、草ぼうぼうになっており、周辺の環境を考えると躊躇する方も出るだろう。仮設では隣の声が聞こえたり、料理の匂いが入ってきたり、落ち着いて生活ができない。いつまでこの仮設住まいが続くのか」と嘆きます。
仕事に対する不安もあります。「厚生年金をせめて25年積もうとがんばって働いていた時に避難することになって、働く場所がなくなった。今はアルバイト程度はしているが、年金保険料を治めることはできない。帰ってもこの年になって働く場所はないでしょう」と話します。また農業をしていたという方は、「農業をできなくなったことに対する賠償が必要だと思う。仮に帰って米を作ったとしても売れるのか。その補償はない」と訴えます。
同じく農業をしている方は、「除染はしたが、田の場合、鋤きこむ深さは15cmと仮定して、ゼオライトを撒いた上で30cmの深さで反転耕を行い、その上にカリウムを施肥して鋤きこんで終わっている。果たしてこれで、この田で穫れた米を勝ってくれるのだろうか」「酪農の場合はさらに大変で、与える餌は買ってきた飼料を与えるためにコスト高になり、これに対応するため100頭規模でないと続けることはできない。福島で酪農家が共同して500頭規模の酪農の試行がはじまったが、楢葉に帰って同様にできるのか。おまけにTPP(環太平洋経済連携協定)がある」と訴えていました。
避難をされている方が貴重せずに仮設住まいを続けていても、そこには厳しい生活があります。訪ねた仮設住宅だけで38名の方がこの4年間の中で亡くなっているといいます。避難生活のストレスの影響は無視できないという思いをもっていらっしゃいます。風評被害は賠償されているし、精神的損害への賠償もされているからいいだろう、と聞くことがありますが、苦しい生活をしている現実を見てほしい」。避難生活を住民の共通の思いでしょう。
一方帰ってもまともに生活できるのか。そんな不安もつきまとっています。
しかし住み慣れた町に帰りたいという思いも強くあることが伝わります。そのために様々な思いを持っていらっしゃることが分かりました。
住宅がないという方はどうするのか。住民の方の話から推察すると、町は震災以前からある公営住宅を復興公営住宅に転用して活用する計画でいるようです。4階建て程度でエレベーターがないと、そこでの生活の不安を語ります。「この年になって4階なんてなったらとても住めない」という思いを持っている。こうした声にどう応えるのか。
また仮設住宅で生まれた新たなコミュニティーがあります。若い世代の帰町が期待できない中で、日常に支えあうコミュニティーを維持していきたい。そのためにグループホームのような、プライバシーを維持しつつ住民の支えあいがたやすい居住施設ができないだろうか、ともいいます。
参加した1人がテレビの報道で見たと次のように話しました。
「岩手県の大槌町は、役場が決めて住民に下ろすのでなく、最初からそこに住む人達の意見を取り入れた公営住宅を作ろうと、住民と何度も話し合い、その意見を住宅の雪景に反映させた。そのような作り方できないのだろうか」
申し訳ないが楢葉町の取組状況には不安内なので、具体的な状況が分かりませんが、そのような声を尊重することも必要でしょう。いわき市の取り組みでも十分留意しなければならない点だと思いました。
そしてこれは今後、不幸にして災害が発生し仮設住宅が必要になる際の教訓です。
一つは音の問題。隣の音が丸聞こえでプライバシーが維持できないということです。木造長屋式のプレハブの場合はもっと深刻で、一つの世帯の振動や音などが仮設住宅全体に響くというのです。「長屋式でなく、住戸と住戸の間に隙間を作るなどの工夫が必要ではないか」といいます。また、「現状の設計の場合でも、子育て世帯は子育て世帯、高齢世帯は高齢世帯と棟を分けて入居させることが必要かもしれない。そうすればお互い様だから」という声もありました。
避難されている方の声をどう市政に活かすのか。良く考えなければ、と思っています。
いわき市でも約2万4000人の方が避難生活をされていますが、28日に共産党の長谷部淳県議と宮川えみ子県議が楢葉町の仮設住宅の集会所に集まっていただいた方からお話を聞くというので、同席し今の思いなど伺ってきました。
楢葉町は国直轄の除染作業が終了し、楢葉町長は帰町を目指す時期を「早ければ平成27年春以降になるもの」し、「安心できる生活環境の回復」、「生活再建支援策の充実」、「住み良い魅力あるまちづくり」を三つの重点施策として取り組みをすすめていると報じられています。
集まったのは15人。その方たちの中には、様々な不安があることが分かりました。
ある方は、帰町に向けて自宅の掃除などに時どき帰っているが、「線量を調べるためのガラスバッチを玄関内にぶら下げておくと、ドアを開けることがない夜間に線量が上がるなど、放射線に対する不安を払拭することができない」と訴えていました。時間あたりの線量は0.16μSv(マイクロシーベルト)程度というのですが、東電福島第二原発から2km程度しか離れていないこともあり不安は払拭できないようなのです。
さらに楢葉町に除染廃棄物の焼却施設とセメント固形化施設が計画されていますが、廃棄物の運搬トラックの通行が増えたり、また楢葉町自身の除染廃棄物が仮置きされた現況に帰ることが出来るのだろうか、というのです。
別の方は、「線量はあまり気にしていないのだが、震災後自宅を放置してきたために瓦が落下するなど、帰宅するたびにどこかが壊れていく状況だったので解体することにした。今年の春以降帰るという目標はいいのだが、公営住宅はないしどこに住むのだろう。自宅があったとしても近所に帰ってこない家があれば、草ぼうぼうになっており、周辺の環境を考えると躊躇する方も出るだろう。仮設では隣の声が聞こえたり、料理の匂いが入ってきたり、落ち着いて生活ができない。いつまでこの仮設住まいが続くのか」と嘆きます。
仕事に対する不安もあります。「厚生年金をせめて25年積もうとがんばって働いていた時に避難することになって、働く場所がなくなった。今はアルバイト程度はしているが、年金保険料を治めることはできない。帰ってもこの年になって働く場所はないでしょう」と話します。また農業をしていたという方は、「農業をできなくなったことに対する賠償が必要だと思う。仮に帰って米を作ったとしても売れるのか。その補償はない」と訴えます。
同じく農業をしている方は、「除染はしたが、田の場合、鋤きこむ深さは15cmと仮定して、ゼオライトを撒いた上で30cmの深さで反転耕を行い、その上にカリウムを施肥して鋤きこんで終わっている。果たしてこれで、この田で穫れた米を勝ってくれるのだろうか」「酪農の場合はさらに大変で、与える餌は買ってきた飼料を与えるためにコスト高になり、これに対応するため100頭規模でないと続けることはできない。福島で酪農家が共同して500頭規模の酪農の試行がはじまったが、楢葉に帰って同様にできるのか。おまけにTPP(環太平洋経済連携協定)がある」と訴えていました。
避難をされている方が貴重せずに仮設住まいを続けていても、そこには厳しい生活があります。訪ねた仮設住宅だけで38名の方がこの4年間の中で亡くなっているといいます。避難生活のストレスの影響は無視できないという思いをもっていらっしゃいます。風評被害は賠償されているし、精神的損害への賠償もされているからいいだろう、と聞くことがありますが、苦しい生活をしている現実を見てほしい」。避難生活を住民の共通の思いでしょう。
一方帰ってもまともに生活できるのか。そんな不安もつきまとっています。
しかし住み慣れた町に帰りたいという思いも強くあることが伝わります。そのために様々な思いを持っていらっしゃることが分かりました。
住宅がないという方はどうするのか。住民の方の話から推察すると、町は震災以前からある公営住宅を復興公営住宅に転用して活用する計画でいるようです。4階建て程度でエレベーターがないと、そこでの生活の不安を語ります。「この年になって4階なんてなったらとても住めない」という思いを持っている。こうした声にどう応えるのか。
また仮設住宅で生まれた新たなコミュニティーがあります。若い世代の帰町が期待できない中で、日常に支えあうコミュニティーを維持していきたい。そのためにグループホームのような、プライバシーを維持しつつ住民の支えあいがたやすい居住施設ができないだろうか、ともいいます。
参加した1人がテレビの報道で見たと次のように話しました。
「岩手県の大槌町は、役場が決めて住民に下ろすのでなく、最初からそこに住む人達の意見を取り入れた公営住宅を作ろうと、住民と何度も話し合い、その意見を住宅の雪景に反映させた。そのような作り方できないのだろうか」
申し訳ないが楢葉町の取組状況には不安内なので、具体的な状況が分かりませんが、そのような声を尊重することも必要でしょう。いわき市の取り組みでも十分留意しなければならない点だと思いました。
そしてこれは今後、不幸にして災害が発生し仮設住宅が必要になる際の教訓です。
一つは音の問題。隣の音が丸聞こえでプライバシーが維持できないということです。木造長屋式のプレハブの場合はもっと深刻で、一つの世帯の振動や音などが仮設住宅全体に響くというのです。「長屋式でなく、住戸と住戸の間に隙間を作るなどの工夫が必要ではないか」といいます。また、「現状の設計の場合でも、子育て世帯は子育て世帯、高齢世帯は高齢世帯と棟を分けて入居させることが必要かもしれない。そうすればお互い様だから」という声もありました。
避難されている方の声をどう市政に活かすのか。良く考えなければ、と思っています。
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