▲天高い秋の空(2013.10.6)
「みをつくし料理帖 残月」を読んで
このブログの2012年の9月28日に公開した「テレビドラマの原作 みをつくし料理帖」にも書いたが、近年ハマった小説に高田郁の「みをつくし料理帖」のシリーズがある。横浜の姉が教えてくれた本で、姉が自らの帰省の際に「面白いから」と最初の2巻を持ってきてくれた。その後も姉が本を買い、私が次に読み、私に似て本好きの娘に回し、その後で読む私の二人の妹も今やすっかり愛読者になっている。
『天涯孤独の少女が大阪から江戸の街に出て様々な困難を乗り越えて、料理人として成長する姿を描いてある』料理をテーマにした時代小説だ。
最初は正直、姉から借りた本を手にしても、それ程期待していなかった。ところが読み始めると、根が食べる事が好きな私だけに、すぐに話の展開が面白くなった。現代にも通じる上方と江戸の食文化の違い。それを大阪で修行した若い女料理人が江戸の人達にどのように受け入れてもらうか。その過程や個々の料理の作り方、季節の食材が描かれていて興味が募る。
その上に、料理だけではなく、思っていた以上に読み応えのある深い内容である事に気がついた。主人公を含めて周りの登場人物が、それぞれに悲しい過去を持ちながら自分のことよりも周りの人のことを思いやり、親子や夫婦の情、友情、恋愛をからめて話が進んで行く。読み始めると、途中で止められず、寝不足になってしまうことも多い。まだ読んだことのない人には、オススメのシリーズです。
それにしても、何と災害の多い物語だろう。主人公の澪が大阪で孤児になったのは、大水害が原因だし、そこで澪を救い、料理人への道を開いてくれた大阪の料理店「天満一兆庵」の店主の一家も大火ですべてを失い、澪共々、江戸に出てくることになる。江戸に出てからも、火災や水害にたびたび襲われ、主人公や周りの人々の運命を変えてゆく。でも物語の中の水害や大火は、史実に基づいて書かれているそうだ。
その最新刊、みをつくし料理帖シリーズ第八弾の残月は、作家の創作ペースの都合で前作から間が空いて、姉も私も待ち遠しい書き下ろし文庫本の発行となった。最新刊では、大きな災害は起きないが、前号で起きた大火災の喪失感の中、物語は静かに進展し、次の新たな展開を予感させて終わる。
本シリーズの魅力の一つは、主人公の育ての親である芳、主人公が料理長を勤める「つる屋」の主人、種市、そして「つる家」で働くふきやおりょうやりうと言った同僚の主人公への思いやりのあるまなざしが随所に感じられる点である。中でも私のお気に入りは、自称「つる家の看板娘」。隠居の身ながら芝居や戯作本にも精通し、客との絶妙なやりとりで、つる家に無くてはならぬキャラクターの、りうという老婆だ。年老いての他人の再婚話を聞いたりうは、うっとりとした表情で、歯の無い口を開く。
「ひとは歳を重ねるだけ、寂しくなっていく。誰かを支え、誰かに支えられてこそ、生きる望みも湧くというものです。『貞女ニ夫に見えず』だなんて余計なお世話、あたしだってまだ捨てたもんじゃありませんよ」
夢見る口調のりうを横目で見て、種市は、桑原、桑原、と震え上がった。
さらに、行方不明だった一人息子が見つかりはしたものの、息子の生活や将来を考え思い悩む芳に対して、皺だらけの手を伸ばし、母親の腕を優しく撫でながら言う。りうの助言は、芳ばかりでなく、私を含めた人生の終着点が見えてきた読者に生きる希望や標を示してくれている。
「子の幸せと親自身の幸せを混同しないことです。いっぱしに成長したなら、子には自力で幸せになってもらいましょうよ。そして、親自身も幸せになることです。ひとの幸せってのは、銭のあるない、身分のあるなしには関係ないんです。生きていて良かった、と自分で思えることが、何より大事なんですよ」
「生きていて良かった、と自分で思える‥‥‥」
ゆっくりと噛み締める口調で、芳は老女の言葉を繰り返す。
(高田郁著・「残月 みをつくし料理帖」・ハルキ文庫 ・2013.10.4)