雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

前走車の運転手の顔を見てみたい

2020年11月01日 | エッセイ


 車の運転をしていると、前走車の運転が気になり、運転手の顔を見たくなることがある。
 私は、前職と現在の仕事場がどちらも自宅から遠く、三十年以上も自家用車通勤をしている。どちらも自宅と仕事場を結ぶ単調な幹線道路を走ることになる。しかもほとんどの区間が追い越し禁止となっており、そのために偶然に自分の前方を走っている車の運転にある程度の時間、影響を受けて走り続けることになる。
 よくあるのが、制限速度を5キロ近く下回って走行する車。
 制限速度の10キロ前後上回っているのが一般的な車の流れであり、その差の15キロは大きい。運転する本人はスピードを出さないことが安全運転だと思っているかもしれないが、通行量のある幹線道路であるから、流れに乗らず前の車との車間距離が開いた車の前には、横断を待ちかねていた歩行者や、合流しようとする車がチャンスとばかりに割り込んで来て、急ブレーキを踏まざるを得ない事態が多発する。ある程度の速度オーバーなら前方の車の流れに乗った方が、事故のリスクは減るに違いない。
 中には10キロ制限速度を下回るノロノロ運転をする車もあって、当然その車の後方には大名行列のように車が連なることになる。「バックミラーを見ないのか」と言いたくなるが、バックミラーどころか制限速度の標識も見ずに、自分の好きな速度で走っているとしか思えない。そんな時は、煽り運転が出来ないならせめて運転手の顔を見てみたいと思うのである(さらに出来ればひと睨みしてやりたい)。
 また、信号が青に変わってもすぐに発進をしない、ハンドルさばきが不安定で路肩に寄ったり、中央線を超えそうになったり、スピードが一定でなかったり、なんでもないようなところでブレーキを踏んだり。このような意思の読めない車の後続は走りにくく神経を使う。
 よく見ると、男女二人連れらしい。運転手の男性は助手席の女性の顔をちょくちょく見て明らかな前方不注意だし、女性の方も運転中の男性に抱きつかんばかりにくっついている。私が上機嫌で急いでいない場合は、おおらかな心で「人生、楽しみなさい」と呼びかけるところだが、そうでない時はイライラがつのり、顔を見て悪態のひとつもつきたくなってくる。
 ある雨の夜に、帰宅ラッシュの車の中で、私の前を走る車の、対向車のライトに浮かび上がる運転手と助手席の人のシルエットに「?」となった。二人とも明らかに耳が大きい。形から言ったら、ネコの耳が頭部についている。
 ああ、そうか。もう時期ハロウィンだし、仮装をしたままパーティ会場まで車で移動しているのかな。
 はじめはそう思った。でも赤信号で停止する間に観察すると、耳だけでなく横顔もネコそのものに見えてくる。被り物をしているのか。でも待てよ。被り物をしたまま運転は可能なのかな。それに被り物にしては動きがスムーズだし、特に二人の動きにあったネコの耳の動きがあまりにリアルすぎないかい。
 もっとよく見たくても雨だし、室内灯は点いてないからシルエットしかわからない。
 もしかしたらネコ星人が密かに地球に来ていて、調査のために地球人に近づこうとしているのかもしれない。疑惑と妄想を募らせていると、気がついたらネコ車はいなくなっていた。
 結局、前方の車の二人がネコ星人であるかどうかは確認出来なかった。
 ああ、運転手の顔を見てみたかった。ちと怖いような気もするけど。

(2020.10.31)


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