茶色の細長い紐状の物体が竿にかけられている。
この茶色の物は何に使われるのか?
想像できるだろうか。
答えは和紙。和紙の材料となるコウゾの皮を乾かしているのだ。
「和紙って白いじゃない」
この皮を見ているとそういう疑問が湧いてきそうだ。答えは後に書こう。
遠野はかつて和紙の製造が盛んだった。農家の副産業として取り組まれていたらしい。ところが、和紙作りは廃れてしまい現在は製造する農家はなくなった。和紙の需要が減ってしまったこと、専業農業から兼業農家に産業構造が変わったことなど様々な要因があると思う。
同時に作業の大変さも要因のようだ。
和紙製造は農閑期の冬に行われる。紙となるコウゾの繊維をネリ(ノリ)とあわせて水に混ぜ合わせる。ネリは水に粘りを与え、和紙の材料となる繊維を均質にしたり、紙漉きの際の作業をしやすくなどの役割があるという。ネリはトロロアオイから抽出した粘性のある透明な液体だ。この液体は温かい水では粘性を失ってしまうため、冬場、水が冷たい季節の作業となるのだと聞いたことがある。
寒さの中、冷たい水に手をかじかませながらの和紙作り。手伝った子ども達はその大変さを知っている。和紙作りはするものじゃない。そんな思いを持ったと聞いたことがある。いまでは、遠野和紙を絶やさないため、地域興し協力隊員を募集し、彼らが製造と活用を担っている。
遠野和紙の材料となるコウゾの製造は地域のボランティア達が担う。その作業を初めて体験した。もうすぐ12月というのに、昼頃、車の気温表示は23度になっていた。温かい。寒さに打ち震えながらの作業とならなかったのは幸いだ。
作業はコウゾの刈り取りから始まった。後の皮むきは新鮮な枝の方がやりやすいようで、この日の作業量にあわせて必要量を刈り取る。
畑で栽培されているコウゾの根というか株から伸びた枝を刈り取る。この枝には過酷な運命が待っている。
まず、細すぎる枝は排除される。最低で直径1.5cm以上程度だろうか。利用にかなう枝は75cmに切りそろえられる。細い枝からは1本しか取れないし、太い枝だと2、3本取ることができる。これを直径25cm程の束にして10束を作った。これが今日の材料づくりのもとになる。
次に地域興し協力隊の活動拠点となっている「学び舎」に移動し、枝の蒸し上げ作業に取りかかる。コウゾの枝の束を、水を入れた大釜の中に立てかけ、上から大きな桶をかぶせて約2時間蒸し上げる。大泥棒とされる石川五右衛門の釜ゆでの刑は有名な話だが、それと似た運命がコウゾにも待っていたのだ。蒸し上げが完了する頃には立ち上る湯気に甘い香りが付くのだという。
ゆであがったコウゾの枝から皮をむく作業が始まる。
枝の太い側に裂け目を作り、少し剥いた皮を親指と中指でつまみ、もう片方の手の人差し指と中指で枝を挟み込み皮をそぎ落とすように動かす。すると皮がつるっとむける。このむきとられた皮が写真の紐状の物ということになる。
やってみるとベテランのボランティアさんがむいた皮はきれいそろっている。私の作業した物は皮の内側がむき出しになったり一貫性がなく、いかにも汚らしい。コツを教えてもらうときれいにむけるようになった。やはり学びは大切と実感する。
この紐状の皮を束ねて竿に干す。束ね紐にはむいた皮を使う。皮の束を2度程くるっと巻いて、紐の端をねじり上げる。ねじり上げた紐を先程巻いた紐の下に差し込む。稲束を縛るのと同じ方法だ。竿に干すときは束を二股に分けて引っかける。これも稲はせに稲束をかけるのと同じ要領。農業技術が和紙作りにも生きているわけだ。
今日の作業は材料づくりの半ばまでだ。この後、皮の表皮にあたる茶色の皮をこそげ落とし、白い皮の成分だけを取り出すし、和紙の材料ができあがるという。
コウゾの皮むきをボランティアでしていることは以前から知っていた。初体験で、途中までだが自分にもできることが実証された。問題は継続できるかどうかだろう。ボランティア活動による和紙の材料作りは、毎週火曜日と水曜日にしているのだという。来週火曜日は、9時大平のコウゾ畑集合だと伝えられた。
学び舎の敷地内に1輪だけキクが咲いていた。
この茶色の物は何に使われるのか?
想像できるだろうか。
答えは和紙。和紙の材料となるコウゾの皮を乾かしているのだ。
「和紙って白いじゃない」
この皮を見ているとそういう疑問が湧いてきそうだ。答えは後に書こう。
遠野はかつて和紙の製造が盛んだった。農家の副産業として取り組まれていたらしい。ところが、和紙作りは廃れてしまい現在は製造する農家はなくなった。和紙の需要が減ってしまったこと、専業農業から兼業農家に産業構造が変わったことなど様々な要因があると思う。
同時に作業の大変さも要因のようだ。
和紙製造は農閑期の冬に行われる。紙となるコウゾの繊維をネリ(ノリ)とあわせて水に混ぜ合わせる。ネリは水に粘りを与え、和紙の材料となる繊維を均質にしたり、紙漉きの際の作業をしやすくなどの役割があるという。ネリはトロロアオイから抽出した粘性のある透明な液体だ。この液体は温かい水では粘性を失ってしまうため、冬場、水が冷たい季節の作業となるのだと聞いたことがある。
寒さの中、冷たい水に手をかじかませながらの和紙作り。手伝った子ども達はその大変さを知っている。和紙作りはするものじゃない。そんな思いを持ったと聞いたことがある。いまでは、遠野和紙を絶やさないため、地域興し協力隊員を募集し、彼らが製造と活用を担っている。
遠野和紙の材料となるコウゾの製造は地域のボランティア達が担う。その作業を初めて体験した。もうすぐ12月というのに、昼頃、車の気温表示は23度になっていた。温かい。寒さに打ち震えながらの作業とならなかったのは幸いだ。
作業はコウゾの刈り取りから始まった。後の皮むきは新鮮な枝の方がやりやすいようで、この日の作業量にあわせて必要量を刈り取る。
畑で栽培されているコウゾの根というか株から伸びた枝を刈り取る。この枝には過酷な運命が待っている。
まず、細すぎる枝は排除される。最低で直径1.5cm以上程度だろうか。利用にかなう枝は75cmに切りそろえられる。細い枝からは1本しか取れないし、太い枝だと2、3本取ることができる。これを直径25cm程の束にして10束を作った。これが今日の材料づくりのもとになる。
次に地域興し協力隊の活動拠点となっている「学び舎」に移動し、枝の蒸し上げ作業に取りかかる。コウゾの枝の束を、水を入れた大釜の中に立てかけ、上から大きな桶をかぶせて約2時間蒸し上げる。大泥棒とされる石川五右衛門の釜ゆでの刑は有名な話だが、それと似た運命がコウゾにも待っていたのだ。蒸し上げが完了する頃には立ち上る湯気に甘い香りが付くのだという。
ゆであがったコウゾの枝から皮をむく作業が始まる。
枝の太い側に裂け目を作り、少し剥いた皮を親指と中指でつまみ、もう片方の手の人差し指と中指で枝を挟み込み皮をそぎ落とすように動かす。すると皮がつるっとむける。このむきとられた皮が写真の紐状の物ということになる。
やってみるとベテランのボランティアさんがむいた皮はきれいそろっている。私の作業した物は皮の内側がむき出しになったり一貫性がなく、いかにも汚らしい。コツを教えてもらうときれいにむけるようになった。やはり学びは大切と実感する。
この紐状の皮を束ねて竿に干す。束ね紐にはむいた皮を使う。皮の束を2度程くるっと巻いて、紐の端をねじり上げる。ねじり上げた紐を先程巻いた紐の下に差し込む。稲束を縛るのと同じ方法だ。竿に干すときは束を二股に分けて引っかける。これも稲はせに稲束をかけるのと同じ要領。農業技術が和紙作りにも生きているわけだ。
今日の作業は材料づくりの半ばまでだ。この後、皮の表皮にあたる茶色の皮をこそげ落とし、白い皮の成分だけを取り出すし、和紙の材料ができあがるという。
コウゾの皮むきをボランティアでしていることは以前から知っていた。初体験で、途中までだが自分にもできることが実証された。問題は継続できるかどうかだろう。ボランティア活動による和紙の材料作りは、毎週火曜日と水曜日にしているのだという。来週火曜日は、9時大平のコウゾ畑集合だと伝えられた。
学び舎の敷地内に1輪だけキクが咲いていた。
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